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「The Larry Sanders Show」はおもしろい

とうの昔に終わった番組で、しかも日本ではAmazonプライム・ビデオやNetflixといった主要プラットフォームでの配信もないし(YouTubeに海賊版的な動画が上がっているだけ、ゆえに吹き替えはおろか日本語字幕もない)DVDも出ていないようなので一般にはあまりおすすめできないのだが、最近私が惹かれているのがこの「ラリー・サンダース・ショー」だ。

アメリカには「レイトナイト・トークショー」の伝統というのがある。平日深夜の番組で(ただし収録は大体その日の夕方)、スタジオに観覧者を入れ、司会者が日替わりのゲストとトークしたり、様々な出し物(スタンダップ・コメディ、マジック、音楽ライヴ等)が披露されるというものだが、昔ほどではないにせよ、今でも高い人気を誇っている。司会者自身もスタンダップ・コメディアン出身が多く、現在はABCがジミー・キンメル、CBSがスティーヴン・コルベア、NBCがジミー・ファロンといった面々だ。ちなみに気づいた人もいるだろうが、昔あったタモリが司会の「笑っていいとも!」は、時間帯を夜中からお昼に移しただけで、基本的にレイトナイト・トークショーのフォーマットを踏襲していたのである。

昔ほどではないと書いたが、一昔前は、レイトナイト・トークショーがテレビ局の看板番組であり、テレビの王様だった時代もあった。特に有名なのが1962年から1992年まで30年に渡り司会を務めたジョニー・カーソンのNBC「トゥナイト・ショー・スターリング・ジョニー・カーソン」で、アメリカのコメディアンは皆、いつかはカーソンの番組に出ることを目標とした。あまりの影響力の大きさから、カーソンが引退するにあたって跡目争いのようなものが起こり(映画にまでなった)、結局ジェイ・レノが勝利して「トゥナイト・ショー・ウィズ・ジェイ・レノ」となったのだが、敗れたデイヴィッド・レターマンもCBSに移籍して「レイト・ショー・ウィズ・デイヴィッド・レターマン」を始め、人気を博した。

2016年に心臓発作で亡くなってしまったギャリー・シャンドリングは、日本では映画「アイアンマン2」のスターン上院議員役でしか知られていないかもしれないが、ベテランのスタンダップ・コメディアンで、「トゥナイト・ショー」ではカーソンが休みのときのゲスト司会者を何度も務めたことがある。一時はレノやレターマンと並び、カーソンの後継者と目されたことすらあった。実際、カーソンの次の時間帯に番組を持っていたレターマンがNBCを離れるにあたり、その後釜に推されたのはシャンドリングだったのである。

だが、脚本も書けたシャンドリングが選んだのは現実の「トゥナイト・ショー」ではなく、架空のレイトナイト・トークショーを舞台としたコメディだった。これが1993年にHBOで始まった「ラリー・サンダース・ショー」だ。そこで彼は、フィクション化、戯画化された自分自身であるトークショー司会者のラリー・サンダースを演じる。サンダースと番組プロデューサーのアーティ(映画「メン・イン・ブラック」でエージェントZを演じていたリップ・トーン)、この手のトークショーにはつきものの相方、女房役であるサイドキックのハンク・キングズリー(「アレステッド・デベロップメント」にも出ていたジェフリー・タンバー)という三人を軸に話は進行する。

番組自体も現実のトークショーを模したもので、観客も入れるしセレブ本人がゲスト出演もするのだが、彼らもまた誇張された自分自身を演じる。テレビカメラの前、楽屋裏、プライベートで彼らの発言や態度がいかに大きく変わるかを、当の本人が演じ分けるわけだ。結果として、「ラリー・サンダース・ショー」がコマーシャルに入ると、ゲスト本人が演じるゲストが、シャンドリングが演じるサンダースに、現実の(あるいはフィクションの)シャンドリングのゴシップや悪口をずけずけ言う、などという虚実ないまぜのシーンが生まれるのである。この訳のわからなさは昨今話題のリアリティショーどころの騒ぎではない。当然番組のシーンはテレビらしく、楽屋やプライベートのシーンはドキュメンタリー・タッチで撮られていて、こうしたいわゆる「モキュメンタリー」的手法は今でこそ一般的になったが、テレビ・コメディでの先駆者は「ラリー・サンダース・ショー」だったようだ。

そうしたギミック的な部分はさておき、「ラリー・サンダース・ショー」の最も優れた部分は人物造型だと思う。「チャンネルはそのままに!」(No flipping!)という決め台詞を持つ人気司会者で、物腰こそ柔らかいがプライドは限りなく高く、しかしもっと一般受けするような演出やインフォマーシャルを入れろというテレビ局の圧力や、若者に人気がありギャラも安い後進(若き日のジョン・スチュワートなのがおかしい)に番組を乗っ取られるのではないかという不安に怯え、女たらしだが関係が続いた試しはなく、面倒なことは全部アーティに丸投げして逃げようとする自己中心的で小心者のサンダースもいいし、練達のテレビ屋で荒っぽいことも辞さないが、ショウビズを骨絡みで愛していてサンダースの才能にも惚れ込んでいるアーティもいい。そして脇役にしては大きすぎるエゴを持て余し、威張ってみたり事業に手を出したりはするのだがどれもうまくいかず(よって番組関係者のほとんどに馬鹿にされている)、自分は主役になれないことを痛いほどわかっているのだがなかなかそれに折り合いがつけられないハンクというキャラクターも、その自己愛と自己嫌悪のわびしさにおいて実に出色の出来だ。結局「ラリー・サンダース・ショー」はテレビについてのコメディではなく、人間というもののおかしさとどうしようもなさに関するコメディなのである。今や「ベター・コール・ソール」で主役を張るボブ・オデンカークや、「CSI」で長いことデイヴィッド・ホッジス役を演じていたウォレス・ランガム、人気女性コメディアンのサラ・シルバーマンといった面々がひとくせある役で出ているのもおもしろい。

最終であるシーズン6は、劇中の「ラリー・サンダース・ショー」の最後のシーズンでもあって、終盤になるにつれてダークさがだんだん増していく。関係者は誰もが次のキャリアを探して必死になり、ショーは華やかだが空虚な最終回を迎える。ゲストのセレブたちは口々に最終回を惜しむ言葉を述べるが、劇中でも演技だし、実際にも(ある程度は本音かもしれないが)演技に過ぎない。

結局すべては演技であって、何も確かなものはないのだろうか。おそらくサンダースにとっては、彼のショーと観客、視聴者だけが、唯一確かなものだったのである。だからショーが終わるとき、彼もようやく執着から解放されるのだ。そのせいか、最終回のタイトルは「Flip」なのだった。チャンネルを変えてください、と。

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