【MeWSS論文コラム】Discussionで書くこと

 一般的に推奨されているDiscussionの構成は、次のとおりです。
 (1)主な結果の概要 (2)先行研究との比較 (3)結果の解釈・想定と異なった結果に対する考察 (4)limitation
最初に読む査読者もこの構成を念頭に置いて読み始めるので、違う組み立てになっていると混乱して読みにくいと感じてしまいます。
 ただし、異なる構成を求めている雑誌もありますので、まず投稿する予定の雑誌の規定をよく読んでください。
 Resultsで述べた事柄を一つ一つ、その順番に解説したDiscussion原稿を見ることがよくあります。例えば、Resultsはpatient disposition から始まるので、Discussionもその順番に説明を始める、というような。Discussionは結果を説明する場ではなく、解釈したり議論する場ですので、議論に必要ない限りデータの説明は不要です。また、Resultsで既に書かれてある数値(表も含みます)は繰り返さないようにしましょう。
 (1)主な結果の概要
 何かの仮説を検証することが目的であったなら、その検証の結論を書きます。結果で述べた数値は繰り返さず、有意差が見られたとか、大きな違いがないことが示された、など言葉で書いた方がいいです。
 副次的評価項目をどこに書くのかについては、悩ましいところです。興味深い結果が出たのであれば、ここで続けて述べるのもいいと思います。私は、最初に主目的についてまず議論して、後半部分でその他の結果について述べることが多いです。評価項目の数やその性質にもよります。
 (2)他研究との比較
 他の同様な試験と比較してどうであったかを考察します。よく似た試験はなるべく網羅的に取り上げた方がいいでしょう。もちろん一つ一つ紹介する必要はなく、結果の傾向別にまとめて文献を引用するという形で結構です。
 先行研究と異なるところを見つけられたら、Discussionの本領発揮です。それがなぜなのかじっくり考察してください。ここで初めて、研究に参加された患者さんのバックグラウンドを議論することになるかもしれません。
 (3)結果の解釈・想定と異なる結果についての考察
 当初考えていた通りの結果が出ませんでしたか?違いがあると思っていたのに有意差が出ませんでしたか?残念なことかもしれませんが、論文を書く側からすると、書くことがいっぱいあってよかった、ということにもなるのです。
 一方逆に言えば、想定通りの結果が出て、それが先行研究とも似たようなものであった場合、これを論文として発表する意味がある?という疑問が発生するかもしれません。その場合は、なぜこの研究や論文が重要かということを、読者や査読者に納得してもらうための論説を入れることになります。
 想定と異なる結果が出た場合避けなければならないのは、言い訳に聞こえるような書き方をしてしまうことです。研究実施者よりもむしろ査読者になったような気持ちで、客観的を超えて批判的な見方を持って書くとうまくいくことが多いです。
 (4)limitation
 観察研究では特にこれが重要なので、プロトコール作成の段階から、このデザインで何が言えて何が言えないのか、色々な方とディスカッションしたり、折に触れて考えておいていただくといいと思います。
 これも時々誤解があるのですが、limitationの多い研究が劣っているわけではありません。むしろ、ごく一般的なバイアスや研究の限界しか書かれていない場合は、あまり考えていないと評価されかねないので、じっくり検討することをお勧めします。

 Discussionの書き方にはテクニックがある、というご意見を耳にしました。査読者やエディター向けのアクセプトに有利なテクニック、という意味であれば「それはありません」と敢えて言いたいです。言い回しを工夫して事実をよく見せようというのであれば、それはDiscussionには最も不要なことだと言えます。さらに、Discussionの内容がアクセプトに影響を及ぼすことはそれほど多くありません(この点についてはまた別の機会に、査読者が見るポイント、といったテーマで書こうと思います)。
 良いDiscussionの極意は、事実に誠実でかつ客観的であること、研究の限界をよく理解していること、著者の思いが根底にかすかに流れていること、そして医学研究論文では、読者は専門家であるものの、情報の行く先には患者さんがいることが意識されていること、です。
 特に統計解析ありきの後ろ向き観察研究の場合、事実に誠実であることと研究の限界の理解は、セットで考える必要があります。そして、なぜこの研究を行い論文を発表する必要があるのか、現在と将来の患者さんにどのような利益があるのかが明確になっていることが重要です。
 この原則に則っていれば、そして文法と専門用語が間違ってさえいなければ、別にnon-nativeが一生懸命書いた多少辿々しい英語であっても、論文としてはそれで十分だと私は考えますし、実際そのような英語でいくつもアクセプトをもらってきました。
 
 ただ、共著者を納得させるため、作業をスムーズに進めるためのテクニックは、少しあるかもしれません。この点について一つ例を挙げて書こうと思います。
 使っているデータは、共著者のお一人が伝統的な方法で治療してきた患者さんのものだったとします。筆頭著者はそのフォローアップを引き継いだのですが、どうやら新しい別の治療法をあとから追加することで予後が良いらしいという結果を見つけました。これを報告することは共著者も了承してくれたのですが、ここでDiscussionの書き方に注意が必要かもしれません。長年やってきた治療法を否定するような書き方をしてしまうと、共著者の機嫌を損ねてしまうかもしれません。投稿できなくなると元も子もないので、ここは気をつけて進めたいです。論文のテクニックというよりも、難しい相手とビジネスを円滑に進めるといった側面もあるでしょう。
 論文を書く視点で言うと、テクニックというよりも、事実に誠実かつ客観的に、という基本に立ち返ればいいと考えます。後ろ向きの解析では検証できたわけではないので、過度な言い回しを避け、見出された知見を客観的に報告します。

 事実に誠実であり過度な言い方をしない、というのがdiscussionの基本ですが、ここに「著者の思いが根底にかすかに流れている」が加わるのが、良い論文だと私は思います。
 ただでさえ忙しくて時間がない臨床医が、なぜ論文を書かなければならないか?それは、患者さんと常に向き合っている医師にしか書けない論文があるからです。日々の臨床から自分が見つけたクリニカルクエスチョンと、患者さんに向けられた研究結果、それに対する思いが根底に流れているかどうかは、美しい文章で表現されていなくても伝わるものです。