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他人の悪意に気づいたとき

他人の悪意に気づいたとき、どう対処するのか。これはある種、永遠の課題であるように感じる。
これは正確に言えば「およそ正しいとは言えない、正当とはかけ離れた方法を自ら(もしくは組織)の意志で選択し、利害関係者(例えば受け手側)に対し客観的に見て不利益を被らせること、もしくはその意図を感じさせること」だ。

(表題の写真:Edgar Degas「The Fireside」, Image © The Metropolitan Museum of Art)




行動の意図

まずここで、上記の「悪意」について、一般的な用法からも定義しておきたい。我々が想像するのは「憎み・害を与える、悪い」といった用法だろう。しかし、ここでは法律の場面で用いられる「法律の効力に影響を与えるような事実を認識している」こと、という意味の2つを組み合わせ、それを「他人の悪意」と表現したと考えて欲しい。

そこで、このような行動を人間が時と場合によって選好してしまうことについて、考えを巡らせたい。
なお、あくまで個人的意見であるし、それに対する論の補強もなければ、ともすれば感情論にもなりえることは、予め断っておく。


結論


正当な手段は面倒だから、悪意ある行為を行ってしまうと考える。
以下で詳しく解説する。


行動意図の源泉を考える

簡単に表現すると、以下の通りである。

「1. 外的環境で何らかが発生」×「2.行為主体にとって重要かつ急ぎ」+ 「3.双方の認識のズレ」=「悪意ある行動」
と考えた。

1.外的環境で何らかが発生する
偶発的な事情もあれば、突発的な事情もあるだろう。もっと因数分解するなら「想定とは異なる動き」×「マイナスな心の動き」と言いかえることもできそう。

例えば、
「気にしていない人から連絡が来た」×「返信が面倒」
「新しく人をアサインする」×「今からは面倒」
など。


2.行為主体にとって重要かつ急ぎ
アイゼンハワーマトリクス(米国大統領のドワイト=D=アイゼンハワーが使用したとされる、重要性と緊急性の2軸で評価した行動指針)で考えるとわかりやすい。

「(Bさんにとって)気にしていない人(=Aさん)」が「(AさんがBさんへ)連絡する」という行動に出たのは、何らかの意図をもって連絡しているであろう、これは3.双方の認識のズレにも繋がるが、いずれにせよ「気にしていない人」は連絡した対象に、(少なくともいつもよりは)優先的に対応してほしいことがあるためであろう。

この行動の源泉は、外的環境で何らかが発生したことに他ならない。結婚への焦り、パートナーの不在、将来への漠然(転職、親類の死など)とした不安など。それが、上記で説明した行動につながる。

「新しく人をアサインする」のも同様に、アサインされる側の人に連絡しているのは、例えば元々お願い予定だった人にキャンセルされてしまった、などが考えられる。


3.双方の認識のズレ
気にしている人(Aさん)、気にされている側、つまり連絡が来た人(Bさん)で考える。
Aさん VS Bさんで示していく。

転職の相談をしたい VS マルチの勧誘かもしれない
久しぶりに話してみたい VS 突然過ぎて怪しい
自分の影響の範囲外の人だから、新しい知識を持っている(かもしれない) VS 自分の影響の範囲外の人だから、話すことがない

新しく人をアサインする人(Aさん)、連絡が来た人(Bさん)なら
急ぎ代役を見つけないといけない VS なぜ自分にこの役回りが来たのか考える
この人にお願いできれば社内も納得する VS 誰かの代役感が伝わってくる
とにかく時間がない VS 相手の事情なんて知ったこっちゃない

こんなところだろう。

無くならない理由

ここまでで重要なのは、悪意ある行動はどちらに向けられたことかを示していない点にある。
つまり、3.双方の認識のズレで示した通り、双方がそれぞれに(善意である行動でさえも)悪意ある行動(になってしまう、もしくはその様に捉えられてしまう)という可能性を秘めているためである。

「気にしていない人から連絡が来た」×「返信が面倒」はどちらも受け手側Bさんのことであるし、「新しく人をアサインする」×「今からは面倒」はそれを行う側のことである。双方の視点から書いてみる。

『1. 外的環境で何らかが発生(=「想定とは異なる動き」×「マイナスな心の動き」)』×「2.行為主体にとって重要かつ急ぎ」+「3.双方の認識のズレ」=「悪意ある行動」

上記より、改めてこれを認識して以下の視点を見てほしい


「友人が結婚した(= まだこの人は結婚しないと思っていた × 私はまだ相手を見つけられていないのに!) × 私も結婚相手として今考えられるなかでふさわしいと思う人へ連絡をして、その人と会ってみよう + この人なら理解してくれるだろう」= 今まで連絡していなかった人にメッセージ

「久しぶりにメッセージが来た(= なんでこの人が連絡してきたんだろう × 返信面倒だな) × メッセージの返信しなきゃいけないけど、なんて返信したら良いんだろう + 大体こんな久しぶりに連絡してくるなんて、マルチの勧誘か下心と下半身丸出しのクソ野郎だろう」= メッセージは無視してブロック


「仕事キャンセルされてしまった(= 新しく人をアサインしなきゃいけない×けど今からは期間が短すぎてとても面倒) × 仕方ないから最近連絡した中で、仕事受けてくれそうな都合の良さそうな人いないかな + この人なら暇そうだし、利害が一致しそうだから受けてくれるだろう」 = 是非仕事をお願いしたいのですが…。

「仕事依頼が来た(= 今までやったことがない仕事 × でもなんで今こんな連絡が来るのだろう?) × この仕事、なぜこんなショートノーティスで連絡してきたんだろう + なにか裏があるだろう 」 = 今回はお断り申し上げます


どちらにとっても望む結果にならなければ、ともすればそれは悪意ある行動として捉えられてしまうということを孕んでいるのだ。また最後はどれもだろう、で終わっていることに注目してほしい。

「いや、こういう意図で連絡してるんですがね」ということが全て欠落してしまっているがために、こんな解釈への余裕が生まれ、トラブルが起きてしまうのだ。
ただ、これを書くのはとても面倒だし、弱みを晒してしまうことで、相手側へ有利な交渉条件を伝えてしまうようなもの、と捉えてしまいがちであるため、邪推(もしくは正しく相手の意図を理解)した結果が、上記のようなことに繋がってしまう。これが先に結論で書いた「正当な手段は面倒」の正体だ。


弱さに向き合う

長文をわざわざここまで読んでくれた諸氏のために、自らもきちんと記さないといけないが、これは自分の体験談も一部含まれている。そして、同じようなことで悩んでいる話も枚挙にいとまがない。何なら、つい先日も同じ話を友人から聞いた。

これらを乗り越えるためには、まず自分の弱さを認識することからなのだろう、と考えている。
上記例の結婚にせよ、仕事にせよ、自分の人生の中で占める割合は相対的に大きい事象であるために、否応なくこの事実に向き合わなくてはいけないタイミングがいつか来る。

そのとき、弱さから逃げ出してしまうのか、それとも向き合って、相手の人生まで考えて結論を出せるのか(しかし、当たり前のことだが、他人の人生は自分の人生ではないので、そこまで引き受ける必要があるかを十分に勘案する必要はある)のどちらを選択するのも自由である。

だが、個人的感覚ではその弱さに向き合うことこそが、自分をより豊かにするものであると信じている。弱さに向き合った結果、愛を知る。愛と想像力が殺伐とした世界で、一抹の清涼剤になることを期待してならない。

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