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演劇の原点ってどこ?


初めまして。
雪乃美愛です。

コロナの影響で自粛を余儀なくされて
約1ヶ月半。
日々忙しなく生きてた頃と違って
時間がありすぎる為、いろんなことを考えるようになりました。
何か文字に書き起こしたくてうずうずする事柄がいくつか出てきたのでnote始めました。

私の思う演劇の原点について
少しお話ししたいと思います。

私が昔演劇の授業を受けてた時、
その中の一つにコーポリアルマイムというのがあって、
そこで習ったことがとても響いて、
のちに私が思う演劇の原点になりました


コーポリアルマイムというのは
人間のざまざまな感情やうちに秘めているものを身体を思考させて表現する演劇様式です。

いまや舞台演劇は総合芸術といわれていて
照明音響、戯曲、衣装、音楽、
ざまざまな芸術が上手く融合されて
いまの演劇として慕われています。

では演劇の本質ってなんだろうか。
照明がなくても演劇は、できる
音響がなくても演劇は、できる
戯曲がなくても演劇は、できる
衣装がなくても演劇は、できる
音楽がなくても演劇は、できる

…では、役者がなくても演劇はできる。?

いや、役者がいなくては演劇はできない。

そう、役者がいないと演劇はできないんです。
…では役者の本質は?

顔?声?身体?

役者になきゃならないものって
顔でも声でもなく、『身体』だと思うんです

身体がなければ役者は成り立たない。


こんな言葉があります。

「演劇の本質は役者であり、役者の本質は身体である。よって演劇は身体の芸術である」

これこそが演劇の原点だと私は思うんです。


つまり役者がそこに存在する限り
演劇はあり続ける。
私はそう思っています。

コーポリアルマイムは私にそれを教えてくれました。
コーポリアルマイムという演劇様式は私の中で、演劇の原点であり基点。
ほんの少ししか学んではいないけど、
それでも多くのことを学びました。


そして役者の中に『声』がはいると

それは即興劇になるんだと思います。
より人間らしく、より自然に
湧き出る感情のままにそこに、生きる
演じるより人間らしい

今や戯曲主体の舞台が主流になってきてしまっていて、
それ以外のコンテンツはあまり受け入れられないような、否定的な目でみられることが多いけれど、
戯曲主体の舞台を創り出すまでに生み出された
演劇様式の母的存在の即興劇やコーポリアルマイムのような演劇様式こそが、
もう少し注目されるべきコンテンツなのではないか、と私は思います。

即興劇等はいまの演劇様式を産み出す起源となったもの。
だからとても偉大だし否定的にみられていいものではない
もっと主流なものだけが善、それ以外は悪、のような閉鎖的な考え方をやめて視野を広く、
そして即興劇なども戯曲主体の舞台同様に有名になってほしいと強く思う。
こういう『知らないから拒否する』という
内向的に捉えるのではなく、
もっと知ってほしい、そう思っています。

いろんな演劇のやり方がある。
それがあっていまの演劇があることを忘れずにそして、演劇の本質は何かをしっかり
心に留めて、私は演劇と向き合っていきたい。

それぞれの演劇のやり方にもっと自信を持って。
演劇の本質は役者だから。

だから私は、即興劇にも誇りをもっているし
戯曲主体の舞台にも誇りを持ってやっています。
先陣を切ってる方々に感謝と尊敬の意を。



これが私の思う演劇の原点。




雪乃美愛