悔しいけど未だに夜が好き

高校生の頃、家に帰りたくなくて、ひたすら西武新宿線沿いを歩いていた。
気づいたら新宿駅に着いていて、当時はまだまだいたホームレス達が新宿駅地下通路から朝の仕事に出掛けるのを見て、こんな世界があったんだ!と思ったのが私の原点だ。

西武新宿線は適度に明るいけれど、味気ない線路がまっすぐ続いていた記憶がある。
興奮はもちろんあったけど、夜の暗闇でその興奮は中和されていて、感情も何もない夜を歩いていた。
当時はイヤホンも持っていなかったけど、ひたすら歩いていた。野方から、新宿まで。
そんな一日だけの家出だったんだけど、未だにあの夜を覚えている。

今も深夜に外に出て歩くのは好きだ。
昼間に散歩するのも悪くはないんだけど、やっぱり私は陽の光の下で堂々と歩けるような人間ではないから、何となく罪悪感がある。
東京の夜は明るいから、歩くのには何の支障はない。
ラジオとSpotifyに頼れば夜の空虚な感じも埋まる。

でも私の夜は、もっとどうしようもない、ありふれた夜だ。
一人で眠れないけれど起きている意味もなく、電気を消した部屋の中でパソコンの明かりだけが点いていて、モニターにはただテキストと動画が流れている。
そこには他人の干渉もない代わりにそれ以外は何もない空間で、寝れないままに夜が更けていって、気づけば新聞配達の原付がエンジン音を立てる。
それで夜明けを知って、観念して寝る。そんな夜。

その頃にはラジオを聴くという概念はなかったけど、知ってたらハマってた可能性は高い。

夜が好きということは今ではコンテンツと化しているから、私はコンテンツの中に埋もれていることになる。
自分の家の周りに勝手に新しい家が出来たような感覚。
気づいたら住宅地の中に紛れ込んでしまったけれど、私は夜の古参ファンだと自負している。
古参アピールが一番ウザいのは分かってるけど、たまには言わせてくれ。


夜のコンテンツをよく見ると、夜遊びの先にある夜だったり、夜明けだったり、夜ふかしだったり、色んなものがあって、大体のものは好き。
コンテンツに合致してしまっていることは悔しいけれど、好きなものは仕方がない。
夜系なんて括られるけど、そういうのが一番大好きなんです。
踊らされてるのは分かってるけど、踊るのは楽しい。

これから先、世の中がどうなろうとも、それだけは変わらない自信がある。
もちろん陽の光を羨ましいと思う気持ちはあるけれど、陽の光の下にいないことにプライドがあるから、ギリギリ自分を保てているというのも事実。

最近は日が長くなってきているから、早く日が沈まないかなって思います。
というところで、ここで一曲。

Midnight Grand Orchestra - 夜を待つよ

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