見出し画像

プラトーンを観て|聖書引用やバーンズについての簡単な考察

プラトーンを観た。


Amazonのレビュー然り、その他のプラトーンに言及するブログも然り。
この映画の本来伝えたいことを無視している。それに気持ち悪さを感じて、このように書いてみようと思い立った。特に以下の2点について書いてみたい。






聖書引用について

若者よ、お前の若さを喜ぶが良い。

冒頭の(旧約)聖書。(コレヘトの言葉11章9節、新共同訳聖書から引用)

「戦争映画なのに若さを喜べ?おかしいじゃないか!」

と、まずこれに突っかかる人がもっとも本質を理解していない。
このあとに続く文章を聖書を引いて、よく読むことだ。(むしろここになぜこの言葉が引用されたのか、考えなかったのだろうか?)
続けて引用する。


青年時代を楽しく過ごせ。
心にかなう道を、目に映るところに従っていけ。
知っておくがよい
神はそれらすべてについて
お前を裁きの座に連れて行かれると。

上記同

決して好き勝手に生きろといっているわけではないのだ。同12章13節、14節にはこう続く。

13 すべてに耳を傾けて得た結論
「神を畏れ、その戒めを守れ。」
これこそ人間のすべて。

14 神は、善をも悪をも
一切の業を、隠れたこともすべて
裁きの座に引き出されるであろう。

上記同

12.13を見て取ればわかるように、11.9部分は人間の知性について、理解についての限界を示しているに過ぎない。神の恩寵たる"人生を楽しむこと"の重要性を強調しているのであって自己中心的、つまり神に逆らうことや、自由奔放に好き勝手に生きろということではない。

これを文字通りに解釈して、おかしいじゃないか!と言っている人がおかしいのだ。最後は神に裁かれる、そのときにこれらの行為もすべて検討材料になりますからね、という言わば、警句である。


ちょっと調べるだけでこのようにわかると思うのだが、そういった努力を放棄している人間が多い。むしろその反省を活かして『7月4日に生まれて』が作られたのかもしれないが。より反戦のイメージが全面に出されたという観点で、宗教色はむしろ後退したので。


そして、これらを総合して考えれば、エリアスはキリストの受難の比喩である。演じたウィレム・デフォーはこの映画の後、『最後の誘惑』でキリスト役を引き受けている。このあたりはどうしてこのように私が解釈したか、自分で映画を見ることで調べてほしい。聖母の「7つの悲しみ」である。



バーンズの行動について

続けてプラトーンと検索すると表示される「プラトーン バーンズ 正しい」の言葉である。最も気持ちが悪い。

バーンズが正しい、これら行動は正当化される

こういった論調が見られる。大きな間違いである。
ではあなたが虐殺される側のベトナム人として、彼の行動が正当化されると感じるのだろうか?殺されても仕方ない、それが運命だと受け入れるのだろうか?そうではないだろう。


何より、どういった理由があって、民間人の虐殺が正当化されようか?
それを「上長にしたら頼もしい」「正当な判断ができるかわからない(= から、上長の彼が手を下すだけの力を持ち合わせていることが良い)」「エリアスは間違っている」……。

人間同士で争うことの無情さを感じることなく、イデオローグともいえるこれらの考えを表明することこそ、先の大戦から何も学んでいないことの象徴である。最も愚かしい。


こういった上記のような意見をお持ちになった方々は、スタンレー・ミルグラムの『服従の心理』を読んだ方が良い。

いわゆる、アイヒマン実験について書かれた本である。簡単な解説は以下のリンクで読むと良い。


私が気持ち悪さを感じているのは、まさにこの最後の450Vまで実験を続けるであろう、上記のバーンズを肯定する意見を持っている人々と同じ、事なかれ主義の、読者たる画面の向こうに存在するあなたについてである。


なお本には、早い段階で実験を中断した人物の特徴について書かれている。ここではあえて指摘しない。1冊本を買って読むべきだ。ここで楽をしようとするから、そういった上長にしたら頼もしいなんて、全く最低の意見が出てくるわけである。

もちろん、戦場で言い争っている場合ではないのもそうだし、指揮命令系統が混乱するのを防ぐために上意下達となるのも理由はわかる。秩序を乱そうとしたエリアスが否定されるのも分からなくはない。

しかし上意下達でお上の意見をただ盲信し、受け入れることによって、結果的に先の大戦は日本が敗戦した。『失敗の本質』でも権威主義に盲信することの危険性について、触れられている。


この映画で人間の二面性を描いたとか、そういう論調も大いに間違っていると思う。先に書いた通り、これをキリスト教的な神の視点から見て、どのように判断を(神に)下されるか、ということを訴えかけているわけである。その答えは言わずもがなであって、故に反戦映画で、体制批判につながるのではないだろうか。

少なくとも私がどの論点からも正しく生きているか、断言できない。だから、こういった意見には強く違和感を持ち、表明することが何らかの契機になれば幸いである。

継続的に記事を書くために、ぜひご支援よろしくお願いいたします。 より良質な記事を書くためおよび、世界の恵まれない子どもたちのために使わせて下さい。