シン・仮面ライダーにおけるライダー2号、いや一文字隼人の話
今回は前回投稿した、映画「シン・仮面ライダー」のキャラクターデザインに関しての記事では触れられなかった、仮面ライダーシン2号(仮称)についてのあれこれです。
以前から前田真宏氏によるティーザーポスターや、公式twitterの投稿などで登場を匂わせていた2号ライダー・一文字隼人のビジュアルが、演じる柄本佑氏とともに2022年新年早々発表された。 予想されていたこととはいえ、公開まで1年以上期間がある中での思わぬサプライズであった。
正直、シン・仮面ライダーについて色々と期待という名の妄想を楽しんでいた者としては、本作に2号ライダーの登場が確定したことに少なからず面食らってしまった。 というのも、また前置きが長くなりそうで申し訳ないのだが・・・ 私が抱いていた妄想の内容はというと、既に今日のハリウッド映画の柱の一本ともなって久しい、アメコミ原作のスーパーヒーロー映画と同じような雰囲気をシン・仮面ライダーに期待していたからなのだ。
ヒーロー映画の方程式
しかし、じゃあ具体的にはどういう妄想だったのかと聞かれれば、難しい。 既にアメコミ映画も戦国時代もかくやの状況だ。新作が毎年のように公開され、内容もまた千差万別になってきている。 今更、やれ「大人の鑑賞に堪えうる」だとか「デートムービーのような」といった一昔前の決まり文句も使いたくない。 もはや映像技術の革新によってタガがはずれ、かなりマンガチックなキャラクターも自由に登場できるようになった今の映画界で、日本のシン・仮面ライダーはどう戦いを挑むのか・・・
なんていう妄想を、寝る前に何度も何度もしていたのだ。
で、結局私は正攻法が一番いいと考えた。 ここで言う正攻法の例とは、原作を巧みに再構成し、現代にアップデートして見せたスパイダーマン(2002)やアイアンマン(2008)といった作品である。
そもそもヒーロー映画の1作目というものは、どうしたってオリジン=誕生秘話を描かざるを得ない場合が多い。 極端な話、ヒーロー映画の1作目とは主人公がヒーローになる過程、戦う動機を観客に納得させ、共感させる大プレゼン大会であると言っても過言ではないだろう。 それはもちろん、より多くの人々の支持を得て長続きする強いコンテンツに育てあげるためだ。
そうなると、出来るだけ丁寧にヒーローのオリジンを描くことになり、であれば少なくとも前半の1時間ほどはそのセットアップに使わざるを得ない。必然的に、ヒーローの爽快な活躍は後半へと押しやられていく結果になってしまうのだ。※1 「アメコミ映画は2作目が面白い」なんて評をよく聞くのも、すでに前作でセットアップが完了しているので、序盤から自由にキャラクターやアクションを描けるという点が大いに関係している。
※1 もちろん例外もある。リチャード・ドナー監督のスーパーマン(1978)やティム・バートン監督のバットマン(1989)はオリジンを必要最低限しか描いていないが、どちらも傑作である。
私的シン・仮面ライダーのあらすじ(妄想)
そこで思考実験として、私的な妄想版シン・仮面ライダーの内容を、ストーリーラインは1971年のTV版や石ノ森章太郎萬画版を参考に、全尺は2時間半を越えることはないと仮定して、近年のアメコミ映画の方程式に当てはめつつあらすじを書き出してみる。
・主人公本郷猛はショッカーに拉致され改造手術を受け、脳改造の寸前でからくも脱走する。
・脱走を手引きしてくれた恩師緑川博士を蜘蛛男に殺され、怒りと苦悩の中戦いへと飛び込む仮面ライダー。
