私の世界に王子様はいらなかった。

今、自分の欲しいものは「推し」の供給と、時間と仕事のスキル。

大学生初期の頃に喉から手が出るほど欲しかったものは学歴。

高校生の時に欲しかったものは大学に合格する学力。

中学生の時に欲しかったものは嵐のライヴチケット。

小学生時に欲しかったものは友達。

今欲しいものが自分の人生の中で1番なくても別に死なないものだなと気づく。
あったら生活は潤うし、生きている感じはするけれど、大学初期までに欲しかったものはもっと切実だった気がする。
大人になってしまったのか、自分が達観したのか、つまらない人間になったのか。

小学生の頃、本当に欲しかったのは話が共有できる友達だったのかなと振り返ってみて思う。

全く友達がいなかったわけではなく、むしろ親友2人は今でも連絡をとるし会うし親同士の付き合いも未だに合って、普通に考えたら十分すぎるくらいの大事な友人がいる。

他にも今でも10年以上手紙のやりとりをしている親友がいる。

じゃあ当時の私は何か満たされていなかったのかというと学校という居場所の中で一緒にいる友人がいないことが苦痛だった。

親友2人はもう20年近い付き合いになるのに「学校」という場の友人ではなかった。だからこそ今でも付き合いがあるといっていいのかもしれないが。

文通の親友は病気で学校で一緒に過ごした時間はほとんどない。

親友とよべる人はこんなにもいたのに「学校」というあの独特の場の中で友人関係を持つことが恐ろしいくらいに下手くそだった自分。
学校の友達は基本的に「1年」周期で今考えると気持ち悪い関係だなぁと思う。
1年たったらさようなら。
あんなに話したのに、時間を一緒に過ごしたのに、1年たったらもう二度と話さない。
スマホが普及してない時代だから仕方がないのかもしれないけれど、このリセットシステムが自分を苦しめたし今でも気持ち悪いシステムだなぁと思う。

「学校」という狭いあの世界の中だけで一緒に過ごす友達がいないことが当時の自分にとっては限界だった。今考えると何が限界だったのかも分からないが限界だった。
学校に行かなくても勉強はできたし、学校に行ったら昼間のあの澄んだ青空の景色が見えなくなることが惜しくなって次第に学校に行かなくなった。

不登校かましている間、基本的に何をしていたのかはあまり覚えてないけれどひたすらに好きな本を読んで、勉強して、あとはずっと空を見ていた気がする。
ずっと寝っぱなしとか、生活習慣が狂って、とかはなかったはずだけどあんまり覚えてないな。
母も父も、よくこんな自分を「待って」いてくれたなと思う。感謝しかない。
でも自分の中で、あの空を見ている時間は必要だったんだと思う。

一度逃げてしまえば再び戻ることが本当に困難であることを知ったし、案外行ってしまえば逃げる必要はないし、昼間の青空が美しいこともきっと知らなかった。

「学校」という場を離れれば親友がいたし、話を聞いてくれる大人は両親含めてたくさんいたことも自分は恵まれていたんだろう。
本当に色んな人に支えられて生きている。
自分はとても運が良くて、それに気づくまでにものすごい時間を要した大馬鹿者だけれど、感謝している。

高校2年生の時に、小学生の時の自分を救ってくれるような友人に出会った。
高校生の時から、1年でリセットされる関係は終わった。ようやく息苦しい時代から解放された。
その友人には今でも感謝をしている。
親友二人と、文通の親友と、高校の友人は、きっと一生の友人だと思う。

だから、私の世界に王子様はいつまで経っても登場しない。

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