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日々考えることのはなし

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毎日考える何か、何かが引き金になり考える何かを綴ってみました
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2023年7月の記事一覧

日記のような、びぼーろくのような(2023.07.25 真夏の京都大原野から大阪なんばへ)

久しぶりに京都大原野の放置竹林整備のNPO法人京都発・竹・流域環境ネットの事務所まで出かけた。 夏の京都は熱い、京都の西の端の大原野は盆地の地形であるすり鉢の腰にあたる辺りに位置するが、この時期の京都はどこに行っても異常な暑さである。「ドワン」とした蒸れた暑さが京都のすり鉢の中にたまっていた。 朝から国道9号の温度計は32度を表示していた。それを横目で眺めながらひたすら電動アシスト付き自転車のペダルを踏んだ。 途中の樹々の様相も変わっていた。 なんだかいつも無機質を感じる昔の

夏の夜は切なくて

その季節がやって来ると必ず思い出す、そんな思い出って誰にでもあるはずだ。 シンイチは夏が嫌いである。夏休みは好きで、夏の海は好きで冷や麦もかき氷も冷蔵庫の冷たい麦茶も好きなのに夏は嫌いだった。 両親と兄と家族四人で行った夏祭りがよくなかった。なんでこんなに暑いのに人がたくさん集まるのだろう。シンイチは不思議に思いながら家族のあとをついて歩いた。出店が並び人が群がる。皆、好き勝手に歩いている。シンイチのランニングから出ているまだ肉の付いていない肩に浴衣姿の若い女の蒸れた腕が当

海の日、そして夏のある日

海の日、朝一番に外へ出る。すでに暑く空は青かった。こんな朝を子どもの頃に迎えた記憶がある。 なんだかある日から空気が違う。梅雨の蒸れた空気を押しやって暑いが「カーン!」と乾いた空気がそこにいた。 母に「行くよ。」と言い残し、ひたすら南に向かって自転車を漕いだ。愛知県渥美半島の太平洋岸にいつも一人で向かった。豊橋市内を走り抜け、旧陸軍の高師原演習場だった高師緑地の脇を抜けて豊橋鉄道の踏切を横断する。梅田川を渡った辺りから建物らしい建物は無くなる。冬のそこいらは一面がキャベツ畑

闇から湧く猫

猫はそぞろに夜を歩き、月は黙ってついて行く。 月はいつでも知っている、猫のいつもの気ままさを。 猫の気ままは母さんも、父さん、婆さん、爺さんも 一族郎党どの猫も持って生まれたものなのさ。 持って生まれたその意志を貫く男は猫なのか。 のらりくらりとその時を過ごす男が猫なのか。 気ままの意味は幅広く、気ままに生きるは楽じゃない。 気ままに生きるその陰に強い意志を控え置く。 猫に生きるも楽じゃない。 人に生きるも楽じゃない。 猫が生きるは生きるため。 人が生きるは生きるため。

初心に帰る日

1990年代に入っていた。 もうバブルは終わりかけていた。 以前とは違う数年来の異常な暑さを産業革命から始まった私たち人間の化石燃料使用による代償であると言われはじめた時期だったかもしれない。 その頃、私は毎日近鉄電車を鶴橋で乗り換えていた。 朝から鶴橋駅には蒸れた空気とこびり付いてもう剥がすことのできない肉を焼いた夜のにおいがへばりついていた。 二日酔いの頭を抱え一度改札を出てガード下の立ち食い蕎麦屋で酔いを覚そうと熱いうどんをすすっていつも後悔した。 玉のように流れる汗は

また雨におもう

雨降りでも傘をささずに歩いていた時期があった。 十代、世に背を向けて雨に濡れる私は天に向け吐くツバがその雨に混ざることを知らなかった。 向かう相手すべてを切り捨てたかった何も見えていない時代。 二十代は若かった。 降り来る雨を弾き飛ばすように。 いや、すべてを瞬時に気化させたのかもしれない。 世に腹を立てていた。 平等ならぬ世に腹を立てていた。 だから傘などいらなかったのである。 三十代、勘違いした時期だったかもしれない。 簡単ではない世を見切ったように、すべては自分の力でな