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日々考えることのはなし

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毎日考える何か、何かが引き金になり考える何かを綴ってみました
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2022年3月の記事一覧

JR西日本 大阪環状線桃谷駅

ただ通過してしまうことの多い駅であった。 大阪警察病院があり、何度か人の見舞いに寄った。 この桃谷駅からも聖公会城南教会は遠くはなく、合気道の稽古をするために桃谷駅から何度か歩いた。商住混在の大阪市内では平均的な町なのではないだろうか。 東京の立教大学、大阪の桃山学院大学、この桃谷にあるプール学院中学校・高等学校はこの聖公会が創設している。 ちなみに大阪の聖バルナバ病院、東京の聖路加病院もこの聖公会の創設である。 この城南教会によく稽古にいっている頃、そこの司祭である合気

大阪駅で出会ったコインロッカー係

コインロッカー係って目にしたことや聞いたことってありますか? 先日、人に会うため大阪駅まで出た時のことです。いつものように大阪環状線で大阪駅に着く直前、ドア前に立つ私より若干年上に見える方に気がつきました。仕事用のジャンパーらしきその左腕にあまり目にすることのない腕章が巻かれているいるのに気がつきました。私たちがよく目にする通常の腕章は幅10㎝くらいでしょうか。その半分5㎝ほどしかありませんでした。そして白地のそれには『コインロッカー係』と印刷されていました。 目にした瞬

また今日を生きる

先週のこと、朝から心斎橋まで用足しに出かけた。 久しぶりにサラリーマン時代にいつも乗った時間のJR大和路線に乗った。 当たり前であろうが通勤の乗車客ばかりである。 当時毎朝見かけた人が何人かいた。 いつも皆立つ場所、並び方はほとんど一緒で私の記憶に残る光景とそれほど変わってはいなかった。 同じ生活、毎日同じルーチンの中での仕事が私には向かない。 ストレスが蓄積していく。 そういう意味では建設業の営業は向いていたのかも知れない。 いつも輻輳した案件を時間は関係無

JR西日本 大阪環状線鶴橋駅

1985年(昭和60年)9月、乗り換えのために生まれて初めて降りた鶴橋駅はその臭いに面食らった。 大学を卒業し、入社したのは東京本社のゼネコン、5か月間の英語研修を受けた後の赴任地は大阪だった。 小学三年の時、兄のてんかんの診察のために一度阪大病院まで来た。そのほぼ残っていない記憶しかない大阪で、シールドの現場見学に行く途中だった。入社同期の三人と現場から案内役でやって来た事務主任と京橋から環状線に乗り、鶴橋駅に着き「さあ、乗り換えだ」と降りる前に車内に焼肉の臭いが漂ってき

JR西日本 大阪環状線玉造駅

大阪環状線玉造駅、玉造の名称が示す通り古墳時代に勾玉などを作る玉作部があった場所のようである。 漢字で成り立つ地名が好きである。 地名の成り立ちを考えることが好きである。 三重県から大阪梅新交差点(梅田新道交差点)まで続く国道25号線沿いに私が今住む八尾市がある。 この25号線沿いに法隆寺があり、八尾には弓削、鞍作、太子と聖徳太子が関係し、出来上がった街の名残が地名で残る。 そして国道25号線は聖徳太子が建立した四天王寺の脇を通り、玉造あたりまで来る。 この旧名である奈良

今季最後の粕汁

美味しい白味噌を頂戴した。 冷蔵庫で出番を待ちわびていた酒粕を引っ張り出し今季最後となるであろう粕汁を作った。 食材には旬がある。 その時リーズナブルに一番美味しく食べることが出来るのが旬であろう。 年々粕を買わなくなってるように思う。 寒いほうが粕汁は美味い。 本当に寒い日は少なくなっているように思う。 以前勤めていたゼネコン時代、営業先の某飲料メーカーの担当者から夏場の気温の1℃差でジュースの売り上げが十万本の単位で変わると聞いたことがある。 粕汁を作りながら一人その

春眠暁を覚えず

孟浩然の詩のような季節になった。 この二、三日眠くて仕方がない。寝不足なのは分かっているが、寝ようと思えばいつでも眠れる、目が覚めてもすぐに眠くなる。 そして人より暑がりなのである。羽毛布団がすでに微妙に暑くなってきた。 暑いと寝れないのである。しかし、まだ薄い布団に替えると風邪を引きそうである。 めったに風邪など引かないのだが、今年はなんとなく気を許したら風邪を引きそうな気がしている。そして、今年の風邪引きも周りの人達に余計な心配をさせてしまうと思っている。だから布団

