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現在の座標は、さながらなぞなぞのような、なーんだ?という感覚
久々のジャーナル
久々にnoteをひらいてみる。自律神経の乱れを感じると、すっかり習慣になったYouTubeをだらっと見続けることをストップする。本を読んだり、ジャーナルを書くことはぐっと少なくなった。
立ち止まれなくなっているような、そんな感覚がある。
内側に目を向けているようで、少し違うような。自分ひとりの時間を大事にしているが、内面に向き合っているのとはまた違う。なんだろうな?この状態。ていねいなようで、雑というような。
よくいえば、ポップな感覚ではある。色々なことが、どうでもよい。ううむ?
あまり、あれやこれやと「これはなんなんだ」と考えなくなったような気がする。後々、あ〜そういうことだったのか、となることはある。
これは、意味なんてものが存在しなくてもいい。意味があってもなくても、それに変わりはないのだから、という価値観によるものな気がする。
深く考えずに決めた洞爺湖行き
来週は洞爺湖に滞在する。人生初のテント泊。他にも人はいるが、テントにはひとりだ。どんな体験になるのだろう。よく考えずに選んだこと、たのしみだ。
きっと自由には過ごすのだろう。自由にさせてくれるひとたちがそこにはいる。
他者に発動する自動モード
うわ、小さなことでもNOって言いづらいことに気付いた。元々あったんだけど、意識が向くようになってるというか。
— h a a l. (@h_a_a_l_) August 21, 2022
気を使っていることが相手にも伝わってるのに、小さな嘘、自動最適が走ってしまう癖、習慣が。
なんだか最近、↑こういうことを自覚した。誰かと関わっていくことでの自分というアイデンティティがグラウンディング出来ているような、出来ていないような。
人といることに疲れる。これまでだと寂しさを人とともにいることで癒やしてきたけれど、それを自分でじっくりともにいてみるような1年を過ごしてきたので、なお、ひとと過ごすことの優先度は下がった。
だれかと関係を地続きにしていくこと、は引き続きエッジのまま、ある。あるなあ。
最近こういうことも、考えようとしてもすぐ気が逸れる。それをひとはエッジというのだろうし、はたまた焦っていないようにも思う。触れるときは、必要に応じてやってくるのだろう。
いまを味わい、いまを生きておれば、よい。
2022.08.21 @tokyo
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