鏡を見続けていて狂う

鏡は嫌いだ。極力見ないようにしている。
なぜかって、それは自分の醜さを直視したくないからだ。
自分の存在は一人称だからギリギリ耐えられるけど、俯瞰で見ると、とても耐えられない。
本当に自分が嫌いだ。こんな奴、誰だって嫌だ。
このnoteだって書いていると鏡を見ているような気持ちになって、本当に嫌な気持ちになる事はある。

それはそれとして、私は自分のことしか分からないから、他人も自分と同じような考え方をしているんだと思っている。
私は私のことが嫌いだから、周りからはいつも嫌われているような幻聴が常に聞こえている。

こういう幻聴に対して「人はお前のことを気にしていないよ。自意識過剰」なんて言う人がいるけど、それはお前が気にしていないだけだろ。
少なくとも、こっちは気にしているよ。そんなに世界に対して冷たい人間じゃないので。
人が人のことを値踏みしていないわけがない。
そういう嘘を言うお前が一番嫌い。

他人を鏡として見ているのが良くないんだろう。
だけど、そこまで人を信じられないし、そもそも他人とは生きている空間は同じでも、世界は違うと思っている。
それに、自分のことも分からないのに、人のことが分かるわけもない。
そこについては諦めている。
母国語が得意じゃない人が、別の言語を得意になる事はないのと同じだと思う。
それにしても自分のことって全て分かっているはずだ。自分なんだから。
それなのに自分が未だに分からないから、他人についてはもう諦めた。

常に人に対して悲観的に捉えている。鏡だから。
他人は私のことを嫌いだし、卑屈でクズな考えをしていると考えている。

人に対して嫌な気持ちになる事はとてつもなく多いから、その悪い感情が全て鏡によって跳ね返ってきているのは感じる。
実際、「嫌われていそうだな」と思っている人にはこちらもそういう態度になるし、相手も察するから、いずれ本当に嫌われることになる。
もしこれが「嫌われていそうだな」ではなくて、もっとニュートラルなところに立ち位置があれば、多分嫌われる事はなかったはずだ。


実はこういうことをぐだぐだ考えている自分は大好きなんですよね。
何なら、誰かと話すことによってこういう思考が吹っ飛んで、濁って、恨み節すらも無くなってしまったら、それは自分ではないとすら思っている。
自分でなくなる事は自殺と同じだから、人と話したくないし、お酒を飲みたくないというのも事実ではある。
自殺したくない一心でいると、こうやって恨み節だけがインターネットに残るんだけど、それについての責任は私にあるんだけど、責任をとりたくはないです。





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