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直立歩行とオノマトペ

 三浦雅士の「スタジオジプリの想像力」を読みながら、幼年期の頃の絵本や昔から僕なりの関心事、嗜好について腑に落ちることが結構あり、それらに関連した書きかけのノートを漁っていたら、だいぶ前にある雑誌に書いた原稿が出てきたので、そのまま掲載することにした。

直立歩行とオノマトペ
 日頃、職能的な分野について何の疑いもなくわかっているつもりでも、ふとしたことで実はよくわかっていなかったという経験をすることがある。そんなことが「空中浮遊」で有名なヨーガ行者の成瀬雅春さんと、合気道の師範内田樹さんの対談本「身体で考える」の次の一節に触れたときに身体がブレークスルーした。

(内田)でも、本来四足歩行用に身体が設計されている以上、人間にとっ  て直立というのは不自然なんです。だから、うまく立てない。立てないから、赤ちゃんはわぁわぁ泣く。立ちたいんだけど、立てないない自分の不能に対して怒る。そのうち、ふらふらしながりも立てるようになる。でも、手も足もまだちゃんとは機能していない。四足歩行のときは自由自在に動くんだけれど、直立歩行になると、途方に暮れている。
 これ、不思議だと思うんでですよね。なぜ人間は本能的に完成形を知っている四足歩行を捨てて、あえてやり方のわからない直立歩行を選択するのか。なぜ、そのような不自然な身体運用をすることを泣くほど欲望するのか。(中略)僕は直立歩行が、不安定で、ゆらゆら揺れるようをあの身体運用の「定型がない」という点に、その理由があるんじゃないかと思うんです。四足歩行という機能的な身体運用を捨てて、わざわざ不便な身体運用を選択したことによって、人間はサルと分岐したんじゃなないか、と。
「身体で考える」 成瀬晴彦&内田樹

 長い間、ニッポンの建築は「水平性」であり「床の素材やレベルのヒーラルキー」で成立しているなどと、したり顔で語っていたが、ようやく腑に落ちたような気がした。少し論理的な言葉で言い表すとすれば「意味論的」な建築ではなく「存在論的」な建築ということであり、それはまた想像するに私の身体の無意識下でそのような建築がうごめいており、直立歩行という言葉により古い記憶の地層かゆすぶられ前景化したのだと思う。私が建築を語るとき、語ろうとするとき常に抽象的にしか語りえない、その要因はそんなところからきており、たぶん私たちが現実とかリアリティーと呼ぶ多くのものは独断的にいえば必ずや抽象的にしか語りえないモノのようである。

 ポルトガルのファド、スペインのフラメンコ、舞踏のつま先立ちのバレー、リバーダンスやタップダンスなどに始まり、ついにはジャコメッティのあの細い線のような彫刻やニッポンの禁足を強いる茶室にまで連想は続いた。
 そんな日々の中、何気なく開いた古いノートに次のようなことが書かれてあるのを見つけた。

 ゴリラやチンパンジーと共通の祖先から進化したにもかかわらず、なぜ人間だけが戦争をするのか。戦争は狩猟から生まれたわけでもなければ本能にもとづくわけでもない。(中略)人類はなぜ森林を抜け出て草原へと進出したのか。その理由は直立二足歩行と家族の発明にあると著者はいう。脳の肥大や言語の発生に先立つというのだ。その結果、人類は大きな集団のなかでペア生活を営むという他に類を見ない難題に挑んだというのである。(中略)それでは食と性をめぐるトラブルをどう防いだか。近親婚の禁止と共同の食事によって防いだというのである。(中略)仲間と食事をするのは人間だけである。類人猿は食物を所有して分け与えるが人類は分かち合う。所有の生じやすい食を徹底的に分かち合うことによって葛藤(かっとう)を抑えたというのである。この結束力が無償で家族や共同体に奉仕する行為を生んだ。
「暴力はどこからきたか 人間性の起源を探る」山極寿一著 三浦雅士書評

 また、同じ時期に東日本震災後、過剰に飛び交う言葉から逃れ、少し書くことからも離れる日々を過ごしていた中、手に取ったのが、「ぐずぐず」の理由(鷲田清一)と「うほほいシネクラブ」(内田樹)である。

 ぴたりとくる表現が見あたらずいらいらしているときのみならず、身体をほどき、感覚器官を剥きだしにしているときの世界の感触から、肌で感じる「時代の空気」や「現在という時代の不安」にいたるまで、オノマトペというこの言語表現は、つねに身体的に感応し、音としてその感触を編みなおそうとする。しっくりくる表現がなければ、それをあらたにつくりだそうとする。そしてそこには、概念による抽象ではなく、感覚による抽象ということが起こっている・・・・・・。

