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2022シーズンを振り返って

言いたいこと ①クラブが求めるサッカーと、監督の理念のズレ ②求める声ととピッチで起きていることの温度差(サポーター同士も) ③曖昧な3年計画に縛られた、浦和に関わる全ての人 ①クラブが求めるサッカーと、監督の理念のズレ リーグ戦9位で終わった浦和レッズ。優勝出来なかったこともそうだが、自分が1番残念だったのは、リカ将の目指すポジショナルプレーが今年で終わってしまうことだ。シーズン中からも、成績やクラブの方針を気にして、監督が自分の哲学を曲げざるを得ない判断をしていたよう

    • 紙やネットの情報は限界がある。思い出は一生心に残る

      僕が尊敬する人は2人。1人は杉原千畝さん。これは別の機会で詳しく語りたい。 もう1人は祖父。僕が小3の時、年末年始に祖父母の家に行った。祖父はがんの影響でかなり衰弱していて祖母が介助していた。 大晦日の夜、僕がリビングにいることを知り、向こうとフラフラになっていることを僕の叔母に見つけられた。介助されながらこたつに座り、僕と話した。話した内容は全く覚えてないが、そこまでして話したいという気持ちが嬉しかった。その日の深夜、倒れて救急車で運ばれてそのまま亡くなってしまった。

      • 僕にとっての理想

        仕事は、附属小が1番良いかな。自分の好きなスポーツを通じて、子どもと信頼関係を作れる。何より休み時間とかで冗談言い合える仲ってのが良い。まあでも、今でも子どもが自分のこと好きでいてくれてるの伝わるから(全員ではないけど好きってのはすごい伝わる)、それだけでもすごい幸せなこと。 先生同士の関係は、怒られなければそれで良いかなってのが最低ライン。まあ自分も園のやり方とか子どもとの接し方とかまだ全然分からないし、1通りわかるまでは言われながらやるしかないかなあ。 休日はやっぱり

        • 阿部ちゃん

          阿部ちゃんの引退は本当に感動的だし、阿部ちゃんの人柄がとても良く出ていたと思う。 だけど、ここまですごい選手で、今までのレッズの歴代の監督がみんな「阿部がもう一人いてくれたら…」と思うほどありがたい選手で、みんなのお手本となる選手にリーグのタイトルを届けてあげられなかったことはクラブにとって大きな損失だし、決して不可能なことじゃなかったと思う。 選手、監督、フロント、サポーター、色んな要素があると思うけど、日本一のサポーターを持つチームが30年近くで1回しかリーグ取ってないの

        2022シーズンを振り返って

          1学期を振り返って

          「子どもが好きなだけではやっていけないが、子どもが好きでなければやっていけない職業」 よく言ったもんだ。 にしてもしんどかった。何がしんどいって「自分が変わっている。自分には足りないところがある」ってこれでもかってくらい突きつけられたこと。 自分に足りないものはうすうす自覚してたつもりだ。そんなすぐ直るものじゃないし、ゆっくり向き合っていこうと思っていた。それをまざまざと見せつけられるかのよくに、子どもにも先生方にも感じた。「正論」の世界だなと思った。(あくまで個人の感想

          1学期を振り返って

          Jリーグの日

          5/15。Jリーグが始まったのと私が生まれた日が被っているのは、偶然じゃないと思ってる。 小6で初めてスタジアムで試合を見てから、自分の中でずっと欠かせないものになっている。 コロナでJリーグがなくなった時、心に大きな穴が空いたような感じがした。同時に、当たり前に定期的にスタジアムに足を運べていることは、とても豊かなことだったんだなと感じた。 Jリーグが再開してから8月に久しぶりに浦和美園駅から歩いている時、「ああ、普通にスタジアムに行って試合を見るって、こんなにワクワ

          Jリーグの日

          中村憲剛という存在

          中村憲剛の引退が決まってから、「この試合だけは観に行きたい」とずっと思っていた。 フロンターレを直接応援してきた訳でもなく、中村憲剛を若手の頃から知っている訳でもないが、あまりにその存在が大きすぎた。 「蹴り方に決まった正解はない。日々の練習の中で追い求めていくもの」 「身体が大きくなくても、身体能力が高くなくても、自分の特性を把握して、練習を重ねればプロでやっていける」 1人のサッカー選手として、多くの刺激をもらった。 「そんな選手が現役でプレーする姿を最後に一目

          中村憲剛という存在