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自己紹介 コンサルタントがnoteを始めた理由

ご訪問いただきありがとうございます。私の名前は関 教宏(たかひろ)です。株式会社マネジメントパートナーにて人材・組織開発コンサルタントをしています。初めてご覧いただく皆様に「私は何者なのか」「なぜコンサルタントがnoteを書くのか」をお伝えしたいと思い筆を取りました。長い自分語りですがお付き合いいただければ幸いです。

挑戦・迷走・挫折を繰り返してきた30年①(人力車で起業→勘当→挫折)

私は1980年7月11日、静岡県の西伊豆にある松崎町という小さな港町で、町工場の長男として産まれました。子供の頃は父の工場に出向き、機械に様々な指令を与えて動かしている姿をカッコいいなと思っていました。

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そんな父の遺伝なのか、算数や数学にはなぜかやたらと強く、買ってもらったファミコンでマリオやドラクエには目もくれず、延々と「ファミリーベーシック」でプログラムを組み遊ぶようなマニアックな子供でした。

でも中学、高校と歩みを進める内に、仕事を継ぐ継がないの話が(今思うと当然ですが)出てきます。

その頃すっかり色気づき、自尊感情も高くなっていた私は「敷かれたレールにゃ乗りたくねぇ」などと、厨二病を高校3年生にして発症し、「父より稼ぐ人間になる、できなければ帰って継ぐ」という訳の分からない約束をし、一先ず大学に進学する事になりました。

そんな中始めたのが人力車の仕事です。今でこそポピュラーになり、アルバイトでやっている方も多いですが私が始めた頃はフルコミッション(業務委託)で、「金の稼ぎ方を身につけたい」という動機で始めてみました。

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そしたら、稼げる稼げる。(笑う所ですよ)すっかり味を占めた私は「人力車で天下を取るぞ」などと思い至り、就職活動で頂いた内定を全てお断りし、そのまま人力車で起業、渡米するという暴挙に出ました。

当然父が許すはずもありません。「もう帰ってくるな」とドラマで聞くような親不孝な台詞を言わせてしまい、私は勘当され、両親と気まずいままアメリカに渡りました。

その後はもう必死でした。知人のツテでタダ同然のアパートに住み、客引きし、チップをもらいながら、結婚式場、ホテル、遊園地に営業する日々。

でも私は甘かった。イナセな兄ちゃんが、珍しい乗り物を引いて観光案内、イベントを行う。それだけで商売が成り立つと思い込んでいました。

「それで、ベネフィットは?」と問われて、答えられない。必死で考えてその場凌ぎの答えを出すも、根拠がない。「自由の国」は、調子に乗った若者の出鼻を挫くには充分なほど厳しかったのです。

その後帰国し、他にやる事もなく、何となく続ける観光案内。再びチャレンジしようと当時の仲間に呼びかけるもつれない返事。物凄く苦しかったですが、このまま続けてもみんなが不幸になる道しか、当時の私には見えなかったのです。

挑戦・迷走・挫折を繰り返してきた30年②(リクルート子会社に就職→適応障害→結婚)

失意のまま、私は初めてサラリーマンの道を模索し始めます。当時は就職氷河期真っ只中、人力車での起業経験しかない怪しい若者など、履歴書の段階で見向きもされませんでした。

そんな中、私に目をかけてくれた頭のネジが飛んでいる会社(褒め言葉です)がリクルートHRマーケティング(現リクルートジョブズ)でした。

面接の段階で「今日は関さんに対して当社に出来ることは何か説明させてください」というネジの飛びよう。(褒め言葉ですよ)ここで頑張ってみたいと思って入社しました。

※この頃には、父親との確執は緩和されていきました。大企業の影響力は凄い。

そこからは再び怒涛の日々。売り上げトップで表彰されたりもしました。でも、その内後輩の育成や他部門との折衝など、これまでの人生で経験したことのない「社内営業」の世界に直面。

私は「なぜ俺がそんな事に気を使わなければならないのか」と、半ば怒りのような感情を持っていました。当然、周囲との距離は開いていくばかり。私は段々と孤立していったのです。(一方で妻との出会いもあり、悪い事ばかりではなかったです)

そうした日々の中、自分の心の中にある怒りや、うまくやれている人への嫉妬心など、醜い自分に耐えきれずに、私は眠る事が難しくなり、適応障害と診断されるに至ります。

勿論仕事は続けられず、休職→退職。なんとか雇っていただける会社と出会い、自分自身と戦いながら過ごす日々。今思えば、この時期に結婚を決意していただいた妻には感謝しかありません。

そんな中子どもを授かりました。年齢にして32歳。強烈に思ったのです。「お前、このままでいいのか?」と。

暗中模索の中出会った仕事、それがコンサルタントなのです。

コンサルタントとして生きていく覚悟

人力車時代に学んだ「お客様は価値を感じなければ買ってくれない」という教訓、リクルート時代の後悔から学んだ「社内を巻き込まない人間は組織の力を活用できない」という教訓。挫折や後悔ばかりの姿勢を生まれてきた子どもに見せたくない!と強く思った私は、同時に「私のように思っている人は世の中に一定数いるのではないか、今はそう思っていなくても、一緒に考える仲間がいなければそうなってしまう人はいるのではないか」と思うようになりました。

そして、これまで本気で関わってくれた人たちのことを思い出しました。「両親は、いつだって私の幸せを一番に考えてくれた」「妻は、いつだって私が叶えたい理想に真剣に向き合ってくれた」と。

つまり、私は「寄り添ってもらう」事によって、これまでの40余年を何とか生きてこれたのです。

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私も誰かの人生に寄り添いたい。それが自分の人生を賭ける仕事であるはずだ。そう考えた結果、マネジメントパートナーとの出会いがあり、今に至ります。

これから先、世の中は色々と変化し、その度に組織も、人も変化しなければならないでしょう。しかし、変化は皆不安なはずです。経験してきたから痛いほどわかります。誰か寄り添う人がいる事で安心し、乗り越える活力が生まれるなら、こんな素晴らしい仕事はないと思っています。

noteを書く理由

世の中には無数のコンサルタントがいますが、コンサルタントにとって、発信の内容そのものこそが差異化できる価値と考えています。

このような人生を歩み、かつコンサルタントとして様々な理論・手法を研究してきた私だからこそ、「挫けそうになった時はどう立て直せばよいか」「本当に人が育つ組織とはどういう組織なのか」の両面で解決策を提言できます。

私の発言で、少しでも変わる勇気を持ってくれたり、頑張ってみようと思ってくれれば、それが私の人生の価値であると考えています。

今はSNS、ITの発展によって、「個」の発信が誰にでもできる時代です。そうであれば、「よくわからない」という理由で発信をしないでいることは、自分の人生の可能性を勝手に狭めているだけだと思うに至ったのです。

普段、仕事の中では研修やコンサルティングを通じて様々なお立場の方と対話をしています。でもその中では拾いきれていない本音や本心があるかもしれない。

noteでは様々なお立場の方との交流を通じて、一人ひとりの挑戦や変化にこれまで以上に寄り添っていきたいと考えています。

「こんな事について書いてほしい」「ここに悩んでいる」どんな事でもおっしゃっていただきたいと思っています。皆様と一緒に悩み、一緒に変わっていきたいです。

これからも、どうぞよろしくお願いいたします。





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