ドイツ歌曲の話 詩人の恋 Dichterliebe #12 Wikipediaを信じるな
Wikipediaでシューマンの「詩人の恋」を調べると、もちろんちゃんとしたことも書いてある。しかし7曲目の「僕は恨まない(Ich grolle nicht )のこれを見ると目が点にならざるを得ない。
↓↓(以下引用)
なお、この曲に限ってはバリトン歌手も原調で歌うのが慣例となっており、曲の後半に置かれた“A”の音を歌えるかが、バリトンの歌う「詩人の恋」の聴きどころのひとつとなっている。
↑↑
写真の楽譜のように、そこは小さい音符で高い音が書いてあり選べるようになっている。
これが逆であれば、つまり上の方が大きい音符で書いてあれば、高音が大変なら低い方でもいいよ、的なニュアンスもあるかもしれないけど、ここはそうではない。
それを
「そこを出せるかどうかが聴きどころ」
とまで書かれると、途端に安っぽいのど自慢大会になってしまい、ドイツ歌曲の本質を見失っているとしか言えなくなる。誰が書いたんや。
歌手がどちらが歌いやすいか、どちらが自分の声のいいところが出せるか、で決めることはもちろんありだと思う。それは否定しない。
ディースカウは彼の著書で、上げない方がいいと思う、と書いている(実際の録音では上げているのもある)
大事なのはそれによってどういう表現が生まれるか、その一点に尽きるのでは。私なら大きい方の、つまり低い方の音符を歌うということは、自分の心の本当の叫びはピアノのトップの音に語らせる。自分で本音は語らない、ということだと考える。
というわけで私は詩人の恋の7曲目は大きい音符で歌います。いらん期待wはしないでください。
Wikipediaは片目をつぶって読みましょう。😉
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