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#ビギナー を久しぶりに見たらあの頃の私の憧れが詰まっていたという話

今年の連休に、ドラマ「ビギナー」をDVDで見返した。
2003年にフジテレビ月9で放送していた、司法修習所が舞台のテレビドラマである。
当時中学生だった私は、このドラマに大きな影響を受け、憧れた。
ただ、私このドラマが物凄く好きだったのだけど、それでは「ビギナー」の何が特別なのか、他の法律ドラマとは違うのかと聞かれると、上手く答えられなかった。
また、「ビギナー」の何に憧れたのか、司法修習生や、もっといえばその先の弁護士、裁判官、検事になりたかったのかと言えばそうではない。
そのあたりの気持ちを説明する経験や想像力、そして語彙を中学生の私は持ち得ていなかった。

大人になりビギナーを見返して、このドラマの面白さや、自分が当時憧れていた気持ちを少し言語化できるような気がしたので、noteに書き残しておこうと思う。

まず、今回ビギナーを見て一番強く感じたのは、「このドラマが描きたいことは、司法の判断をする上では感情を排除しなければならない」ではなかった。ビギナーのwikipediaにはそう書いてあるのだけど、私はそうは思わなかった。
むしろ、私が感じたのは、どちらかと言うとその逆である。
「社会が正しさを選んでいくことの難しさ」
「市井の市民として、法律は遠い存在だし、絶対的に思えるが、実はそうではなくて、法律にも解釈がある。その中で社会として『正しさ』を選択していくのは、どういうことなのか」
「人と人が、争う中で、折り合いを付けていくというのはどういうことなのか」
ビギナーが描こうとしているのは、こうした問題意識であるように感じた。法律を扱うドラマだけど、描きたいのは法律的な正しさなのではなく、「人」。法律を使う人たちを描いたドラマなのだ。
だからこそ、このドラマはいわゆる事件ものではない。事件が解決することが目的なのではないのである。
人と人がぶつかり、そこにどのような感情が生まれていくか。社会にどのようなインパクトを与えるか。
その意味で青春群集劇であり、社会派ドラマなのである。
 
弁護士や検事、裁判官を扱うドラマならば、おそらくそうはならない。
こうした職業は、法律を扱うプロなので、法律そのものに対する疑問や、それが社会においてどういう役割なのかという悩みは出てこない。
しかし、ビギナーが扱うのは司法修習生だ。
こうした法律のプロになる手前の、法律家のタマゴたちなのである。
法律のことは分かっているし、まもなくプロになるけれど、まだプロではない。
この立ち位置が絶妙なのだと思った。

ゆえに、ビギナーで描こうとしているのは「事件どの法律で裁くかを議論する事件ドラマ」ではない。
ビギナーで描こうとしているのは、「社会の役に立ちたいと願う8人の司法修習生が、法律の限界と向き合いつつ、時には自分とは違う環境に置かれた人たちの声や想いを汲み取りながら、その中で自分に何ができるのかを必死に探していくドラマ」なのだと思う。
だから、このドラマの中心にあるのは法律ではなくて、あくまで「人」だ。

育ってきた環境も、積み重ねてきた経験もキャリアも、年齢も性別も置かれた境遇も異なる、楓由子をはじめとする8人の主人公たち。
だけど、8人はみんな「人の役に立ちたい」「社会では目に見えない弱い人の支えになりたい」という気持ちをもって、司法試験に合格してきた。

コールセンターで「おかしい」と思うことがあってもマニュアル通りの答えしかできなかった楓由子も。
干拓事業で実家の立ち退きを命じられお金は得られたが大切なものを失ってしまった羽佐間旬も。
財務省のキャリア官僚だったがスキャンダルの責任を追わされ退職に追い込まれた桐原勇平も。
大学在学中から懸命に勉強し現役合格を果たした松永鈴希も、18年間にわたりアルバイトをしながら司法試験に挑戦し続けた田家六太郎も。
出産を経て、子育てをしながらも専業主婦から再度司法試験に挑戦した黒沢圭子も。
会社で出世するも、リストラ寸前の中で娘に薦められ受験した崎田和康も。
関係のあった暴力団から抜け人生をやり直すため受験した森乃望も。

