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歴史的な民族大移動への政治力学解明~松浦正伸「北朝鮮帰国事業の政治学:在日朝鮮人大量帰国の要因を探る」(明石書店)

今年2月20日に刊行された新しい研究専門書である。ここ10日ほどかけて、少しずつ読み進めた。著者は福山市立大学都市経営学部准教授で専門は朝鮮半島関連の政治外交・東アジア国際政治。ソウル大学で外交学博士号を取得している。

1959年12月から1984年にかけて、のべ9万人以上の在日朝鮮人(及びその日本人配偶者等)が北朝鮮に渡った「帰国事業」~これについては、これまでも多くの研究蓄積があるし、オーストラリアの歴史学者:テッサ・モリス=スズキ氏による名著「北朝鮮へのエクソダス」が有名だが(私も前に読んで大変感銘を受けた)、この著作はそうした過去の研究を踏まえながら、特に在日コリアン組織と「祖国」の関係性・日本の政治勢力のこの課題への取り組みなどに焦点を当てて、当時の「どんな政治力学が、この大きな運動の流れを形成していたか」を解明しようとしている。

日本では文庫版も出ている。ちなみにTessa Morris-Suzukiをカタカナ表記するなら、
「モーリス」ではなく「モリス(氏の旧姓)」が妥当だろう。

「北朝鮮へのエクソダス」では、①日本政府にとっては「やっかいなお荷物」である在日コリアン問題の「解決」にもつながるという視点②国際赤十字や日本赤十字社などの「人道問題」としての視点③北朝鮮での朝鮮戦争後の若年労働者需要と国際的な「社会主義の優位性誇示」の思惑~の主に3点からこの問題を解き明かしていたが、ここでもその3者の思惑が様々に交錯しながら「帰国事業」が推し進められていく様が、詳細なデータと共に論証されていく。

しかし、この「帰国事業」が始まった当初の1960・61年にはそれぞれ約49,000人・22,000人の「帰国者」がいたのに、1962年以降はその数が急激に減っていく様は、「地上の楽園」と散々喧伝された北朝鮮の「実情」が漏れ伝わってくるにつれ、在日コリアン内でも「帰国熱」が醒めていく様をよく表している。

ここで論述される在日コリアン組織について~1945年10月に結成された「在日本朝鮮人連盟(朝連)」や、それが1949年に当時のGHQによって解散を命じられた後、1951年に結成された「在日朝鮮統一民主戦線(民戦)」などの組織の在り様については、あまりに日本共産党との関連が強調されすぎていて、私にはかなり違和感があった。もちろん当時の左派在日コリアンたちは祖国志向と共に、日本の左派勢力との共闘も盛んだったろうが、左派在日コリアンたちがまるで日本共産党の傘下・支配下にあったかのような論述は、民族組織の主体性を軽視しすぎではないのか?

しかし、1955年「在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総連)」結成とその後の金日成の「教示」などによる「祖国との一体化」~祖国統一を第一義的に掲げ、在日コリアンは「共和国公民」であり、日本の内政に不干渉、とする運動方針への転換などの論述は、概ね妥当なものと思う。そして当時、朝鮮総連が主張していた「在日朝鮮人は全て日本の強制連行などの犠牲者。すべからく祖国である朝鮮民主主義人民共和国への帰国の途を開くのは、日本政府の責務」という言説の「物事の単純化と断定化」が一種のプロパガンダと化し、大きな流れを形成していく様は、当時の熱狂とは裏腹に、「歴史的事実を冷静に、俯瞰的・総合的に把握する」ことの重要性を我々に教えてくれる。それは「従軍慰安婦問題」や「炭鉱労働などへの強制連行問題」でも同じことである。「単純化された言説」は強い訴求力を発揮する場合もあるが、その分弊害も大きい。

そして、この問題に関する当時の日本の国会審議において、日本社会党だけでなく自民党議員らからもかなり多くの(肯定的)発言があり、また北朝鮮ロビーとしての「日朝協会」などの存在~今から見れば「隔世の感」があるが、1960年頃と言えば、旧ソ連にしろ中国にしろ、その「社会主義体制の資本主義体制に対する優位性」が多くのインテリ層に信じられ、雑誌「世界」が大学生などによく読まれていたという時代~であったからこそ、「人道問題として北朝鮮への帰国を支援・推進する」流れに棹差す言説は希少だったのだろう。

また、当時の韓国・李承晩政権が在日コリアンへの関心が薄く、1946年に結成された「在日本大韓民国(当初は朝鮮)居留民団(民団)」も財政・運動規模共にまだまだ脆弱で、北朝鮮や朝鮮総連からの「政治攻勢」に対抗する勢力には成り得ていなかったことも大きいだろう。そして、1961年~朴正煕の軍事クーデターとその政権支持を巡る「在日コリアン反共勢力内での内部分裂」。このあたりの著者の論述は、在日コリアン組織の変遷を振り返る意味でも有益であった。

著者はこの研究成果において、朝鮮総連を一貫して「被管理大衆団体」(祖国:北朝鮮による管理団体)と捉え、そういう形態に「組織変容」していく在日コリアン組織と「帰国事業」の流れを同時並行的に考察していくが、それは著者が「過去と現在との相互関係を通して両者をさらに深く理解する上で、より積極的な知的枠組みでもあった」と言うように、私も有効な視点であったと思う。

<蛇足>これは最近になって私の母親から聞いた話だが、私が幼稚園時代~多分5歳の頃だから1967年頃~私の父が朝鮮総連の「講習会」か何かに参加してすっかり頭に血が上ってしまい、「北朝鮮に帰る!」と言い出したことがあったらしい。母は強硬に反対して「どうしても帰る言うなら、離婚するからあんただけ帰り!」と言って、ようやくその熱は収まったらしい。結果的に「帰らんでよかった、よかった!」~まあ、そういうお話である~(*^^*)





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