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生きるためにやって来た仕事のはなし

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なかなか理想を仕事とすることは難しいもの、食べるため、生きるためにしてきた私のサラリーマン人生です
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2021年7月の記事一覧

ベーグルのある午後

ベーグルが好きである。 社会人になりゼネコンの大阪支店で営業マンとして働き出した。 世の中が成熟し、日本人がモノに満たされ、精神的にも満たされていると勘違いしている時期だった。 そんな時代とともに建設業界の営業スタイルが変わる過渡期だったと思う。 公共のインフラは整備が整いつつあり、官庁発注の仕事を業界で仲良く分け合って十分建設業各社の腹が満たされる時代が終わりつつあったのだと思う。 民間からの工事受注を拡大しなければならない時代に向かっていたんだと思う。 ゼネコン各社は

また会う日のためのわかれ

自身の年齢を感じることが増えてきた。 体力は落ち、酒は弱くなり、食べる量まで減って来た。 こんなことが加齢なのかと実感するのである。 しかし、私に一番それを強く感じさせるのは訃報である。 皆が平等に年齢を重ねるのだから、当たり前のことではあるが。 ゼネコン時代に一番世話になった大先輩の訃報がやって来た。 京都営業所時代に言葉で表現できないほど世話になった方であった。 ご苦労をされてきたから人の気持ちがわかる、そんな見本みたいな先輩だった。 多くを語らないカッコいい人だった

通天閣のおもいで

今は亡き『フェスティバルゲート』ってのを知る大阪の若者は少くなったのではないだろうか。 大阪では固有名詞を関東方面とは違った縮め読みをする。 『ミスド』、『マクド』のように『フェスゲ』であった。 『フェスゲ』は1997年、私がゼネコンで営業マンをやっていた頃開設された当時流行りのアミューズメント型商業施設であった。 新今宮辺りの特殊性を大阪に赴任して一番最初に知っていたので「こんな場所でこの事業は成り立つのか?」非常に興味を持っていた。 そして、1997年は開園と同時にバ