みんなの記憶の中の思い出が一つになった、羽根木プレーパークのクラウドファンディング
世田谷は羽根木公園にある子どもたちの遊び場、羽根木プレーパーク。実は筆者もこの不思議で自由すぎる見た目に魅かれて遊びに行ったことがあります。今回はその羽根木プレーパークのクラウドファンディングについて、羽根木プレーパークの世話人の荒木直子さんにお話を聞きました。
自由で雑然とした環境で遊べる、羽根木プレーパーク
──まず、羽根木プレーパークについて教えてください。
羽根木プレーパークは、1979年に市民の声によって始まりました。大村 虔一さんという建築家の方と、妻の大村璋子さんが「都市の遊び場」という本に出会ってインスピレーションを得たことから始まりました。当時の日本は高度経済成長後で、空き地が削られ、ビルが立ち並び、子どもたちの遊び場はどんどんなくなっていました。その状況に疑問をもった璋子さんは「都市の遊び場」を翻訳、さらにご夫婦で著者に会い、そこに書かれていたヨーロッパの遊び場を視察に行かれたそうです。現地での遊び場でいきいきと子どもたちが遊ぶ様子を見たご夫妻は、子どもは整然とした環境よりも自由で雑然とした環境のほうが楽しく遊べるのではないかと気づき、日本にもこのような遊び場を作りたいと考えたそうです。
▲1980年代、羽根木プレーパーク開園初期の運営会議の様子。クラウドファンディングページより。
▲現在の羽根木プレーパーク。クラウドファンディングページより。
──羽根木プレーパークに何度か遊びに行ったことがあります。確かに雑然としていて、公園の遊具とは全く違った趣のあるカオティックな場所ですよね。
そうなんです。1979年が国際児童年だったこともあり、その記念事業として世田谷区と協動しながらプレーパークを作ったのだそうです。それからさまざまな変遷をたどりながらも、現在、世田谷には4箇所のプレーパークが存在しています。立ち上げの時から地域の有志の方が資金と労力を出し合って、区の協力を得ながら守り続けてきた遊び場なんです。
──なるほど。荒木さんのプレーパークとの関わりを教えてください。
私が初めてプレーパークを訪れたのは2011年の秋くらいのことでした。もともとアニメーターの仕事をしていて、仕事は面白いけれど育児との両立ができるのかに悩んでいました。どうしようか悩んでいた時に、友人にプレーパークのことを聞いたことを思い出したのです。その友人は、「羽根木公園に戦後みたいな変な公園があった。子どもが焚き火をしたり、屋根に登っていたりした」と話してくれました。
──それでプレーパークの仲間入りをしたんですね?
いいえ。初めて行ったときはあまりに驚いて、帰ってしまったんです。素敵な場所だなと思ったけれど、「身内感」が強すぎて、声をかけづらくて。それで、家に帰ってネットで調べて、そこに「世話人」という運営メンバーの募集があることを知ったんです。「運営メンバーになれば、堂々と遊びに行ける」と考えて、思い切って連絡してみました。
──回答はどうだったのでしょう。
あはは。電話したら、「ちょっと待って、落ち着いて」というようなことを言われた気がします。当時私も焦っていたんでしょうね。「ふつうはある程度遊んでから世話人になるので、一回プレーパークで話しましょう」と。そこで知ったのが、羽根木プレーパークをベースとした子育てのことでした。
──どのようなものなのでしょうか。
私のような小さな子どもがいる親たちで運営する、自主保育のグループがありました。保育園に預けるかわりに、みんなで子どもの保育をするという仕組みです。朝の9時半から2時までプレーパークで保育をして、行事などのスケジュールも親が組む。親たちでシフトを組み、その日の当番の親が保育をするというものです。もともと東京での保育園・幼稚園事情に疎かった私は、「ここで子育てをしたい!」と思いました。自主保育で4年間、娘を仲間たちと育てながら、世話人が何をしているのかを学んでいき、プレーパークそのものについても理解を深めていきました。
課題になったリーダハウスの再建
▲リーダーハウス。クラウドファンディングページより。
──クラウドファンディングをやる必要がでてきたいきさつについて教えてください。
プレーパークの運営は、現在世田谷区の委託事業なので運営費は区からいただいています。運営費から、運営に関わる職員の人件費も出ています。この区から出ている運営費は全体のおよそ75%程度で、残りの25%は寄付と会員費、自主事業の収入でまかなっています。自主事業はイベントや商品を売るなどの活動なのですが、この収入がないと運営費がまかえない状態が続いていました。さらに、羽根木プレーパークの主な拠点であるリーダーハウス(事務所のログハウス)は、30年前に遊具として建てられたもので、地域住民の力で建てられたものでした。震災があってから、リーダーハウスを再建する計画を何度も話し合ってきましたが、法律上グレーな建物のため、区に援助をしてもらうことができないためクラウドファンディングを検討していました。
──なるほど。リーダーハウスの再建の費用をみなさんで捻出する必要があったということなんですね。
そうなんです。まちづくりファンドに申請したり、冊子を作ったりしながらクラウドファンディングを活用して費用を捻出する方向で考えていたのですが、壊して新しいものを建てるのには1000万円以上が必要でした。あまりの費用の大きさに二の足を踏んでいたら、新築は区の予算で行うという展開になったのです。
──すごいですね!それでは、費用はいらないのではないですか?
