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花粉症

 春が待ち遠しい季節になると、私の隣人の部屋から盛大なくしゃみの音が聞こえる。

 カレンダーを見ると2月はもうすぐ終わりそうだった。くしゃみの音とカレンダーの数字が私の中で一致したとき、薄い壁の向こう側に住む隣人がもう一つ盛大なくしゃみをした。

 隣人とは言っても、大都会東京の安アパートの隣人のことなど、詳しくは知らない。アパートの廊下ですれ違う時に見かけたので、体の大きな気弱そうな男ということだけは知っている。ほとんど言葉を交わしたことなど無いのに、生活サイクルだけは何となく把握している。会釈をすると緊張感のある表情をした気の小さな大男が、少し安心したような調子で会釈してくるのだから、おそらく彼も同じように思っているのだろう。

 それにしても、一言も言葉を交わしたことのない男女が、薄い壁を一枚隔てて、なんとなく互いの存在に安心して暮らし続けているなんて、さすが大都会東京だと思う。

 私は東京出身だ。だから東京ではない街に暮らしたことは一度もない。私の母は郡山の出身だそうだ。

 母は、家出同然で飛び出して以来、18の頃から一度も郡山に戻ったことはない。だから私は郡山という土地にはまったく縁がない。郡山と言う響きが子どもの頃から氷山に聞こえて、氷山が氷砂糖の塊のように感じられた。だから私にとっての郡山は、透明感のない氷砂糖の大きな山のようなイメージでそれ以上は広がらないのだ。そして、私は母の故郷から遠く離れた代々木にある都営住宅で生まれ育った。

 東京の都心部というのは、親の収入格差が露骨にわかる地域だ。成功した大金持ちと、先祖代々この土地で商売をしているお金持ちと、公務員住宅に暮らしているような中間層と、都営住宅のような家賃が年収に応じて変動する、言ってみれば所得が少なくても大都会で暮らしいける貧困層に大きく分けられている。その中でもお金持ちの友達は、とても親切で同情的だった。

「お父さんが2回も変わったんだってね。大変ね。」

「あなた、母子家庭なの?」

 憐れみと同時に伝わって来る優越感は、私の劣等感を煽り、一層惨めな気持ちを植え付けた。そして、私を裕福な家庭の友達から遠ざけた。

 商売をやっている家は、親戚やお客さんの出入りも激しい。家の中にいても賑やかな気配がする。大人たちと楽しげに話す友達の表情は、幸せそのもののように見えた。

 その情景は、私の孤立感をさらに深めた。

 公務員住宅の子たちは、とても保守的で冷たい。私と目を合わさないか、逆に蔑んだような目で見つめた。勉強もよくできる子が多く、塾の宿題を休み時間に必死でやっていた。神経質で生真面目な印象の彼らと、私の日常に接点も見当たらなかった。だから話す機会もなかった。そしてほとんど、春が2回も来ると転校して行ってしまった。

 都営住宅に住んでいる子たちは、いつも少し寂しそうで自信がなさそうだった。だからと言って、互いに助け合うことはない。私たちは、弱い者同士をいくら掛け合わせても弱さしか生まれないことを知っていた。そしていつの間にか、お互いにすれ違うこともなくなって、見かける事もなくなった。お互いのその後は、自撮り満載のFacebookで見かけたり、100円ショップにスタバのキャラメルマキアート、スマホのふわふわのかざり、若い親子とサンダル履き、全身ユニクロの地味なオタクなど。団地の中に将来が歩いていた。わかりきった未来になど、興味はなかった。

 幼い頃から、お正月に親戚が訪ねて来ることもないし、訪ねて行くここともなかった。私にとってのお正月は、朝からよく知らない新しい義父と、ビールを飲みながらいちゃついている母を眺めることだ。そのようすをみながら、私は果てしなく孤独であることを静かに受け入れ、そして諦めていった。

