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聴こえてくることから考え事

また一つ考え事を。

ここ最近何故か、いない時間に掃除機がなっててうるさいと、管理会社に言われた、そんな怖い経験してます私です。

いっぱい気を使う僕は、常に気を遣っています。
今これを書くときでさえ、言葉とか、こう、色々気にしてます。ただの自己満投稿のはずなのに。

そんな気を使う僕は、今日とあることを耳にしました。
隣からの声からのお話。
とあるカップルで、いずれはお家は建てようと、考えている話の中で、男の子の方が、お家を買うなら大阪ではなく姫路であってほしいという親の言葉をまに受けてしまっていて、女の子の方は大阪に住み続けたいし、男の子が仕事するのも大阪だしわざわざ姫路に行く理由がわからないし、親の言う通りになのが嫌だと、まあ、喧嘩になってました。言い争いだったんですが。
ふとその会話を聞いていて(聞こえていて)、まあ極端な話こんなところにつらつらと書くまでもない、他人のお話なんだけど、聞いてしまって、気にしてる。そんな気にしすぎるきっかけを作ったのは両親の言い争いだったなぁと思ったのでした。

まあ離婚の話は以前したのであれですが、
僕自身、毎日のように言い争い、母が泣き、そんな姿を約6,7年、それも思春期(多感期)に見てきました。
なんとなく、いつか自分が話をもたないとと思っていたこともあり、毎日聞こえてくる、その声から親のことをそれぞれのことを考えて、母には母の接し方、父には父の接し方、第三者としての接し方。あと息子として、の接し方。それぞれをたくさん考えて、親には気づかれないようにと配慮したり、話をしたり、距離感をとったり。気をたくさん使うようになっていました。
そしてそれが自分にとっての当たり前であり、当たり前にするべきことだとなんとなく思ったのです。さらに完璧主義相まって。
ふと、歩いている人、すれ違った人、向かい合った向こうにいる人、前の人、後ろの人、いろんなところからの声に反応して、考えたり、色々な人の話を聞いて、話して、また考えて、これを繰り返していました。
まあそうなると、いろんなことに気づける反面、気遣れになるよね。

考える癖、考え込む癖。

親が親にぶってるのを見て、
そのくせつけないわけないよね。

それ以来、考え事は止まらないし、涙を見るのも苦手。

どうすればいいかわからなくなるから。


そして、そんな隣も泣いてたよ。
涙がいい涙になりますように。

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