 ひとはなぜくりかえし空を飛ぶ夢を見るのか。この問いに新宮一成は、それはひとが言葉を話すからだと、意表をつくような答えを用意している。
 『振り返って考えてみれば、かつて嬰児として横になって上を見ていた我々人間にとつて、言葉はもともと空のものである。それを獲得することは、横になっているだけの存在に別れを告げて、別の存在になるということである。「夢分析」』

 言葉を話すということがそもそも中空に浮かぶ経験だということになる。それは、じぶんから離脱する経験、じぶんがじぶん以外のものになって外側からじぶんを眺めるようになる不安定な経験である。が、言葉によって編まれた<意味>の組織がわたしたちの意識を織りなしていって、やがてこの不安定な言葉の世界こそが日常の確固としたリアルとなる。そこから落地こぼれたときに、ひとは空を飛ぶ夢を見るのだということになる。
 オノマトペとして表出されるのは、これらの、意味として分節される以前の、言語の原体ともいうべき感覚である。これはたしかに(わたし)の身体の奥深くに潜む感覚の記憶ではあろうが、けっして私秘的なものではない。
「ぐずぐず」の理由 鷲田清一

 もう少し年齢が上がると、性的関心が少女たちの世界を覆い始める。それが彼女たちの視野を狭め、事物の解釈を定型化してしまう。世界はそのようにして「性化」されることになる。化粧し、娼態を演じ、恋の駆け引きに没頭する女性はたぶん宮崎駿にとってはもう魅力的ではないのだ。
 性的に熟成するわずか手前の、荒野や辺境を駆け巡り、心ときめく冒険をするに足るだけの身体的成熟には達しているが、性的目的のためにそれを用いることについては、まだ自制する必要さえないほど無関心であるような段階の少女たちこそ、宮埼駿から見ると、「身体を持っていること」それ自体から強烈な愉悦を汲み出すことのできる、例外的、特権的な存在なのでる。
世界は十分に美しく、それはどのような人間にとっても生きるに値する。これが宮崎駿の究極的な映画的メッセージだと私は理解している。
 このようなメッセージは、あるがままの世界をすぐれて愉悦的に享受している存在を経由してしか伝わらない。「空飛ぶ少女」はその理想型である。
宮崎駿の身体 「うほほいシネクラブ」 内田樹

 かつて「言葉が生まれる瞬間に立ち会いたい」とか「神が生まれる瞬間に立ち会いたい」ということをこの紙面に書いたことがある。それはやはり建築や言葉などのいまは、遠く記憶の彼方にある人間が人間になる「命がけの飛躍」の瞬間や場所へ、限りなく立ち会いたいという反復される「既視感」なのかもしれない。
 谷川俊太郎が、オノマトペは「存在の手触り」をわたしたちに伝えるもので、だから「哲学書をオノマトペで書けたらすごいんじゃないかな、とか思うんですけど」と語っていた。それにならって「建築をオノマトペで書けたらすごいんじゃないかな」という建築を思い描いている。

 (藤森)死というのが子どものころから一番の関心事だったんだよ。小学校の高学年くらいかな。死について真面目に考えてね。自分がいなくなった後も世界は変わりなく続いていくということが、なんだかよくわからないし、暗闇のなかに一人で立っているように思えて、空恐ろしくてとても嫌な感じがしたの、それで親父に、死ぬってどういうことかって聞いたら、その問題は昔の人も考えた、豊臣秀吉という人も考えたんだけど、結局答えはでなかったって言って、僕は妙に納得したんだ。
 でも、今でも夜中にふと、冷たいところにぽつんと一人でいる感覚に襲われることがある。そのことは、僕の造形的な関心なり知的な関心に深く関係していて、ものが存在するとはどういうことだろうってずっと考え続けてきた。それを哲学で考えたのはハイデガーで、デザイナーで考えたのはイサム・ノグチ。僕はイサム・ノグチの一連の仕事、特にスタンディング・ストーン状のを見て、ものが存在するというのは、寝ているものが起ることだと思った。寝ている石を起こして初めて、存在が表現される。建築も同様だという答えに行き着いて、今はその問題に対しては心安らかなんです。(中略)僕がインテリアに興味がないのも、そのことと関係しているのかなと思う。外観にしか興味がない。もっと言うと最近は、形よりも素材にしか興味がない。現代建築の流れからは完全に逆行しているけれど、その根底には孤独感というか、存在することへの関心があるんですよ。
創作の根底にある孤独 藤森照信&石山修武

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