・なんとか蜘蛛男に勝利する仮面ライダーだが、その体は既に改造され普通の人間のものではないことも改めて思い知らされるのであった・・・
と、大体ここまでが前半の内容ということになるだろう。 加えて、主要人物として紹介されている浜辺美波女史演じる、ヒロインの緑川ルリ子や、可能性だけで言えばおやじさんこと立花藤兵衛※2の存在も考慮せねばならないだろう。
特にルリ子の場合は、TV版・萬画版両方で描かれている「本郷が父・緑川弘を殺したと誤解する」という展開も、生かすか外すか一考せねばなるまい。
ここまで読み進めた方ならばもうお気付きかと思うが、要するに私はシン・仮面ライダーという企画が発表された当初から、本作が本郷猛のオリジンに特化した内容になってくれないかな、と期待していたのだ。 もっと言えば「最初の仮面ライダーとはどういう作品だったのか?」というそもそも論を、万人に勧めやすい2時間前後の映画というカタチで布教出来る作品になってほしいと願っていた、という表現の方が正しいかもしれない。 妄想とはいえ、
「ゆくゆくはニチアサとは別のラインでのシリーズ化を目指すのなら、2号ライダーという切り札は1作目で切るべきではない」
なんてプロデューサー気取りの小ざかしい理論武装もしていた。お恥ずかしい限りだ。 正直、そんな妄想をこうやって吐き出す場所がある時代で本当に良かったと、心底思っている。
さてさて、話は妄想映画プロットに戻って、では2号ライダーの登場なしにどうやって後半へ向けてストーリーとアクションを盛り上げていくのか? なんと、この点に関しても近年のアメコミ映画の方程式が参考にできるのだ。
それは、バットマンビギンズ(2005)やアメイジング・スパイダーマン(2012)が採った方法である。 この2作の共通点は、原作において知名度の高い敵キャラ※3は1作目がヒットした場合の2作目の目玉としてとっておき、1作目ではしっかり主人公周りの地盤を固めるため、多少マイナーな敵キャラをメインに持ってきていたという点だ。
※3 バットマンでいうジョーカー、スパイダーマンでいうグリーンゴブリン。
そして、原作のひとつであるTV版仮面ライダー(1971)にはその役割にぴったりの敵キャラがいる。 第3話に登場したさそり男だ。
その正体は、かつてオートレーサーとして本郷の親友かつライバルだった早瀬五郎。長年にわたる本郷への劣等感から、ショッカーに自ら進んで協力し改造されたという設定だ。 ショッカーによる怪事件の捜査に協力すると見せかけ本郷に近づき、その命を狙う早瀬。
ついにはかつての友人の変わり果てた姿を知り、苦悩する本郷・・・というのが3話のあらすじである。
後の本郷の良き相棒・滝和也や、もっと言えば一文字隼人の原型をも思わせるこの早瀬というキャラこそ、1作目の敵に相応しいのではないかという考えに至ったのだ。 加えてひとつ本音を言ってしまうと、1号2号の共演という意味では前回の記事でも言及した、仮面ライダーTHE FIRST(2005)と印象が似通ってしまうのではないかというお節介な危惧もあった。
ショッカーの刺客となった親友早瀬と戦うことになる仮面ライダー、からくも勝利するが空しさだけが残る結果に終わる・・・ そんなほろ苦いエンディングの中、エンドクレジット後のおまけパートに登場する謎の男。 観客は「あれは滝だよ!」「いや一文字だ!」「ゾル大佐じゃないか?」「まさか首領!?」なんて感想を言い合いつつ劇場から帰っていく・・・ そんな未来予想図が私の脳内には広がっていたのだった。去年末までは。かろうじて。
ショッカーの敵、そして人類の味方!
