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tamaki311
たくさんの声
昨日は2回目の整体に行き、とくにコリのひどい首の付根や肩甲骨、耳の後ろの血のとどまりが流れたようで、だるさ、そして深い眠りを経て朝を迎えた。
今日も、お腹が重い。今回はいつもよりも重さを感じていることもあってか、飲酒を避けたり、体に無理をさせないような気持ちが働いている。
いや、無理をさせない気持ちは、別のところからもきている。
ジャーナルを書きながら、湧き上がってくるときは安心安全を感じているときなのかと思い返す。とすると、湧き上がっても一瞬で消えていく、形がつくれなかったときのわたしは、安心安全を感じていなかったのだろうか。
それはyesと、noと言いたい気持ちがどちらもあるのだろう。それでも、ゆっくりと目の前の白いページと少しずつ紡がれていく黒い文字を半眼でぼんやり眺めながら、湧いたお湯を紅茶に注ぎ、再び向き合っていく。やっとReady担ったような気がしている。
だれかとともになにかをすること。だれかを人生におまねきすること。ふたたび、違う軌道を進んでいるらしい。MBTIを再診断する機会があったのだが、今日の午後のセッションまで中身は見ないでねと言われたのに、結果がチラッと見えてしまった。E(外向)からI(内向)になっていた。
正直、どちらの側面もあるとは思うし、使い分けたりすることもあるなと感じるが、その傾向やあり方の変化は感じている。
誰かと会いづらくなった世の中、そのとき大切にしたがったスタイル、住宅街の戸建てが集まるエリアのなかにポツンとある家への引っ越し。きっとこれらにも、なにかあったんだろうなとはおもう。
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