劇場版おっさんずラブ_マスター講座__4_

劇場版おっさんずラブ LOVE or DEAD 感想まとめ【S7~8:わんだほうと牧の変化】

■あいつすっげー変わった。この1年で何があったの?

 劇場版においては春田も変化したけれど、やはりこの映画では牧の変化を見逃すことができないし、牧の変化こそが、この映画を理解するうえで最も大切だとすら思う。


 劇場版おっさんずラブのテーマは「夢と家族」だそうだけど、この「夢」という概念をおっさんずラブの世界に持ち込んだことにより、連ドラから一気に世界が広がったように感じた。連ドラが第0章ならば、映画は第1章。もっと言えば、連ドラは序章にすぎず、本編はここから始まっていくような感覚すら抱いた。恋愛というフィールドに限られていたおっさんずラブの世界には、新たに仕事というフィールドが広がったのである。

 私は連ドラも映画もおっさんずラブで描きたいことはほぼ一緒だと思っている。映画は爆破シーンや監禁シーンなど、派手で煌びやかな演出もあるものの、この作品が届けたいものは春田と牧という二人と、それを取り巻く登場人物たちの関係性というどこまでもミクロの世界である。結局、外箱を「映画化」だとか「夏休みのファミリー向け映画」だとか「爆破」だとか、どんなに華やかな包装紙でくるんでいたとしても、それが本質ではない。
 しかし、連ドラでは登場人物たちの「夢」についてほとんど触れられることがなかった。ましてや牧は、就活の時に「自分のやりたいことが分からない。でもHPに載っていた『自分の好きな仕事をやるのではない。自分の仕事を好きになるんだ』という武川の言葉に感銘を受けて」天空不動産に入社した過去がある男である。牧の「仕事の夢」という言葉はいわゆる「OL民」ですら理解できず、「牧が変わってしまった」と感じた既存ファンも多いのではないかと思う。

 何回も劇場版を見るうちに、「牧が変わってしまった」という違和感は、この映画を見るうえでむしろ想定された感情なのではないかと思うようになった。それは、他でもない春田自身がその違和感を牧に抱いているからだ。牧が仕事における夢を見つけ、その夢に邁進する姿に違和感を覚え、その変化の理由を無意識に探すうち、本社の仕事や狸穴に嫉妬さえしている。ドラマでは主に春田の視点で物語が進んでいくが、劇場版においてもその点は健在であり、観客は春田に感情移入し、春田の視点から1年後の牧を知っていく。

 林遣都が雑誌のインタビュー等で答えたように、牧は1年経っても春田のことが好きであり、彼の幸せを願う気持ちは変わらない。ただ、劇場版においては、春田と牧の、お互いが好きで、お互いのことを強く求めるからこその葛藤を描くために、観客にはまず春田から見た牧への違和感を感じさせる作りにしていると思う。つまり、林遣都が牧を演じるうえで感じた「心がキレイで自己犠牲に生きる牧の魅力は変わらない」という側面を、あえて見えにくく、あえて牧が変わってしまったように見せているのが劇場版だとは思う。


■恋人としての牧凌太/後輩としての牧凌太

 そういう構成はさておき、牧が香港の部屋へサプライズで訪ねてきて、断りもなく部屋に入ることのできる様子を見ると、春田と牧がこの1年間全く会っていなかったとも思えないのもまた事実である。その意味で、春田にとって「すっげー変わってしまった」と思ったのは、あくまで仕事の場における牧のことなのではないかと感じた。

 春田にとっては、この1年間、これまでの先輩後輩としての牧ではなく、春田の隣にいる恋人としての牧しか見てこなかったはずである。あの穏やかで優しくて、ふわふわとした雰囲気をまとった、無邪気に春田を誘う牧凌太。知り合いのほとんどいない異国の地で、同性同士であることも日本にいるときほど気にすることもなく、二人はただお互いに恋人として蜜月を過ごしたのだろうと思う。一方で、仕事における牧は、春田にとっては第二営業所の真面目で気の合う後輩から更新される機会がなかった。牧が黙って本社に異動してしまうことは、もちろん恋人としてそうした大切なことを相談されることがなかったと失望があると思うが、同じ職場の同僚としては、可愛がっていた後輩が突然自分ではない上司に取られてしまった戸惑いもあるのではないか。 

 春田にとっての牧は、恋人/後輩というふたつの側面を持っており、そのいずれも春田にとって自分が特別な位置にいたことと思う。営業所で「まきまき」と呼びかけた可愛い後輩が、自分を見ることなく狸穴の指示に従ったとき、春田は恋人として感じるのとは別の嫉妬心を抱いたのではないかと思う。


◇個人的なみどころ

 わんだほう名物鉄平兄の創作料理「カレーとチョコ―レトのハーフアンドハーフ」でまずチョコレートを食べる春田は応援上映定番の突っ込みポイント。お皿を引き寄せてから、カット割りが変わってもう一回お皿を引き寄せてしまう、カット割りが微妙に合わなかったところも何度か見れば愛嬌である。
 ちずと外国人の彼氏が別れてしまったことに「カンパーイ」と言いながらも、最後に「次があるよ」とアドリブを入れるバランス感覚はさすが田中圭である。そこで人の不幸を喜ぶのではなく次を応援できる春田創一だから、私は好きなのだ。

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