だが、冒頭で述べた通り、現実には映画シン・仮面ライダーには柄本氏演じる一文字隼人が登場すると公式発表されたのだった。 ライダースーツを身に纏ったその姿は、おそらく顔見せ程度の出番ではなくガッツリと本編に絡む重要な役どころなのだろうと想像させる。
うん。まあ、どんな作品であれ、公開されるまでの自由に想像を膨らませている期間こそが楽しいんだよな・・・ 俺の見たい作品がみんなが見たい作品ではないしね!等々、しばらく黄昏れていた三が日でした。
しかし、発表から二週間以上が過ぎて、ふと脳裏をよぎるものがあった。 「待てよ、一文字隼人が登場するということは・・・」 「まさか庵野監督はこれ1作で萬画版の13人の仮面ライダー編※4までをやるつもりなのでは!?」と。
そういえばと、シン・仮面ライダー公式twitterにアップされた画像を遡っていると、こんな写真が。
これはひょっとして、ひょっとするのだろうか。
ご存知の方も多かろうが、仮面ライダー(1971)における1号ライダーから2号ライダーへの交代劇は当初から計画されたものではなく、藤岡弘、氏の撮影中のバイク事故によって偶発的に起こった展開である。 撮影続行が困難なほどの大怪我を負った藤岡氏に代わり、急遽番組に登場したのが佐々木剛氏演じる一文字隼人であった。 当初は「激戦の最中本郷猛が死亡し、代わって一文字隼人が現れる」などという展開も想定されていたが、「ヒーローを殺してはならない」という平山亨プロデューサーのポリシーにより、本郷は渡欧したという設定に落ち着き、藤岡氏の復帰とともに番組の人気を支えるダブルライダーの共演というスタイルへと繋がったのだ。 番組存続の危機に際しての、先人たちの奮闘努力には頭が下がる思いである。
そして、この事故が別の化学反応も生んでいた。
誰も予想だにしなかった撮影中の不幸な事故を作劇に巧みに取り込み、TV版では一文字の「本郷はショッカーの別計画を追い日本を離れた」という台詞のみで処理された本郷の顛末を克明に描写し、かつTV版と同様に『仮面ライダーは一文字に交代するが、本郷は生かす』という離れ業をやってのけた作家がいたのだ。 そう。原作者、石ノ森章太郎氏である。
さて、その萬画版における仮面ライダーの交代劇はこうだ。 ショッカーと戦う日々を送る本郷のもとへ、新聞記者を名乗る一文字隼人という男が訪れる。 一文字の様子に不穏なものを感じた本郷は、彼の身体に改造手術の痕跡を見つけ疑惑を確信に変えるが、それすらもショッカーの罠だった。 一文字はショッカーのコンバットマンであり、裏切り者の本郷を処刑するために使わされた12人の仮面ライダーの一人だったのだ。 13は死の数字。本郷を含めた13人の仮面ライダーの死闘が始まった。 しかし、その渦中で本郷は敵の圧倒的な数の暴力の前になすすべもなく・・・
この後、紆余曲折あり一文字はショッカーの洗脳から解き放たれ、本郷の遺志を引き継ぎ新たな戦いに挑む・・・といった内容である。 なすすべもないまま、ショッカー製仮面ライダー軍団の攻撃を受ける本郷の姿は、当時の読者たちにどれほどの衝撃を与えたことだろうか。
今のところ、この13人の仮面ライダー編を映像化した作品はない。 TV版でのショッカーライダーは、人数も萬画版の半分である6人であったし、強敵ではあったがイベント編の一環としての色合いが強かった。
THE FIRSTの続編である仮面ライダーTHE NEXT(2007)でも、前作こそ萬画版の要素が色濃かったが※5、THE NEXTにおけるショッカーライダーの扱いに関しては、作中そこまで比重は置かれていない。
※5 変身ではなく仮面とスーツを着用する、コブラ男とヘビ女の関係、ショッカーの刺客として送り込まれる一文字隼人等々。
旧1号の印象をそのまま残しリデザインされたシン1号(仮称)のビジュアルや、TV版OPを徹底的にトレースした2つの特別映像によって先入観を持ってしまっていたが「ビジュアルは一般層への訴求力が強いであろうTV版だが、内容は萬画版」という、ハイブリットな作品になるのではないか?という新たな期待がここ一月で私の中で膨れ上がった。
そういうモードで柄本氏のライダー姿を見ると、氏のフィルモグラフィも相まって、ショッカーの影をどこか含んだ不適な笑みを浮かべているようにも見えてくるから不思議だ。
いやいや、待て、落ち着け。すべては予想に想像を重ねた私の勝手な妄想にすぎない。第一何の根拠もないじゃないか。 でも、もしかしたらもしかするかも・・・ たとえ一縷の望みであっても、大画面で13人の仮面ライダー編が見られる可能性があるかもしれない!それって最高じゃないか!
という、堂々巡りの思考の罠に陥ってしまい、不安定な精神状態にある年始めでした。
長々と失礼いたしました。これでシン・仮面ライダーに関してモヤモヤと脳内でこねくり回していたものは、ほぼ全部出し切ったように思います。 やはり映画というものは、待っているときが一番楽しいと再確認できた今日この頃であります。