劇場版おっさんずラブ_マスター講座

劇場版おっさんずラブ LOVE or DEAD 感想まとめ【S1~S2:春田、香港で指輪を買う】

■Forever Love=永遠の愛

 映画の予告で、まるで結婚を約束するようなその指輪を神妙な顔で握りしめていた春田を見たときに、私はこう思っていた。牧はあんな「いかにもな婚約指輪」を春田から渡されて喜ぶのだろうか、と。
 牧の性格の受け取り方は、「OL民」と呼ばれるおっさんずラブのファンの中でもかなりばらつきがある。個人的には、春田から結婚指輪を差し出されて喜ぶというよりは、どちらかと言えば困る。というか、俺は女の子じゃないですよと、その行為の先に「『普通』の恋愛を志向する春田」を見つけて、そのギャップを埋められない自分に苛立つのではないかという気がしたのだった。
 だから、この映画で春田から牧に指輪を渡すシーンを描かなかったこと、さらにいえばラストシーンで説明もなく二人の薬指に指輪が光っていたこともそこまで気にならなかったのである。
 また、指輪交換、特に「男性が愛する人に指輪を贈る」という行為が、旧来の異性愛的価値観や結婚観に基づいているような気がして、なんとなく、春田と牧のふたりが指輪を贈るのは違和感を覚えるところもあった。
 
 だからこそ、この劇場版では、春田が渡したかったのは指輪ではなくて、「永遠の愛」だということを軽いタッチで、でもしっかりと描いていることに感銘を受けた。
 おそらく、香港にいたときの春田は、牧に指輪を買おうとは意識していなかったのではないかと思う。あんなに怪しい店で、唐突に指輪なんて大事なものを買ったりはしないだろう。それでも春田がその指輪――果たして本物かどうかも分からない――を買ったのは、それがきらきらと美しく見え、なによりもそれを店員のお姉さんが「Forever Love=永遠の愛」だと表現したからだろう。

 春田が牧にあげたかったもの、渡したかったものは、ほかでもない「永遠の愛」なのだ。
 本来指輪を贈るという行為が意味することは、そういうことなのかもしれない。渡したいのはそのモノではなく、そのモノに込めた想いだ。でも、この映画はそうした「贈り物」の本質を、こんなにシンプルに、さも当たり前のことのように表現してしまう。それに軽く衝撃を受けたのも確かだ。
 指輪を渡すシーンそのものを描かなかったのは、渡すという形式的な行為よりも、その指輪の持つ意味を描ければ十分だったからではないだろうか。

 私は牧凌太という人物を前述のように解釈をしているため、個人的には、牧が指輪を受け取ることは、春田の牧への想いを受け止められるようになるときだと思っていた。
 自分を女性と比べて卑下したりせず、性的指向が女性である春田との未来をきちんと受け入れられるとき。だから、あの炎の中での春田からの告白を受け、特に春田が男同士の結婚という現実に真正面から向き合っているということを知り、それでも「春田さんじゃなきゃいやだ」と言い切った牧が受け取っているのはごく自然なことだと思った。春田の愛情を素直に受け止め、また、それを愛することができるようになったのだろう。

 もちろん、受け取るときの牧が、そして渡すときの春田が、どんなに幸せな顔をするのかは気になる。めちゃくちゃ気になる。その表情は見れるものなら見てみたい。
 それでも、おっさんずラブというドラマが、指輪の持つ意味を大事にして、儀礼的かつ形式的な交換の場面を描かなかったことに、個人的には大いに納得した。

■黒澤武蔵との比較

 おっさんずラブにおける指輪を贈るシーンといえば、ドラマ7話での黒澤から春田へのプロポーズである。黒澤は春田にフラッシュモブを披露し、その流れで指輪を贈り、結婚を申し入れる。ここでは指輪の意味は特に触れられない。
 黒澤と春田の二人は異性と恋愛をしたことがあり、これまでずっと異性愛の文脈で生きてきた。だからこそ、形式的な描き方でも二人の間で十分にその指輪の意味は伝わるし、視聴者もそれがプロポーズを意味することだと何ら違和感なく受け取れるのだ。
 これは、牧に対し「永遠の愛」という言葉を受けて指輪を買うプロセスのみを描き、実際に渡す結論は描かなかったのとは対照的である。

◇個人的なみどころ

 お饅頭を買う春田の後ろにいる観光客風の伊藤修子さん。
 香港の街を楽しそうに歩き回る春田と、どこまでがエキストラさんで、どこからが本物の観光客なのだろうかと、推察するのがまた楽しい。

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