さくらさく

かたい蕾は自身が咲くことをわかっているのでしょうか。 桜が咲き、そして散ることを私たち誰もが予感するはずです。 でも、それを桜は知っているのでしょうか。 潔さに心動かす風流人の勝手の世界を桜は知らないかも知れません。 悲劇も喜劇もその中に押し込めた無邪気な桜がそこにはいるのかも知れません。 一年ずっとじっとして、力のかぎり咲き誇るのは誰のためでもないでしょう。 精一杯自身のために咲くのです。 今年も桜は咲くことでしょう。 その桜と挨拶を交わし、別れる友と酒を酌

ナスカの地上絵にあこがれて

早い朝から玉子を茹でて、玉子サンドを朝から作り、私の朝はまた始まります。 Google earthでナスカの地上絵を時々眺めます。わりと地図が好きかも知れません。過度なインターネットの普及に諸手を挙げて賛成する私ではありませんがロシアにサイバー戦を仕掛けたアノニマスとこのGoogle earthは好きかも知れません。 地上絵を見つけた時は嬉しかったです。ここで登場するのがマリア・ライヘ(故人)というドイツ人の数学者です。彼女はこの地上絵の研究に生涯を捧げました。当時のナチ

そしてまた思いだす

何でもないようなことが記憶の扉を開き、遠い過去に私を連れ出す。 俳句を読むのが好きである。 十七音の小さな世界、そこで私の想像の世界は広がるのである。 たくさんの俳人がいるこのnoteのなかで毎日読んでるのが『かなつんさん』息子さん、奥さんとのご家庭が中心に舞台となる俳句が何とも微笑ましい。朝一番で読むのと夜寝る前に読むのとで味わいが違う。読み手の心が違うのであるから当たり前の話であはあるが。 そして、『柳家さん生師匠』、もちろんお会いしたことは無いのだがご性格なのであろ

晩飯をたべて思ったこと

酒での記憶が多い。 毎晩飲んでたら当たり前のことかも知れない。 こんな時期だった。 南森町の合気道の先輩に呼び出された。個人で営む不動産屋さん、夕方連絡があって二人で飲んだ事が何度かあった。 その日も先輩の事務所に向かい、一階のカウンターだけの飲み屋で待った。 南森町まで会社のあった京橋からタクシーで2メーターくらいだったと思う。何かあったわけではない、先輩とはその時もたわいもない話で別れた。 そして、その晩は気が向き地下鉄堺筋線のホームで来る電車を待っていた。 ホームで

ふつうの時間

サラリーマン時代よく喫茶店に行った。 朝はモーニングを食べながら日経新聞に目を通しながら仕事の事を考えた。 昼は昼メシを食べながら食後のコーヒーを飲みながら雑誌や週刊マンガを読みながら短い休み時間を過ごした。 午後はよくコーヒーを飲みながら通りを行き交う人の姿を眺めながら打ち合わせをした。 そして書類を作った。 会社は落ち着かずあまり好きではなかった。 会社に行かなくなった今、やはりコーヒーが好きである。 日に何度かコーヒーを飲む。 深夜の仕事に一人インスタン

週末、雑感

いつもの時間が流れることに感謝している。 日曜の朝、仕事を終えて、うつむき加減にスマホに向かう人ばかりを乗せる電車に乗って合気道の稽古に向かう。 時々、意識せずに無理をすることがある。 やらねばならぬことが重なり、この歳にしてはかなりの睡眠不足の一週間だった。 なんでこんなにしんどいのだろう、振り返って寝ていないことに気がつく。 いつもこんな感じである。 そんな時は酒も飲んでない、飲んでる余裕がない。 でも飯は食う、食わねば死んでしまうことは無いだろうが戦闘能力は確実に

腹のへるうた

何があっても腹はへる 何もなくとも腹はへる 腹がへっては戦は出来ぬ 誰がぬかしたそんなこと 戦をすればひとは死ぬ 死ねば腹などへりゃしねえ へるは涙と思いきや どこから湧くやらこの涙 そのうち川にまた河に いつしか海になっていた おいらの父はその海に おまえの母もその海に いつしか海にみな沈み 気がつきゃ誰もいやしねえ 一人で食うかこのメシを 寂しく食うかこのメシを 食っても満たすは腹のなか おいらの心はすきっ腹 満点の星空ながめるこのおいら 気がつきゃ星の王子さま