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精神障害者の自立と社会福祉制度

従妹の娘とタクシーに乗った時のことである。運転手さんが「もしかして障害者手帳、持ってます? 1割引きになりますよ」と声をかけてくれる。やはり勘が鋭い人にはわかるのだ。

私の従妹はシングルマザーで、40代の娘を一人残して、亡くなってしまった。残された娘は、精神病を患い障害者手帳を持っている。従妹が亡くなってから、私がその娘の世話をすることになった。母親亡き後も彼女は何とか一人暮らしを続けている。それを支えているのが、公的な社会福祉制度である。私は彼女を通して、精神障害者に対する日本の福祉制度が充実していることを初めて知った。

経済的な支援としては、まず障害年金を受給している。同時に自立支援医療制度による給付を受けている。サービス面での支援としては、かつて入院していた病院の看護師さん2人が週に2回、その娘の自宅を訪問して健康チェックをしてくれる。これは安否確認にもなっていて大変心強い。また月に1回、市の職員と社会福祉法人の職員がペアとなって、自宅に様子を見に来てくれる。そして、障害を持っている人を対象とした「障害支援区分」認定を受け、ヘルパーさんなどのサービスも受けられるようになった。(ヘルパーさんについては、本人が拒否しているのでまだ利用していない。)母親が亡くなっても、一人で生活できているのは、これらの制度のおかげである。

かつて私はある途上国の農村で、家の庭先で大きな声でわめきながら動き回る男性を見たことがある。彼の足元は鎖につながれていて、敷地から外へ出られないように拘束されていた。この男性の家族は、彼の言動をどうすることもできずに、やむを得ずこのような処置をとったに違いない。

その農村は国内でも貧しい地域で、その男性の家族には経済力がなかったのだと思う。途上国の貧困層にはよくあることだが、病気になっても治療費はおろか、病院に通う交通費が工面できないために、治療を受けることができないのである。

同じような光景が、かつて日本が貧しかった時代には見られたのかもしれない。しかし、現在の日本では社会保障制度が整備され、高齢化が進んだこともあって、国家の社会保障費が膨張し続けるというという別の問題が深刻になっていることは周知のとおりである。

私はその娘と会うたびに、彼女のこれからの人生に思いを巡らせる。彼女にとって最も望ましいのは、どのような生き方だろう。精神病を克服して、社会保障制度から卒業して自立して生きていくことだろうか。現在の彼女を見ている限り、この可能性は極めて低いように思われる。

彼女は10年ほど前に精神病を発症し、入院して治療を受けた。その後は現在に至るまで精神安定剤や睡眠薬などを飲み続けている。母親と暮らしていた頃から、引きこもり状態で、他人と接触することなしに生活してきた。その母親が不在となった今、この娘の生きることへの意欲は、ますます後退しているようだ。

私は医学を学んだことのない一般人である。そんな素人の私からすると、この娘にとって最も安泰な人生とは、このまま精神障害者としての認定を維持することではないか、と思えてくる。彼女が精神障害者としての「地位」を保持できれば、充実した社会保障制度に支えてもらえる。いざとなったら、障害者向けの施設に入居できるとも聞いた。仮に投薬の必要がないほどに快復したら、彼女の障害年金は打ち切られ、障害者手帳は返納するのだろうか。私のように精神病の身内を抱えている者からすると、主治医に対して「どうか今後も投薬を継続してください」「障害年金の給付が更新できるように、書類を作成してください」と懇願したくなるのである。

これも素人っぽい疑問ではあるが、薬を飲み続けて、精神病は快復に向かうのだろうか。精神病を克服するには、その家族も重い負担を負わなければならないのではないか。社会保障制度の目的は、社会的弱者を保護・支援することである。その制度に守られ支えられて、安定した人生が送れるようになった精神障害者の家族は、病気の快復よりも、その「権利」を保持することを望むだろう。

ある制度が整備されると、その制度の恩恵にあずかりたいと考える国民が増え、人々は、その適用を受けるために必要な条件をそろえようと行動する。そしてそれは政府の財政支出の拡大につながる。私も日本の手厚い社会保障制度の恩恵を受けている一人であるが、その充実した制度の闇の部分を垣間見た気がする。

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