映画「ファザー」を見た(ネタバレあり)

先にTVを購入したという話で、Amazon Prime会員であるからPrime Videoを見ているという話をした。

Amazon Prime Videoは様々な映画やドラマを見ることができる一方で、毎月見放題が終了してしまう作品が多い。
いつか見ようと思っていたり、そもそも作品があること自体に気づいていないとことで、見放題終了がまとめられている場所で「作品を発見する」ことがある。

昨日はそこで『ファザー』を発見し、最近私が気になっている女優のオリビア・コールマンが出演したこともあって拝聴した。『ブロードチャーチ』の演技が非常に良かったのだ。
なお一般的には『羊たちの沈黙』のアンソニー・ホプキンス主演のほうが話題なのかもしれないのがこの映画であるが。



この映画は元々舞台芸術から派生している。それゆえ他の映画と比較しても登場する場面(以降、わかりやすく舞台と呼ぶ)にしても、俳優の数にしても少ない。
しかし、その成約がこのような素晴らしい映画を生み出すのである。


例が少し古くなってしまうのだが、その成約が生かされた映画と言えば、アメリカのTVドラマから映画化もされた『12人の怒れる男』(原題:Twelve angry men)が相当するだろう。
こちらはほぼ法廷のシーンはなく、話し合いが行われる部屋とトイレ位しか舞台が変わるということがない。


この12人の怒れる男の印象的なシーンがこのトレーラーにもある。ある男性が怒って掴みかかるところだ。この場面ほどスカッとする、素晴らしく気持ちの良い指摘は後にも先にも見たことがない。

脚本が良ければ密室劇でも面白いというのは、アガサ・クリスティの『オリエント急行殺人事件』でもそうであろうし、このことを認識している人が多いことはそうなのだが、密室劇を作品として昇華するレベルにまで止揚するとでも言おうか、高次元のレベルまで押し上げることは並大抵ではないと思われる。

その観点から考えて、ファザーも同様である。
ここからは重大なネタバレがあるのでぜひご覧いただいてからこの続きを読んで欲しい。




ファザーで登場する舞台は

  • 自宅(フラット、日本で言えばアパート)の寝室、リビング、キッチン

  • 病院(診察)

  • 病室

の3つだけである。
無論、我々が映像を通して認識している上ではこのようになっているだけであって、実際は病室の中での夢想がほとんどで、現実の内容は作中で登場する娘、アンの視点で描かれたものだけかもしれない。

病院に行ったタイミングでさえこちらは正しく理解できない。
そのシーンは1度だけしか描かれていないが、実際は何度も行っているだろう。もはやありふれた日常(例えば、昨日の夜何を食べたかすぐ思い出せないのと同じように)は記憶に残りにくいのと同じように、思い出すこともないのである。


『メメント』は時系列順に直すことで、その作品の中身を理解しやすくすることがあったが、こちらはどうであろうか。
これは私が思う順に並び替えるとこうなる。


アンソニーがCDを聴く(日常的行動)、長女アン1度目の結婚と離婚(ポール?ジェームズ?)、次女ルーシー事故により死去(このあたりはどのタイミングで発生しているかさえ分からない)→認知症を患う→病院への通院が始まる(スーツ・ネクタイで病院に通うシーン)→徐々に症状が進行する→長女が自分でできる範囲の介護を行う→ヘルパーを雇う→ヘルパーが辞めてしまう→長女、アンソニー自身もできないことが増える→アンがアンソニーの自宅を引き払い、どこかで誰か(恋人の男性Aとする(ポール?ジェームズ?第三者かも))の3名で同棲→ヘルパーを雇う(服がパジャマ!のシーン)→ヘルパーが辞めてしまう→物取りなどのせん妄、記憶の混濁が始まる→施設に…の会話をアンソニー自身も聞き(自分でも想像していたこと)、ショックで部屋に戻る→ヘルパーを雇う→ヘルパーが辞めてしまう→自宅での介護が難しくなる(徘徊が始まる、服が着られないシーン)→アンと旅行にいけなくなった男性Aが旅行不可ということをアンソニーに話す→ヘルパーを雇う→ヘルパーでは対応不可のレベルにまで来てしまった(ヘルパー?男性Aの虐待行為?)→アンが殺害を決意したが辞める→病院へ電話、施設への入所→アン、フランスのパリに移住(英仏間はトンネルがあり、といってもパリ-ロンドン間は7~9h)→→ラストシーン
というところではないだろうか。特に※部分だが、

※→施設内で虐待行為があったかもしれない→アンも徐々に行く頻度が落ちたかもしれない→ゆえにラストシーンの手紙なのかもしれない

また、認知症も進行すると相貌失認(顔を見ても誰?)となるが、ラストシーンも、散歩に行こうね、と言っているのが看護師か介護士か、それともアンか?といったことは誰も触れていない点や、虐待行為があったのかどうかについても明言されていない点に注意である。


この上記に書いた流れについては、多様な解釈ができるという点でも、素晴らしい作品を作り出した事自体、称賛されるべきことである。
身内にも、知り合いにも認知症を患い、つい先日亡くなった人がいる。それを思い出すのである。本人には悪気はないのだ、だからこそアンは泣き、ヘルパーは憐憫の情を見せ、男性は怒りを見せるのだ。


そして青い薬で可愛い~のシーン。
私は高齢者介護の現場を詳しくは知らないのだが、たしかにこのように高齢者の尊厳を著しく毀損するような事が行われているのも事実だろうと思う。折り紙をやることや、童話を歌うことも否定しないのだが、それを自分が受け入れられるかはまた別の話である。


また上記に関連したことであるが、高齢者になって、認知機能が衰え、それを「可愛い~!」と形容することへの違和感を、私は拭えないのである。これは家族だけではなく見てきたからもあるのだろうが。

そこで、施設に通所するといっても学校での授業を模している「おとなの学校」事業をやっているデイサービスもある。
要介護4でも、授業に参加できる(それはそうで、頭ははっきりしていれば座っていることは体力的にできる人も多いからだろう)というのは、たしかにそうだと思う一方で、少々信じられない、という思いもある。


この映画が素晴らしいというのは、先進諸国が全て高齢化という問題を抱え、認知症自体も一般化してきているからであろう。
是非一度、見て欲しい。

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