最近話題の「作家は経験したことしか書けない説」について

先日の記事で今読んでいると書いた十二国記シリーズの外伝に、とある裁判官目線の話がある。
裁判にかける被告人が連続殺人鬼で、対面してその罪状を読むシーンがあるのだが、まあつらい。
救いようのないサイコパスエピソードが山盛りなのだ。

「少年が小遣いに母親から12銭もらっているところをたまたま見た殺人鬼。通りがかりの飲み屋では酒が一杯12銭円だった。財布に金はあるけれどそれを払うほど飲みたいわけではない。だがちょうどさっきの少年が12銭持っているのを知っていたから、殺して金を奪って酒を飲んだ。」

サ、サイコパス!

「氷点下の街で住むところがなくて民家に押し入った殺人鬼。親子3人を殺して、氷点下だから死体も溶けないしそのまましばらく死体と暮らした。
裏の畑に出るのに入口の下に沢が流れているのが不便だから、殺した父親の死体を橋がわりに立て掛けて、上を渡って冬の間行き来して生活していた」

サイコパスに次ぐサイコパス!!!

橋にされた父親の氷漬け死体の夢を見て魘された。
こわい。恐怖しか感じない。

何を食べたらこんなサイコパスを思いつくの?
綾辻行人でも食ってるの!?

そんな訳ぁない。
ただひたすら物語と真摯に向き合いキャラクタを綿密に練って分析して行動を考えた結果があのサイコパス殺人鬼なのだ。
作家は経験したことしか書けない説は嘘だ。
作家の努力と研究と知性を見ずに土足で踏みにじるようなあの説は、信じるに足りない。

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