みんな法律のプロとして社会の役に立ちたいと、司法試験を突破してきたのである。
この「誰かの役に立ちたい」という気持ちが中心にあるからこそ、ビギナーはとても気持ちが良いドラマになっている。
そういう気持ちが中心にあって、その中で法律は社会に何ができるのか、何ができないのかを描いていく。
劇中、森乃望が言う「法律も人生も答えは一つではない」との台詞があるが、まさにこれがビギナーで描かれるテーマだと思う。
法律は唯一絶対的で自明のルールなのではない。法律を作ったのも人間であり、それを解釈するのも人間である以上、そこに絶対的な正しさは無いのだということを気付かせる。
育ってきた環境が違えば解釈の仕方も変わる。何を正しいとするのかも変わる。
でも、その中で私たちは一体どうやって、何を正しいものとして選んでいくのか。そのためには、お互いに話し合い、経験を伝え合い、想像し合い、相手のことを理解する中で納得し合うしかない。
相手のことは簡単には分からない。嘘をつかれることも裏切られることもある。弱い者の味方になることが、必ずしも良いことなのか。「社会の役に立つ」とは一体どういうことなのか。
それを見せているのが、白表紙をめぐり議論し合う8人の姿なのではないかと思う。
 
また、司法修習というのがとても上手くできている。
検察、弁護士、裁判官、それぞれの立場を学ぶため、それぞれのエピソードの切り口が異なっている。検察の立場として事実認定をメインにした回もあれば、弁護士として依頼人とどのように向き合っていくかに焦点を置いたものもある。あるいは、裁判官として、感情に流されず司法と向き合わなければならない難しさを描く回もある。
司法修習生だからこそ、法律をめぐる「人」を描くことに成功したドラマだと感じた。
また、彼らが「ビギナー」だからこそ、議論を重ね、様々な意見を集約する中で答えを決めていこうとする。
しかし、社会とはおそらくそういうものなのだ。それは決して司法修習という場に限ったものではない。

「社会のために役に立ちたい」という想いを、年齢も性別もキャリアも違っても時間をかけて真剣に話し合い、時には喧嘩になるほど白熱し、でも共感し合う中で仲間意識が生まれていく。
その建設的な8人の在り方そのものに、まだ学生だった当時の私は強く憧れたのだと思う。

また、このドラマの気持ち良さの一端は、間違いなく楓由子演じるミムラさん(今は美村里江さん)が作っている。

法律のことはほとんど素人同然で司法試験に受かった楓由子と、お芝居はほとんど初挑戦ながらベテラン7人の中に置かれたミムラの存在は、どこか被るものがある。
ミムラの必死さや、自分の分からない世界を想像し形にしようとする努力が、そのまま楓由子の必死さ、一生懸命さとして伝わってくる。
ドラマという虚構の世界の中で、ミムラを中心に作られるリアリティがある。
彼女が一生懸命に努力し成長するリアリティ。
だからこそ、彼女を中心に共感し、8人に親近感がわく。まるで自分が9人目の「アホヤンズ」として物語に入る込むような、高い共感性。
それがビギナーの良いところではないかと思う。

以上、すごく真面目なことばかり書いてしまったけれど、このドラマ、一生懸命勉強し、何度も挑戦して、誰かの役に立ちたいという、とても純粋な努力を肯定している。そこが良いなと思う。見ていると自分自身の在り方を思わず振り返ってしまう。
私は今、こんなに一生懸命、社会と向き合えているだろうか。努力しているだろうかと。
だから、社会で生きていく意味が分からなくなってしまったり、努力を信じられなくなってしまったときに見るのも、個人的にはオススメしたい。

ちなみに、ビギナーはFODで配信しているので、ご興味を持たれた方、久しぶりに見てみたいなと思われた方はぜひFODでご覧になるのもおすすめします。
あ、DVDボックスだと特典もしっかりついているので、そちらもおすすめです。笑

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