 それでも、東京の夕暮れ時に眺めるビルの群れが私の最初の記憶であり、懐かしさである。言い換えると故郷ということなのだろう。

 賑やかさと騒がしさ、輝かしさと惨めさ、対になる全く逆の言葉の世界が同じ地平の上に広がり、偽物の台頭がお祭り騒ぎの露天商のように並んでいる。そんな世界こそ東京だ。東京は、私に諦めと絶望と孤独を徹底的に教えてくれた。覆すなんて考えなくていいのだと分からせてくれた。

 貧しさと絶望を日常にしていた私のことなど、誰も知らない。

 母が久しぶりに再婚すると言い出したのは、私が高校を卒業する直前だった。

 2人目の義父とは、私が中学2年の時に離婚していた。離婚までは壮絶な夫婦喧嘩を繰り返していた。ガラスの割れる音と母のヒステリックな声と義父の怒鳴り声、とっばちりを受けないようになるべく傍観者のように振舞おうとする私、それ以上の記憶がない。

「もう二度と結婚なんてしない。」

 離婚届を出した母は荷物の少し減った部屋で疲れ切った表情をしてそう言ったのだ。私はその言葉を素直に信じていた。だから、母の再婚話は、おかしな虚無感の中に、春が近付き浮足立っていた私を突然投げ込んだ。

 その頃、急に花粉症になった母は鼻水が垂れて嫌だと言いながら朝からマスクを付けた。

「あたし再婚するからさー。」

 そう言った。語尾の「さー」という音が花粉症のせいなのか変に間伸びして、充血した母の小皺だらけの目が焦点が定まらず、薬物中毒患者のようにみえた。

 母の再婚相手は、この花粉症の皺だらけのおばさんと、どんな気持ちで結婚するのだろう。マスクで半分以上覆われていても、中年女性だと分かるのは、髪の艶がないせいだろうか。しげしげと母の顔を覗き込む私に、少し照れたように母は「なによう。」と体をくねらせた。

 マスクのせいで声がくぐもり、くねらせた母の体はパジャマの上からでも弛んでいるのがわかった。キモチワルイと思うが、いつものように口には出さずに微笑んだ。

 母はいきなり大きなくしゃみをすると同時に大きなオナラをした。2つの破裂音と2人の中年を同時に思い、私は盛大に笑った。

 それが母には祝福のように聞こえたのかもしれなかった。

 貧乏そうなおじさんは、その日の夕方に挨拶に来た。

 お腹をたたいたら音が出そうな、背の低いタヌキのようなおじさんだった。いままで母に紹介されたおじさんの中で、最もダサい人だった。

 タヌキオヤジに放屁ババァのカップルと2Kの部屋での同居は、18歳になったばかりの私には、いくらなんでも辛い。母もそこは承知の上だった。

「あんた、就職するんだし、この家でなさいよ。」

 母には、この都営住宅を出る考えはない。母にとってのこの小さな部屋は大都会東京の象徴であり、彼女自身が大都会で暮らし続けているという歴史でもある。絶対に手放せない物件なのだろう。それに、母の連れて来る男はみんな貧乏だったせいもある。

「会社板橋区でしょ、ここから通うより会社の近くの方がいいでしょ。」

母はそう言った。

 それは毋親からの訣別宣言みたいなものだった。私がいくら抵抗したとしても、簡単に覆るとは思えない。従うしかなかった。

 なるべく格安な物件を入社前に必死で探した。敷金だけ、文句を言いながらも毋親が出してくれた。

 シャワーとトイレが付いた格安物件がいまのアパートだ。以来、私は一度も引越さずにこの部屋に7年も住んでいる。母とはめったに会わない。3・11の震災の日でさえ私たちは連絡を取り合わなかった。

 鼻水が出始めたばかりだった母の花粉症はいま頃、隣人の男と同じように悪化しているのではないかと思う。しかし、それを心配しているわけでもない。ただそう思うだけだ。

 母と一旦離れてしまうと、自分で想像していた以上に母という「たった一人の家族」から気持ちが離れた。愛着を感じてしまうと寂しさが深まると知ったのは、本当の父親と別れた3歳の時なのだと思う。本当の父親のことは記憶には何もないし、顔も知らない。

