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【卒業カウントダウン1】ギリギリ生きています。

ちょうど今から1年半ほど前、2022年1月末にオーストラリアにやってきた。
当時、コロナが大流行していて、そんな中数年ぶりにオーストラリアの国境が開いたタイミングで入国した。初めてきたアデレードという街で、これから自分はどんな経験をするのだろうかと好奇心いっぱいで、エネルギーに満ち溢れていた。希望と期待だけを胸に、これから直面するであろう壁も、苦痛もなにもしらないピュアな自分。あの時のわたしにかける言葉があるとすれば、なんとか今も生きていますということ。

卒業まであと3ヶ月

たかが大学院留学。それでもこの短期間でアイデンティティがまるで変わってしまった。それもそう。住む国も、職業も、リレーションシップステータスもなんなら食生活や習慣まで全て変わってしまったんだ。まるで別人のようにさえ感じる。

12月中旬に卒業を控え、ある程度の単位は取り終わった。
あとは、最後の実習あと1週間。リサーチ科目と11月に最後のテスト。
実習の方は、中間評価の時に合格レベルに達していたのでさほど心配はしていない。他もきっと大丈夫、そう感じる。

きっと大丈夫

「きっと大丈夫」はいつからかわたしの口癖になった。
愛知県の至って普通の家庭出身のわたしがオーストラリアなんて国で、はたまたスピーチパソロジスト(言語聴覚士)になろうなんて現実味に欠けたことをするものだから、それはもう心配に不安に精神衛生だださがり。
最初の1年は学業で一杯一杯になる中、バカみたいに高い学費と生活費を工面するためにない頭とエネルギーをいっぱい使って、考えて、働いた。
本当に卒業できるのか、学費を支払い切れるのか不安になって何度電卓を叩いたことか。なんとかギリギリ行けそう。ラッキーであれば、行けそう。
だからわたしは「ラッキー」である自分を選ぶために、きっと大丈夫と自分に言い聞かせた。

スピーチパソロジスト

いま考えても、辛いことが99%を占める留学生活。
不思議なことに、それでもわたしはどうしてもオーストラリアでスピーチパソロジストになりたかったらしい。というか、わたしほどこの職業に向いている人はいないと確信できた。だから諦めなかった。

オーストラリアに来たばかりの頃、第二外国語で言語聴覚士になろうなんて無謀なんじゃないかと思っていたことがある。ネイティブガールズたちの会話のテンポにはついていけないし、新しい生活に圧倒されて、会話しようなんて気力さえ失っていた。
少しずつ慣れていくうちに、じぶんの「外国人さ」さが嫌になってきた。
こんなんじゃ就職してもきっとすぐにローカルガールズに負けてしまう。
ああ、なんて自分はダメなんだ。いま思うと本当におかしくて笑えてくるのだが、当時は真剣に「外国人」である自分に劣等感を感じていた。

そんなわたしがイケると思い始めたのが1年生の2セメスター目の実習。
初めてクライアントを持って、セラピーをして、変化や成長を目の当たりにできた時。わたしが外国人であることは多分関係ない。それ以上に、わたしがどんな人間であるかが重要なんだと痛感した。それに加えて、実習の中間評価で知識、学習態度なんかはもう問題ないのだから自分がどんなスピーチパソロジストになりたいか考えてと言われ、はっとした。

Establish your identity as a clinician. Who are you?

異国の地に来て、日本でのアイデンティティと変わらない部分と、新しく加わった部分がある。変わらなかったのは自分の能天気さ、ハッピーさ、勤勉なところ。新しく追加されたのは、相手を思いやれることやベストな結果のために妥協しないこと。まるで新たな武器を手にしたみたいで、わたしはさらにハッピーになった。

セラピーアシスタント

去年の11月にセラピーアシスタントの仕事を始めて、もう少しで1年になる。
今日みたいに実習のない日は学校訪問をしてセラピーを提供する。
まだまだ学んでいることばかり。なんだかんだこの仕事を楽しんでいる。どんなことがあっても、みんな人間なのだから仕方ないよな〜と焦ることなくただただ現実を受け止める。


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