まだイートインコーナーがあった
駅の周りには、楽しく生きていそうな人がたくさんいた。
例えば私立大学の学生だったりとか、バンドマンだったりとか、飲み屋で楽しそうに酒を飲んでいる人たちとか、そういった人たちだ。
土日になれば、人がどこからか来て、何かの店に並んでいる。
SNSで紹介されたとか、食べログの評価が高いとか、そんなところだろう。
その店は平日は満席ではあるけれど並ぶほどではないお店だということは知っている。
ガールズバーのキャッチですら楽しそうに見えた。
彼女らは携帯を弄って面倒くさそうにしているけれど、それでも街の一部として認められているような存在感がある。
「リア充爆発しろ!」なんて言うつもりはないし、思ってもいないけれど、居心地が悪いことは確かだった。
楽しく生きていない人間の居場所がないように思えたからだ。
私は楽しく生きていない人間だから、いつも電車から降りて窮屈だと思っていた。
楽しくない人間の居場所は、明るい雰囲気がある訳でもなく、かといって暗い雰囲気でもない、中庸な場所にある。
人が滅多に通らない道だったり、誰もいない公園のベンチだったり、そういう場所だ。
何なら、広い道の脇とか、そういったところでも良かった。
とにかく金がかからないで街にいられるなら、どこでもいい。
都心には、特に駅の周りにはそんな中庸な場所を許すような余裕はない。
何もしないで道端で突っ立っているにも、道が狭いから誰かの邪魔になる。
都心では、何もしないでいるのにも、何もしないでいる為に作られた場所に行く必要がある。
試しに安めの喫茶店に行ってみても、いるのは何か作業をしている人だけで、窮屈な感じがした。
喫茶店にいるのは、喫茶店にいる為に金を払った人たちだけだ。
ただ、一つだけ中庸な場所を見つけた。
コンビニのイートインコーナーだ。
イートインコーナーの照明は何故かそこだけ照明が落とされていて、何かをするのに向いていないようになっていた。
本を読むことすら厳しい、劣悪な環境だ。
多少金がある人間は、近くの喫茶店を選ぶだろう。
それでも、そのイートインコーナーは常に人がいた。
スポーツ新聞を読んでいる老人、一心不乱にスマホを弄るバンドマン風の男、学校で配られたプリントを読む高校生。
何なら、人種すら多種多様だった。この街の他のどこにもない中庸な場所に、そういうものを求めている人が集まってきているような感じがした。
街には、楽しく生きている人間だけではなくて、楽しくない、金もない、でも居場所が欲しいような人間がいる。
そういう人間をイートインコーナーで見ることが出来た。
自分の人生は楽しくないけれど、少なくとも生きていることについては否定する必要はないのかなと思った。
だって、イートインコーナーがあって、そこに人が集まっているじゃないか。
自分を否定するなら、その人達全てを否定することになる。
こういう自己肯定感の高め方って不健全ではあるかもしれないけれど、私はやっぱり自分を肯定する為に他人を必要としているみたいだ。
それにしても、イートインコーナーの明るさはもう少し明るくしてもいいと思うけどな。
まるで、彼らには光を照らしたくないみたいじゃないか。
せめて照明ぐらいは照らしてあげてほしい。
それに、居心地を悪くしているつもりかもしれないけれど、案外彼らにとって暗い方が居心地良いかもしれない。
以上、今ではイートインコーナーを使わずに格安チェーン喫茶店に行って二時間粘る人間からの意見でした。
海想列車 - 湊あくあ