 2人目の義父が家を出た時に、私は寂しいと言う感情を持たなかった。実の親じゃないからかな?とぼんやり考えたのだが、母と離れた時も同じだった。

 私には、心に蓋のようなモノがあってそこに何らかの感情を捨てると、不思議なくらいあっさりとした気持ちになるのだった。そして、幼い記憶を辿り、いまの考えに至った。

 愛着を持たないことが、私の何かを救っている。

 一人で生きると言うことは、誰にも聞かれることのない、ため息とか、小さなあくびであるとか、そんな全ての日常が誰も居ない空間に吸い込まれるように消えていくことだ。ねぎらいも笑い声も共感もなにもない、それが当たり前のことである。しかし、くしゃみや例えば怒鳴り声は、この小さな空間を区切る壁を突き破ってくる。誰もいない空間を突き破り響く、くしゃみの音がほんの一瞬だけ私を深い孤独から浮き上がらせる。

「花粉の季節は嫌ですよねー。」

 TVのアナウンサーが眉間にシワを寄せて、さも不愉快そうに気象予報士に語りかける。

 私は窓を大きく開け放し、花粉だらけの空気を部屋へと招き入れる。コマーシャルのような黄色の粒子は、いくら探しても肉眼では見つからない。いま東京の板橋区の壁の薄いアパートの一室で、隣の部屋から響くくしゃみの音に、孤独を救われた人間がいるなんてことを、華やかなライトをあびて話すこのアナウンサーは知ることもないし、その必要もないのだ。

 桜の蕾が膨らみ、今にも咲きそうだ。

 人事異動の発表で、入社の頃からお世話になっている部長が4月から甲府支社に異動になる。住まいは赤羽だそうだ。子どもさんが中学生と小学生で、単身赴任にするのか家族で引越すのか検討中だと、部長は人懐っこい目をしばたかせながら言った。

 部長が単身赴任している間に子どもたちは多感な年頃を迎え、そして成長していく。そんな子どもにとって父親の存在感というのはどのようなものなのだろう。互いの生活に慣れて再び戻って来た父親を迎え入れて生活し直すのは大変なことではないのだろうか。

 部長は、当たり前のように同じ位置の机に座る。4月からその席に新しい上司が座り、部長の人懐っこい笑顔の消えてしまう朝を、私はすぐに忘れてしまうのだろうな、と確信をもって考えていた。

東京の花粉の飛散量は、日毎に増える。街ゆく人たちのマスク装着率もどんどん増えていく。

 隣人のくしゃみの頻度も上がる。破裂音は日に何度も壁を突き破ってくる。夕食を済ませた私は、花見スポットが紹介された雑誌をパラパラめくりながら、彼の花粉症は、いよいよ鼻水止めの薬も効かなくなってしまったのかとぼんやりと思った。

 そんなことを考えていると、今度は空間を突き破る機械音が響く。めったに鳴らない携帯電話の着信音だった。携帯電話の画面には母の名前が大きく映し出されていた。

 咄嗟にものすごく面倒な気持ちになりながら、携帯電話の機械音を止めるように通話マークをスライドさせた。

―もひもひ―

 予想通り、花粉症が一層悪化したような母の声が聞こえる。

「元気なの?たまには電話してくればいいのよ。」

 いきなり非難がましい母の声に少し苛立つ。

「あ、ごめんごめん。忙しくってさぁー。」

 なるべくのんびりとした声をだす。母の感情を抑えるのに最も効果的な声の高さを、私は無意識に会得している。

 ところが、今日は尖った声が収まらない。鼻にかかる不機嫌な声はそのまま続く。

「お父さん、そう本当のお父さん。覚えてる?」

「こないだ電話があったのよー。まったく音沙汰なかったのに、まったく馬鹿にしてさー。」

 こちらの相槌をまったく無視して、母はあくまでもマイペースに話し続ける。

「あの人再婚したのよ。そうよ、まったく図々しいわよ。でさ、自分ところの子どもも手が離れたし、あんたのこと急に思い出したらしくてさぁー。電話寄越したらしのよー。」

 実の父親と言われても記憶にはまったくないし、母が勢いで写真を捨ててしまったせいか実の父親の顔すら知らないのだ。でも母の話し方では、まるで私も母と同じ思い出の中で父親の記憶を共有しているようなかんじになってしまっている。

