デデデデ後章を観た感想(ネタバレ)

デッドデッドデーモンズデデデデストラクション後編を観てきたので感想を書きます。
原作は未読です。ネタバレはします。

まず、前編とは全くテイストが違っていた。
前編を期待して見にいくと肩透かしに合うだろう。

だけどそれは当然の話で、前編で日常は終わっていたのは明白だった。
それは作中世界の状況としてもそうだし、門出とおんたんにとっても大学に入って、新しい交友関係も出来て、人間関係も今までとは変わっていく。
前編は日常の中の非日常というテイストだったけど、後編は非日常の割合が増えていく。
そうしないと、この話は終われないのは明白なんだから、後編がこうなったのは観終わって考えを整理していたら納得した。
直接的な表現は増えるし、人はどんどん死ぬ。
前編とは全然違う。

途中から設定をひたすら話すような構成になっていたのは、少し残念ではあった。
あと、マコトくんのSF耐性があまりに強すぎた。これはマコトくんが強キャラということなんだろうか。
マコトくんのお友達の頭お花畑の方が社会耐性が無さすぎて反省を促されているのと対照的だった。

「反省しろ」というワードセンスは本当にいい。
そして、それを発声するあのちゃんも良かった。

この映画をセカイ系の括りで話すとしたら、凡百な話しか出来ないだろうし、イソベやんがドラえもんのパロディのように、侵略者の道具が秘密道具であるように、結末もセカイ系のパロディになっている気がする。
だから「エヴァに似てる」だの「天気の子に似てる」だの言うのは、甚だ見当違いだろう。セカイ系のパロディ。

見るべきは、未来を見たテロリストだったり、正常性バイアスに染まった人間だったり、それでも日常を過ごす人間だったりするんだろうけど、それはそれでシニカルすぎる気もした。

クライマックスのシーンがあまりにあっさりしているのは、むしろ良かったし、何故かスッキリした。
何も知らず、苦しむ間もなく、ただ無意味に死ぬんだったら、あっさりしている以上の救いはない。
フィクションの世界でだけでも、東京爆発してほしいから、その欲が満たせた感じ。

大葉が帰ってくるという結末にした理由はよく分からなかった。
タイムシフトマシンで本来変わらないはずの未来を意思で変えたというだけでも、話としては充分だったんじゃないか?
この状況で大葉がおんたんと再会したところで、何か希望はあるんだろうか?
これは間違いなくハッピーエンドではないし、むしろ大葉が帰ってこない方がすっきりしていたんじゃないか?
この物語って、結局のところ、おんたんが主人公だと思うから、主人公を救済したということなんだろうか?
それでもひろしは死んでしまったしなあ。
よく分からん。

総評。
よくわかんなかったけど、面白かった。

あのちゃんと幾田りらは名演だった。
特にあのちゃん。恋する乙女まで出来るとは。

もう一回見にいくかは微妙だけど、原作は読んでみようと思います。

ここで一曲。

幾田りら - 青春謳歌 feat. ano

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?