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noteを始めたきっかけ

 なんか布団に入ったけど寝付けそうにないなと思いふとnoteを開く。
 沢山のスキ、ありがとうございます。最後まで読んでいただけたのかはともかくリアクションがあるのは嬉しいことなんだね。
 技研も最近は拍手ボタン押してもらえるようになって、モチベーションが全然違う。わたしもTwitterでいいねとかRTすることが増えたしリプは緊張するけど時々するようになったし、コミュニケーションの第一歩を踏み出した感じ。良きかな良きかな。

 前置きはこれくらいにして、今回はわたしが今更感たっぷりにnoteを始めようと思ったきっかけについて書きたいと思います。
 ただ、その理由が理由なのでちょっと踏み込んだことも書くだろうと想定して「(と、その他)」もタイトルにつけさせていただきます。書かなかったらここは残っててもタイトルからは消えてるかも。タイトルが「noteを始めたきっかけ」のみだったら察してあげてください。

 さて、そもそもの話noteは「すごい人が有料でありがたい話を読ませてくれるところ」という認識でした。実際読みたくなる記事って割とすごい人多いし。
 ところがどっこい、「(他のサービスで)もらった誹謗中傷の返事をnoteの有料記事にしたら購入者いた」という話を聞いてなるほど、と。
 その人がすごくなかったわけじゃなくて(誹謗中傷をビジネス? にする時点で十分すごいが)なんだ、著名人じゃなくてもいいじゃん、と。
 そこからちらほらいろんな人の記事を読み始めた次第です。旦那曰く投げ銭機能あるでーとのことながら(まだ金銭絡みの設定見てない)全文無料公開の有料記事(残り文字数0で金額設定つけて「投げ銭してくれると嬉しいな」みたいなことやって)公開してる人とかもいて、使い方は色々あるんだなー、と。
 でも当初は読み専になるつもりだった。

 あの記事を読むまでは。

 それは、大学時代(ネット黎明期)、ネットサーフィンなんて言葉が流行り始めた頃ふと見つけたとある個人サイトの管理人さんの記事だった。
 その人にはサイトの掲示板だったかチャットだったかで他の常連さんと一緒に交流し、時には励まされ、時には迷惑をかけたという思い出がある。その人が常連専用SNS(当時OpenPNEでmixiみたいなSNSが乱立したしね)にも参加させてもらったくらいお世話になったんだけど、 SNSが閉じてからは結構な期間ご無沙汰してて。
 それでも偶然Twitterで見つけてこっそりフォローしたくらいだからわたしもしかしてストーカーの気もあるのか……?
 それはさておき、その人が投稿したnoteの記事を読んでわたしは愕然とした。
 その記事はその人の体験ではなく「彼女」を主人公として書かれたものだったけどとにかく打ちのめされた。
 これがフィクションでもノンフィクションでも、体験したのがその人であっても他人である「彼女」であったにしても、あまりにも痛ましくて、それを読んだわたしがいかにちっぽけな存在なのかと思い知らされた。

 わたしは、本当に何も知らないのだと。
 わたしは、誰も救えないのかと。

 そもそも人間が他人を救うなんて烏滸がましいことだとは思う。んなもん、人間のエゴなんだと。
 でも、手を差し伸べる、それくらいはわたしもできると思っていた。

 それなのに、わたしは何も知らずその人に迷惑をかけていた。
 わたしが原因では無いと言われたのにいやわたしがあなたを不愉快にさせた、申し訳ないと言い続けていた。

 いや、ここでまた謝ったところでその人はきっと「いやいやあなたのせいじゃないよ」と言うだろうし実際わたしは加害者ではない。それにわたしがnoteで記事を書くきっかけになった記事の主人公はその人ではなく「彼女」、あなたの苦しみに気づかなくてごめんなさいと謝るのもお門違いだろう。
 たとえ「彼女」がその人本人であったとしても「彼女」として書いているのだから「あなたのことですよね」と言うのは間違っている。

 それでも。
 あの記事はわたしに一つの波紋を落とした。
 それくらい、言葉には、文字には力があるのだと思わせた。
 一応、AWsという場で小説を書く身としてはわたしの言葉のなんと軽いことかと思わせるには十分すぎる重い言葉。そして強い言葉。
 そんな、強い言葉を出せるくらいに強い人間になりたいと思った。
 それくらいに、わたしを突き動かす記事だった。

 それはまるで、闇の中に建てられた道標のようで。
 わたしはnoteに記事を書くことを決意した。

 まぁ、その人にしたら「自分が書いた記事読んでなんか勝手に動き出した人がいる」という認識になるかもとは思うけどね。
 でも言いたい。
 「あなたの言葉が1人の人間を変えるかもしれない」と。
 わたしのこの行動が正しいか間違っているかなんてどうでもいい。でも背中を押された人間がいたことは間違い無いのだよ、と。

 正直なところ、わたしは非常に弱い人間だと思う。最近は言いたいことをある程度口にすることができるようになったけど基本的に自分が黙って我慢すればいいと一人で抱え込むし、たぶんそのせいで統合失調症なんて発症させて障がい者案件になってるし(その辺、幼少期の環境もあるだろうが)本当に弱いと思っている。強いところがあるとしたら旦那に比べてゴリラなところか。

 とにかく、わたしは周りからの刺激に対してずっと受け身だった。わたしなんかが周りに刺激を与えるなんてやっちゃいけない、と自分に呪詛をかけていた。
 変わるきっかけになったのは旦那。旦那と付き合うようになってわたしは自分の殻を破ることを覚えた。だから旦那には感謝してる。
 と、言いたいけど、いや、言うんだけどその旦那と付き合うきっかけを作ったのも実はこの記事を書くきっかけになったその人なんですね。
 その人がSNSを立ち上げてなかったら。そこにわたしが参加していなかったら。
 旦那を知ることはなかったしわたしは閉じこもってたか自死していたかという結末だったかもしれない。
 あのSNSに参加した当初は分かってなかったことは数多く、まだ分かってないことも沢山あると思う。でも、その人の存在がただ逃げて自分の殻に閉じこもっていたわたしに一石を投じた。
 ここに至るまでに苦しいことも沢山あったけどそれでも歩く勇気をくれた。
 それくらい、(本人は意識してないだろうけど)強い影響を受けたんだな、とこの記事を書いて振り返ると思う。
 わたしの人生の半分にその人の生き様が影響したんだなって。

 それを伝えたいような、恥ずかしいような、な感じなのと該当の記事を大っぴらに勧めていいものか分からないのでここでは紹介しませんが、でもどこかで伝わるといいな。
 でも本人に直接言うのは恥ずかしいのだ(このへたれめ)

 とにかく、noteという場は著名人だけの場じゃないな、と。わたしみたいな、なんの輝きもない石ころみたいな人間でも踏み込んでいい場なんだな、と思ったわけです。
 いや、その人が凡人とは言わないよ? わたしの中では結構すごい人だし。ただ、わたしが勝手に背中押してもらえたーと思ってるだけだし。

 さて。
 ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
 ここで覚えてる人いるでしょうか?

 タイトルの「(と、その他)」が消えています。
 つまりそういうことだ。
 いろいろ書いてるうちに「あ、この場で書くことじゃねーや」となりました。
 内容としては書きたいことだし次回か、そうでなくても近いうちに書きたいと思っています。
 どう表現していいか迷ってはいますが。

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