 とことん無責任な人間なのだなと思い、本格的に面倒になった私は、母の声が電波のせいでちょっと聞こえなくなっているのをいいことに無言になった。ガーガーガーガーと母の声が電話の向こうで響く。

「だからあんたの腹違いの弟がーガーガー」

 え?ナニナニ?ハラチガイオトウト⁇⁇

「ナニ!お母さん聞こえない!」

「だからー、あんたの弟が板橋区に住んでいるって言ったのよ。そうよ、務め先は自動車整備工場だって。で、偶然だけど面白いと思ったのよ。だってさ、あの人にとっては2人とも自分の子供よ。それぞれ板橋区に住んでるんだもん。」

「まぁーそうねー、変な偶然よねー。で、そのお父さんというヒトは、いまどこに住んでいるの?」

 お父さんと呼べずにそう聞くと、母は同じ記憶を共有している人に言うように、

「やーねぇー郡山でしょうが。」

 やーねー、と言われても知らない、実の父親は郡山出身だったのか。では私は正真正銘の福島産の人間だったのか。風評被害で売れていない福島産の桃が美味しかったことを急に思い出した。

 郡山が急に深い緑色の木々に覆われ、色彩を放ち始める。次第に郡山が氷砂糖の山ではなくなった。

「でさあー、もっと面白いのよー。」

 そう言うと母はクシャミをして、

「ちょっと待って。」

と言いながら鼻をかんだ。スッキリした声で、

「その腹違いの弟の住所が、あんたとおんなじだったのよー。あの人も本当に驚いててさー。」

母は大声で笑っていた。住所を正確に聞いてみると、腹違いの弟は案の定、私の隣人だった。

 私は何年も、隣に暮らす少し血の繋がる弟のクシャミの破裂音を聞いて、孤独感を埋めていたのか。

「でねー、あんたが嫌だったらいいのよ。お父さんがあんたと会いたんだって。どうする?」

 どうするのだろう。自分でも答えが見つからない。

 あの気弱そうな大男の父親が自分の父親でもあることが頭の中で結びつかない。私が母に顔が似ているせいかもしれない。では弟は父親に似ているのだろうか。会えばわかるのだろう。簡単な事だ。でもその簡単をとても迷う。私は知りたいと思ってないのだろう。父親と母の2人の過去を知りたくはない。

 いま私の中で郡山に色彩が生まれたように、私の誕生にも、それなりの物語や色彩があり、その輪郭がはっきりと見えてしまったら。私の絶望感も、孤独感も、心の蓋を蹴破って飛び出してくる。私の触りたくない感情が押さえることの出来ない凶暴性を持って暴れまくる。

 怖い。

 怖い。

 怖い。

 怖い。

 せっかく捨てたのに、

 せっかく諦めたのに。

 せっかく頑張って、

 もう堪えきれないくらい

 自分の足で立っていたのに。

 うううううえーーーん。

 うえーーーーん。

 うえーーーん。

 堰を切ったように。堰を切ったようにだ。涙が流れる。

 母は、

 もしもしもしもーーーーしいーもう電波おかしいの?一度切るわよー、

と叫んでいる。

 私はわけのわからない涙と戦う。拭っても止まらない涙を何度も拭う。

 部屋の扉をノックする音が聞こえる。そっと玄関の扉を見つめる。そして人の気配と同時に聞き慣れた破裂音が聞こえる。

 オトウトだ。声に出して言ってみる。

「オトウト」

 私はドアに向かってのろのろと歩く。ゆっくりとドアノブを回すともう一度盛大な破裂音が聞こえた。

 今年の花粉の飛散量は少し多めだと、TVのアナウンサーが言ったことを思い出していた。

 ~Fin.

#花粉症

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