マガジンのカバー画像

飲み屋に恋する男のはなし

42
酒抜きで語れぬ私の人生、そのほんの一部をお聞きください、、
運営しているクリエイター

#サラリーマン

恋のおわりは

今日から私が以前、恋の病に取り憑かれたように始めた『立ち飲み屋』の話を綴りたく思います。 多くのお客さまに足を運んでいただきました。 多くの友人も日本中から集まってきてくれました。 やんごとなき事情で再び方向転換をするまでの一年半の時間をともに過ごしていただいた皆さんとのお付き合いの話が中心となります。 今日は簡単に店の周囲の雰囲気をご理解いただければと思います。 私は大阪の人間ではありません。大阪は人に優しい街だと思います。 その中でもこの『阿倍野』って街が、素敵に優しい

研師ヒデの嘆き『立ち飲み屋〇(マル)の話』

開店前のマルの店、まだ半分閉まっているシャッターをガラガラと開けてヒデは中に入ってきた。 「マルさん、久しぶり」 ヒデはいつもの笑顔で餃子を包むマルの前に立った。 「あれ、ヒデちゃん、今回早くない、まだひと月たってないわよ」 マルは毎日包丁を研ぐが、どうもこの包丁研ぎだけは苦手で、月に一度だけ研師を生業とするヒデの手で大切な包丁の面倒をみてもらっていた。 「何言ってんだよマルさん、今日は武士の命日だろ、あいつの事を思い出してマルさんがめそめそしてんじゃないかと思って

エンドウ豆でおもいだす

三十年間サラリーマンを続け、つくづく向いていない仕事だと思い辞めさせてもらい五年の時間が過ぎる。 三十年という時間はあまりに長く、辞める選択を出来ない自分の勇気の無さに嫌気をさしながらも、生きていくため、次々と迫り来る家族の看病と介護のため、辞めるチャンスを失ってしまった。 そんなサラリーマン時代ではあったが、ゼネコンの営業には定石が無く、普通に生きていたら知ることの無い世界をのぞかせてもくれて面白かった。 辛く厳しい世界であったが、金を稼ぐのに辛く厳しいのは当たり前、そう

京橋グランシャトービルからカラオケビル、新大阪そして植木等

(写真は本文と関係のない私の好きな鶴橋卸市場の商店街です) 昨日の私の note で大阪京橋の事を思い出していたら、note 仲間と勝手に思っている私の娘でもおかしくない年齢の多恵さんからのコメントにグランシャトービルの名前が出た。 いかにも京橋らしいパチンコ、ナイトクラブ、サウナが入ってる総合レジャービルである。 JR京橋駅北口改札を出て京阪乗換口の反対に出て、左側ほぼ目の前にある。 私がいたゼネコンは一昔前にここの関係の発注でビル建設の仕事を請負い、一悶着あったと聞い

御堂筋のマリオットと大阪の夜

大阪御堂筋にマリオットホテルオープンとニュースで聴く。 安藤忠雄が監修というのがなんとも大阪らしいが、この時期に高級ホテルの開業は多難を感じる。しかし、聞いているとそうでもない。 富裕層とビジネス客をつかめる見込みを持っているようである。 日本の格差社会をここ大阪でも感じさせてくれる。 ゼネコンの営業駆け出し時代、もう30年ちかく前になる。 当時勤務していたのは大阪京橋にあるJR、京阪とも駅から徒歩5分の自社ビルであった。 京阪京橋駅近接に京阪電鉄の経営するホテルがあり、

酒を片手に考えた

ゼネコンの営業マンだった私は毎朝『日経新聞』を片手に満員電車に飛び乗って会社に向かう生活を送っていた。 普通のサラリーマンを辞めた今も日経が気になる、一年ほど前から電子版に変えたが、、 3月11日で東日本大震災から10年を迎える、日経がこれまで行われてきたインフラ整備の検証のような記事を書いていた。 これまで37兆円が投じられ、被災の中心となった岩手、宮城、福島三県での県内総生産は全国平均より高くなった。 まだ原発の大きな問題が残っているものの、インフラ的にはかなりの