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わたしと手帳。

うかうかしてたら、もうすっかり秋ですね。
遠くに感じていた秋の気配に、すっかりハグされている気持ちです。

"うかうか"って可愛いですよね。
語源は諸説あるそうですが、心が浮ついた"浮く"からきている、という説が1番好きです。
(こういうオノマトペ大好きです。川上から大きな桃が流れてくる擬音がある国に生まれたの本当に最高)


はやくも10月も半ば、2022年が残り100日もありません。
夏は駆け足で来て長ーく居座るけど、秋はおずおずやってきた後にさっと帰ってしまうイメージです。もっとゆっくりしていってほしいのにな。

私は夏より冬が好きな人間です。寒い方が好き。うーんと好き。

そして秋は特に好きな季節です。
ボルドー、マスタード、カーキ、好きな色なので、街中に溢れ出すとニヤニヤします。

夏の暑さが和らいで、ほんのり肌寒くなった日の朝、ほんのり冷えた空気が肺に入っていくの、好き。

太陽が早めに隠れちゃうのはなんだか寂しいけれど、物悲しいと美しいは似ているし、見上げた秋の月の美しさは、夏の花火に負けず劣らず良いものですよね。


秋が好きな理由がとってもたくさんありますが、そのひとつに「手帳の販売が始まる」というのがあります。

手帳が大好きなので、9月になったら翌年の手帳を物色しに行くのですが、1年間仲良くするものだから、じっくりじっくり選ぶことの方が多いです。

今度の相棒は9月始まり。もう使い始めてます。
8月からネットで下調べをしていたときに一目惚れ、お店で実際手に取って、数年ぶりに、1日1ページ書き込めるEDITからの浮気です。

手帳を書くときのマイルールは、
①なんでも書いて良い
②見返した時に楽しいものにする

この2つだけ。

私の手帳は、仕事の予定も、友達との予定も、観たい美術館のイベントも、昨日食べた晩ご飯も、ふと街中で見つけた花とその花言葉も、美容室の予約も、好きな画家も、かけてもらった嬉しい言葉も、明日の自分を励ましてくれる言葉も、今日あったことも、なんでも書いている無法地帯。

開いただけで、なんだかヴィレッジヴァンガードみたいな賑やかさです。スッキリ見やすい手帳も綺麗だけど、アルバムを捲るような気持ちで手帳も開きたいタイプです。

同じ手帳を持っている人が何万人いようとも、1ヶ月もたてば唯一無二のとっても可愛い私の手帳になります。
手帳は革製品と同じように、育てる楽しみがあるアイテムだと思っている節があります。育ち方が人によって全然違うから面白いです。


手帳をかく喜びを教えてくれたのは、高校の頃からの親友です。

彼女は感性が豊かで愛情深く笑顔がキュート。家族思いで人を褒めることに躊躇いがなく、ユニークで優しい最高の友人です。

高校生で手帳をかいている友人がなんだか大人っぽくてかっこよく、その真似をしたのが手帳デビューでした。(理由がかっこ悪くて可愛いでしょ?)

字が下手なわりに書くことが好きだったので、私の生活に手帳は馴染みやすかったです。

最初はスケジュールしか書いていなかったけど、その日にあったことや、映画の半券、雑誌から切り抜いた好きなコーディネートなどを貼っていくうちに、どんどん手帳を書くのが楽しくなりました。

その頃は喜怒哀楽なんでも書いていたのですが、元気がない日にふと見返すと目に入ったのは、友達と撮った変顔のプリクラや、コンビニのおでんでやけどをした自分の猫舌への不満、言われて嬉しかったこと、優しくしてもらえたこと、一度も信号に引っかかることなく帰宅できたこと。

何気ない日常すぎて忘れてしまった数ヶ月前の出来事に思わず頬が緩み、「私の日常は他人から見ればとても些細でも、楽しいことや嬉しいことがたくさん起きているな」と気付けました。

同時に、書いてある苛立ちなども、時間が経って見返せば、そんなに腹を立てることもなかったかもしれない、とか、相手はなぜこういう態度だったのだろう、と、客観的に物事を見られるようにもなりました。


この気付きは、10代の私にとってはとても大きな出来事でした。

それに気付いた時、「手帳は見返した時に楽しいものにしよう」と思い、ネガティブなことを書くのをやめました。苛立ちはその場その場で客観視したり多面的に見たりして引き摺らない方が私の精神衛生上には良かったのです。


「見返した時に楽しい手帳」は、私にふいに訪れる孤独を優しく照らしてくれるお守りになりました。

同時に、私の命を肯定してくれている存在でもあるような気がしたのです。

「私の日々は、優しさと楽しさと尊い奇跡の連続で生まれている」



生きる意味とか、難しいです。
でもこうして私が楽しい日々を送れているのは、過去に出会った誰が欠けても、そしていま関わってくれている誰が欠けていても、存在しません。

ひとりでは生まれることも、生きることもできない。
誰かに寄り添ったり助けてもらっているということを忘れたくないな。


きっと、あなたが生きているだけで嬉しい人がいるのです。出会うべくして出会う人がいるはず。お互いに、大なり小なり影響を与えながら生きているんだと思うのです。

袖擦り合うも他生の縁、会話をせずとも、同じエレベーターに乗っているこの人が生きていなかったら、私の人生が大きく変わっている可能性だってあるのです。

光がなければ色が認識できないように、これを読んでくれるあなたがいなかったら、私だってここに存在していないのと同じなんです。

だからいつだって大好きを伝えたい。
この奇跡が、いつ終わってしまうかわからないから。

またあしたも、あなたにおはようが言えるように。



そうそう、今回の私の可愛い手帳、一目惚れしたのは表紙の言葉です。

ドイツ語で、「上手くいくよ」「大丈夫!しっかり!」と相手の成功や幸せを祈り、また日本語で言えば「くわばらくわばら」のように災いや忌むべきことを避けるために唱えるおまじない、だそうですよ。


ね、私が好きそうでしょ?

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