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日々考えることのはなし

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毎日考える何か、何かが引き金になり考える何かを綴ってみました
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2023年5月の記事一覧

くちなしの花

私にでもわかる花がある。 名前と花が一致し、目をつむっていても匂いだけでわかる花がある。 くちなしの花である。 1973年、もちろん昭和の世である。中学生になった私はテレビから流れる歌謡曲に心を奪われた。 到底中学生などが心を傾ける歌ではなかったのかもしれない。でも私には特別な歌に聞こえたのであった。 ませた中学生の私はきっと生活に疲れた女の歌だと勝手に決めて聞いていた。東映のやくざ映画に出ていた渡哲也が歌うのが不思議で決して上手とは思えないその歌声が気になっていたのである。

日記のような、びぼーろくのような(2023.05.17 京都大原野の初夏の香り)

京都の端っこの西京区大原野の春はたけなわをすでに通り越していた。 阪急洛西口駅から電動アシスト付き自転車で走る道はほんのひと月前の季節とは様相を変え緑の濃さは増し陽射しの力強さも増していた。 途中、ところどころで田植えの準備を始めていた。トラクターの邁進する田から掘り起こされる虫たちを目当てにサギとカラスが離れない。そんな姿をスマホに収める私をカラスは「あんた何してんの」とでも言いたげにジッと見ている。 この農作業に当たるオッチャンは何を合図に田植えの準備を始めるのであろう

梅田の夜

呼び出され、遅い夕方梅田まで出かけた。 長い付き合いをして来た元上司、人生の大先輩でもある。 たぶん20年以上続けているのではないだろうか、主催している読書会の帰りにいつもの店にいると電話があった。 聞けば時間とともに会の仲間は減ってしまい、今日は四人で万葉集を読んできたと言う。 時代の趨勢というものがる。私のような考え方は古くて遺物のように今の若い人たちは思うかも知れない。しかし、どんな世が来ようとも恩を忘れてはならないという真実は錆びつかないと私は思う。井戸を掘ってく

人生の先輩との別れ、一期一会ということ

ごくまれに、亡くなった知人のことをこちらで記述しています。 いつもそこにいた方、そこに行けば必ずお会いできる方がもうそこにはいらっしゃらず、お会いしたくてもお会い出来ないことに強く心を動かされ、私自身の心の整理をしたり落ち着けたりするためにここに文章をしたためていました。 人の寿命って何だろうと考えます。天に「そこまで生きてもいいよ」って定められるのが寿命であれば、特に死に恐れを感じたり、悲しみを感じその死を受け入れることが出来なかったりすることは無いはずなのですが、決して

夕暮れの記憶

一日一日、陽が落ちるのが遅くなっている。 昼間上衣を着ていると汗ばむような陽気であるが、陽が落ちてしまうと肌寒い。 こんな時期の夕暮れの街を歩くのが好きである。 何かを思い出しそうだけどなにも出て来はしない。 きっといろんな事があったに違いないのに。 記憶は私の心を刺すばかりである。 だから忘れているだけなのだろう。 意識して忘れてしまった記憶達をどこにしまっているのだろうかと思う。 一つや二つじゃないはずだ。 子どもの頃から溜まったそれらはきっとこの夕暮れ