ミニアルバム『ウツロイ. 』 | セルフライナーノーツ
私はとても忘れっぽく、心を込めて生み出した各曲への愛情ですら忘れそうで怖いので、ここにコメントを書き残しておきます。
曲を聴いてくださる方に、これを読んだ後また違った視点で聴いて楽しんでいただけたらという想いもあります。
取り止めのない忘備録ですが、どうぞお付き合いください。
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TRACK1『.(utsuroi-mix)』
変わりゆく街並みの中でも、ずっと“あの春”に立ち尽くしていたい。時間に取り残されるのではなく、心に焼き付いた桜吹雪に留まることを自ら選ぶ。そんな曲です。
四月初旬あたりのイメージ。
心にうつる景色と目に映る景色が一致することって、案外少ないなあと思います。横顔も言葉も空気も心に色濃くうつっていても、もうここにはない。目に溜まる涙がグラスになって視界を溶かして、それでも溶けない何かが確かにここにある。そんな心情を音にして春一番に乗せたら、サビのメロディーが生まれました。なんだか気に入ってしまっていそいそと伴奏をつけ、曲として完成。
スマホでの音遊びを本格的に始めるきっかけになった、思い入れのある曲です。
TRACK2『..(utsuroi-mix)』
明るい“どこか”を目指してこの場所を去っていく、勇気ある誰かの背中を見送る曲です。
六月〜梅雨明けにかけての初夏のイメージ。
木陰の下から太陽を眺めるとき、葉の隙間からじらじらと陽の光が射し込むように感じます。
まだ本照りではない柔らかな陽射しと、新緑の木々と、時折ザッと降る雨、雨上がりの水たまり、葉を伝う水滴と、そしてそれを透かすのはやっぱり太陽で。
雨はどんなときも、空の匂いを連れてきてくれます。
見送りのシーンに直面し泣いてばかりいた頃、深夜に思いついて一気にメロディーを決めました。さらっとしたリズムと少し涼しい風の伴奏をつけて。最後のドラムの音は、心音をイメージして入れました。
心の中にハッキリとした景色があったので、それを音にしていく。とにかく感覚で作る楽しさが大きかったと記憶しています。
そしてこのミックスもまた、見送りの最中に作ったものです。
TRACK3『...(utsuroi-mix)』
走り続けていても何も見えず、何も見えなくても止まることはできない。落ちていく夕陽を、開かずの窓辺で眺めている曲です。
日没がだいぶ早くなる十月頃のイメージ。
ちょっと暗めの曲が作りたいな、、わかりやすい電子音ではなくもう少し生の楽器っぽく作ってみたいな、、と思い、ベーストラックをいじっているうちにドラムも浮かんできて、ジャズっぽいリズムが生まれました。ピアノってすごいな〜おもしろいな〜と感じ始めた時期でもあり、無知なりに動かしてみたり。
これまではメロディーが先に生まれてそこに伴奏を作っていたのですが、この曲は逆でした。ぼんやり生まれてあれよあれよと“出来上がってしまった伴奏”に、どんなメロディーをつけようか、、。深夜に仮で作ったサビはなんだか納得がいかず、翌日の早朝には破壊衝動に駆られ、作り直すことに。塞がれた口と心の叫びをイメージして完成版のサビになりました。
いろいろな“初めて”が詰まっています。音遊びがさらに楽しく感じた曲でもあります。
TRACK4『....』
十二月らしく、女性アイドルのウインターソング!というイメージで挑戦してみた曲です。
前作の「…」を形にしてから、いろいろなフレーズを生んでは殺し生んでは殺し繰り返していました。そんななかでいきなり生まれて急速に育って形になった不思議な存在です。
この曲は自分の心情を注ぐというよりは、とにかくアイドルっぽく!冬っぽく!というチャレンジ精神で作りました。
そのぶん細かな音作りやミックス作業に集中することができて、ここをこうしてみたら、あれを入れてみたら、、とワクワクしながら夢中になってしまい。間奏部分の重たく弾むリズムや、ゴリゴリ・バリバリしたフレーズ、曲終盤の裏音たちは私自身の“好き”の詰め合わせです。
一次元の音を二次元に、二次元になった音を三次元に、、、音を丁寧に扱う難しさを楽しみ、またチャレンジしてみたい!と思わせてくれた大切な曲。
アイドル〜!という雰囲気の歌詞をつける予定です。
TRACK5『ウツロイ(orgel medley)』
上記の四曲をただ感じるままに繋げたオルゴールメドレー。
最後のフレーズは過去に殺して後悔していたものを引っ張り出してみました。
没フレーズたちを埋葬している“墓地”というフォルダがあるのですが、イメージに合うものがあればそこから掘り出して採用するのもいいな〜と。そんな可能性を感じてみたり。
2020年の四季が移ろい、また次の春がきて、夏がきて、、そんな未来を“明暗”を強調しすぎずに表現しました。
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私は元々、言葉遊びが好きでした。しかし心情を表現するにあたって“言葉”はあまりにも多くの意味を持っていて、私にはうまく扱えないなと感じる一年でした。
書き手が込めた意味と、読み手が受け取る意味、そして言葉自体が持つ数多くの意味(辞書にあるような)。
そもそも言葉は容れ物のようなイメージがあり、持っている心情をどの容れ物(言葉)に入れたらちょうどいいか、それを考えすぎてしまいます。
ちゃんと入れるためには、ちゃんと受け取ってもらうためには。ちゃんと、ちゃんとしなくては。そうして型にはめるからこそ、中身が変わってしまえば嘘として扱われがちにもなります。
“昔はああやって言ってたのに”と。
音は容れ物ではなく、砂粒の一つのように感じます。お城を作ったり、団子を作ったり。気に食わなければぐしゃぐしゃと崩して、それでまた別の何かを作ったらいい。言葉もそうなのでしょうが、今の私にはそれがうまくできないのです。
そして言葉には年齢や性別、国籍などなどいろんなものが絡んできます。受け取って噛み砕いて、ようやく“感じる”ことができるものなのかなあと。そこにはある程度の共通認識が必要になってきます。
音はもっとシンプルに感じることができ、なんか聴いてみて、“なんか好き”や“なんか微妙”でいいのです。(ここ好き!ポイントや性癖はもちろんありますが)
歌詞のない曲(「.」を除く)だけど、なんとなくキャッチーなメロディー。そこには誰もが思い思いの言葉をのせて楽しめるような“余白”も込めています。落ち着く歌詞が思いつかないよ〜というのも大いにあるので、言い訳になってしまいますね、、。
扱うときの抵抗や躊躇が言葉に比べて格段に少ない。その瞬間の心情をそのまま、写真みたいに鮮やかに切り取って、そして風化させることなく置いておける。自分や他人を恐れることなく、とにかく正直に。
移り気で臆病な私にとって、お気に入りの表現方法です。
『ウツロイ. 』はそんな私の2020年がギュッと詰まったミニアルバムになりました。
来年も楽しく音遊びをしていたいです。
聴いてくださって、好きと伝えてくださって、本当にありがとうございました。
この一人遊びを見つけてくれたわずかな人達の心に何かが届いたらいいな、という一心です。
誤字脱字、きっといくつもあったと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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