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日記(ベンツと野心)

ここ最近シェアサイクルで都内を回るのにハマっている。

元々都内のいろいろなところを散歩するのが好きだったのだけど、東京に10年近く住むと、大体のパターンは使い果たしてしまった。

それが自転車を使うと行動範囲が一気に拡大する。しかもシェアサイクルはポートのある場所でさえあれば、乗り捨て自由というのが良い。

飲みに行くときに使ったり、会社帰りに適当なところまで乗ったり、いろんな形で遊んでいる。

都心寄りのエリアに随分長く住んでいるのに、未だに皇居の周りや表参道などで自転車に乗っているとワクワクできるのは、地方出身でよかったなとも思う。

子供の頃はとにかく都会に憧れてやまなかった。今も東京のことは何をするにも不便しない、その上言うほど治安も悪くない、コンビニの駐車場にヤンチャな子がたむろしていない素晴らしい街だと思っている。

多分治安に関しては田舎の方が普通に悪い。子供時代のドッジボールの上手さが生涯にわたるヒエラルキーを形成している。

だけど多感な時期に地方に住んでて世間知らずだったことは、ある意味で幸せであったとも思う。

整備されたレールの先には一定の上限値のようなものがあるのだという現実を知らないからこそ、偏差値至上主義というか、「ちゃんとした大学にさえ進学すればその先は何とかなる」的な空気感を何の疑いもなく受け入れられたのだろうとも思う。

都内サイクリングを始めて意識するようになったことだが、都心部には結構高級車が多い。

私がベンツやレクサスをためらいなく買える日は来るのだろうか。

これは今車が欲しい、欲しくないという話ではなくて、「買いたいと思ったらすぐに買えるような日が来るのか」という話である。

他の生活費を徹底的に切り詰め、交遊費を最小限に抑え、車に全振りしたら買えるのかもしれない。

なんだけど高級車に乗って、それ以外ちまちま切り詰めて生活する人というのがあまり想像つかない。

たとえば「ベンツを買うため、毎日食事はもやし炒めです」みたいな人がいることが想像つかないのだ。

生活に一定程度の余裕は持った状態で高級車を買う。

私はこの境地に今のままのレールを走り続け行き着くことはできるのだろうか。

そんなことを考えていたら、自分が必要以上のお金稼ぎにからっきし興味が持てないことが分かってきた。

ある程度自由にお金を使っても、そんなに心を揺さぶられないように、精神安定剤として一定程度の預金残高を確保できるようにしておきたいというだけ。

ベンツが買えるお金があっても、買えるメンタルをしていない。

今の生活で本当に満足をしている。ここから何かが欠けるくらいなら、もうプラスもいらないと思ってしまうほどに。

多分人が成長するには、野心/情熱か危機感のどちらかが必要なのだと思う。

これまでの人生で、私はどちらかというと危機感の方が原動力になった場面が多い。

何とかここから抜け出さなければならない、抜け出せなければ未来はない。そんな危機感。あとは周りの人に怒られたくないとかそんなの。

それが一定程度の安定が手に入り、危機感を煽られることがなくなったし、もうあんなプレッシャーはこりごりにもなっている。

情熱が捧げるものもこれまでなかったわけではない。特に大学時代は自分のやりたいことをかなり真っ直ぐやれて、楽しかった。

ただどうすればそれを社会に還元できるのかはあまり分からず、仕事人としての明確な夢はないまま採用面接で縁をもらった会社に就職した。

「仕事というのは生活のためにお金を稼ぐ手段であり、夢を叶えるためのものではない。」と折り合いをつけていたのもある。当初からプライベートの充実の方に重きを置いていた。

幸いにも環境には恵まれ、新卒入社して以来ずっと同じ会社に勤めている。

ただ生活手段に対して夢は引続きないので、人事面談等で聞かれる「今後どんな仕事がしたいの?」の問いに対し、いつもストレートに返せない。

本音は「身の丈に合わない仕事で責められたり、身を滅ぼしたりしたくない」くらいだろうか。

自らのキャリアを「あまり行きたくない部署、やりたくない仕事は何だろうか?」から考えてしまう自分は一体何なのか。

世の中が昨今キャリアキャリア言っているけど、みんなどれくらいガチで言っているのだろうか。

世の中みんながみんな「本当にやりたいこと」をやると、多分誰一人やりたがらない仕事や立場が大量に出てくると思うんだけれど、人の野心を煽る側の人たちはその辺をどう考えているのだろうか。

20代後半にもなれば、どう足掻いても手に入らないもの、多分自分に向いていないもの、なんとなく分かる。

そして綺麗なレールの終着地点にある一定の上限値を超えるためには、きっと一か八かの賭けに出なければならない。いい大人が親に止められてもおかしくないような種類の。

そんな一か八かの賭けに出てまで挑戦したいほどのことも今のところない。

プライベートでやりたいことは大体現状やれていることもあり、ただでさえなかった野心が確実に萎んでいっている。

なんというか人生ゲーム自体がスタッフロールが流れるところまでは一旦行ってて、今はやりこみ要素みたいになってる感覚がある。

龍が如くで本編クリア後にキャバクラ嬢全員の好感度を上げているような、あの感じ。

今の夢は草野球でたくさんヒットを打てるようになりたいとか、守備も上手くなりたいとか、ゴルフで安定したショットが打てるようになりたいとか、全都道府県踏破したいとか、そんな感じ。

別に過去の野心や危機感を煽られた挑戦とは違って、クリアしてもしなくても人生が激変はしない。それが心地良くもある。

現状の仕事にすごく不満がある人みたいな日記になったけど、全然そんなことはない。

ただキャリアとやらに真剣に向き合えば向き合うほど、「夢と現実との折り合い」という、もう思春期に通り過ぎたと思っていた問いを、改めて突きつけられている感覚があるという話。

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