見出し画像

始まりと終着点 —京極夏彦(2023)『文庫版 姑獲鳥の夏』—

京極夏彦は私の人生を変えた存在と言っても過言ではない。
高校に上がるとき、渋々文系を選んだ私にとって行きたい学部などなく消極的に文学部としていただけであった。そもそも、無駄だとは絶対に言わないが、昔からより実学を好んでいたため、あまり文学なんてものに触れることはなかった。

私を小説の道に引きづり込んだのは、間違いなく友人Oであろう。彼は中学に入りたての私にライトノベルを勧めてきた。タイトルは『金色の文字使い ―勇者四人に巻き込まれたユニークチート―』であった。3年ほどライトノベルを経由し、ふと図書館で京極夏彦の本に手を出すのである。

京極夏彦の本はそこにあるのはずっとわかっていたが、敬遠していたものであった。そうであるのに手を出したのは、『文豪ストレイドッグス外伝 綾辻行人VS.京極夏彦』を知って、実はちゃんとこの本を読んではいないのだが、京極夏彦という存在に興味を持ったのである。(これもOの本だ。こちらの影響も大きい。)

地元の図書館に置いてあるのは、見た目の厳つい講談社ノベルスばかりで手をだしにくかった。そのためそその中一際目立っていた。それが、『百鬼夜行——陽』である。(図書館にあったのは、白い表紙に陽と書いたもので目立っていた。)
この本を読んで私は京極夏彦に取り憑かれてしまった。

なかなかな太さのため最初は躊躇いながら読んでいたが、最後の方は一気に読んでしまった。最後は確か榎木津の話でよくわからなかったが、そもそもこの本が百鬼夜行シリーズの外伝のようなものであったということは当然知る由もなかった。

さて、前置きが長くなったが、こうして京極夏彦について語った私だが、デビュー作『姑獲鳥の夏』を読んでいなかった。正確には読んでいたが、途中で分からなくて読むのをやめたと言った方が正しいか。

そうして3月2日ひな祭りの帰りについ手に取ってついに買ってしまった。流石にそんなにお金を余らせているわけではないので痛手ではあったが、どこかで読んだ「お金がなくてもお金を払って読みたいと思わせる本」という言葉を信じ買ったのだ。

読み始めるとすぐに衝撃を受けた。1章にて、京極堂が「脳」と「心」について述べていくのであるが、私がようやっと辿り着いた内容に細かい部分は置いておいてもかなり類似していることに気がついた。当然、ついかぶることはあれど、このような形で出会うとは思いもしなかった。当然昔サラッと読んだことなど忘れているし、京極夏彦のことを思って色々な本を読んできたわけではない。京極夏彦に取り憑かれていたんだと初めてそのとき自覚した。

初めて京極夏彦によって受けた衝撃は今もなお私の心を支配していた。京極夏彦を読むと毎度書く文章京極夏彦風になってしまう明らかなものから、今回のようにまるで阿頼耶識における種子のように見えず、潜在的なものまで。
高校生の時に鬼、大学入ってからメンタルマップ、認知地理学、仏教学、科学哲学、現象学ときて見事に『姑獲鳥の夏』の一章に辿り着いた。ずっと待ち構えていたのだこの本は、京極夏彦に触れた時からずっと。

しかし、悪い気はしない私の中にあるのは充足感のみだ。定められた運命というのは嫌っていたものの、このような言外の奇跡というような神秘は私の心を満たしてくれるようである。この本の具体的な感想といったものは読み終えたばかりであるので言語化できないため、もう一度読んでからまとめようと思う。京極夏彦の中に今後の私の種子がまだ眠っているかもしれない。楽しみである。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?