いいえ。建てるお金は区が出してくれることになったけれど、壊すお金はプレーパークが持たなければならないことになりました。さらに、新しいリーダーハウスを建築している間に仮の事務所も必要です。必要な資金の上限は下がったものの、この解体費用と仮事務所の費用を出す必要がありました。さらに、「2021年度中に新リーダーハウスを竣工する」というスケジュールが出て、この費用を急いで集める必要が出てきたのです。ここで、今まで検討段階だったクラウドファンディングを必ずやる必要がでてきました。
──実際にクラウドファンディングの実施に踏み切ったのはなぜだったのでしょうか。
これまで経済的なピンチが訪れるたびに会員さんなど、身近な皆さまからご寄付をいただき乗り越えてきました。ただ、そうすると特定の範囲の皆さまの負担がどんどん重くなっていってしまいます。プレーパークには42年の歴史があることを考えると、クラウドファンディングを行うことでこれまでプレーパークに関わったり、遊んだりしてくれた人たちと支援を通じてつながれるのではないかという期待がありました。さらに、プレーパークの来園者さんにMOTION GALLERYのスタッフの方が偶然いらっしゃって、それが決定的な後押しとなり、実施に踏み切れました。
充実したプロジェクトページはみんなの意見で作られた
▲リターンには体験も含まれる。クラウドファンディングページより。
──クラウドファンディングのページを見ると、プレーパークの歴史から、プレーパークならではのモノやコトを生かしたリターンまで、かなり精緻に作り込まれていると感じます。これらはどのように作り上げたのでしょうか。
まず、ページはプレーパークの今までの歴史とチャレンジが楽しく伝わるように工夫を凝らしました。さらに、お金の支援をお願いすることなのでページに悲壮感が漂わないように「すごろく」などを取り入れてみました。ページづくりは、お金の支援をお願いしていても可哀想な雰囲気にせず、わくわくするページにしたのが良かったと思います。
リターンについては、私が叩き台を作ってスタッフのミーティングに持って行きました。体験のリターンである染め物、パンづくり、しめ縄づくりなど子どもたちが喜びそうなリターンを入れるアイディアはスタッフからでてきたものです。いろいろな人にアドバイスをもらった結果、バリエーションに富んだリターンを作ることができました。
──なるほど。そうやってこのページはできていたのですね。かくしてプロジェクトは成功したわけですが、今振り返ってみていかがですか?
クラウドファンディングでお金が集まったことはもちろん、こんなにもプレーパークを応援してくださっている人がいることがわかったことも嬉しかったです。これまでずっと身内だけで活動を続けてきましたが、「助けて!」と言ったら助けてくれる人がこんなにいて、その輪が広がっていたことに感動してしまいました。正直クラウドファンディングを始める前はこんなにみんなの思い出の中にプレーパークが残っているだなんて想像していませんでしたが、「あの屋根に登ったよね」とか「ここで遊んだね」という記憶がちゃんと刻まれていたことを嬉しく思います。それだけでもクラウドファンディングをやった収穫があったんじゃないかな。
──本当にそうですね。私もまたプレーパークに遊びにいってみたいと思います。今日はありがとうございました!
羽根木プレーパークのプロジェクトを成功に導いたのは、42年の歴史とそこで遊んできた元子どもたちの熱い支援だったようです。プレーパークの魅力は足を運んでみればすぐにわかるはず。クラウドファンディングにより新しくなった羽根木プレーパークにぜひ足を運んでみてください。
(文:出川 光)