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「抵抗」と「協力」の狭間で揺れ動き続けるもの:それらを見つめ直すことの意味~ナヨン・エイミー・クォン「親密なる帝国:朝鮮と日本の協力、そして植民地近代性」(人文書院)

これは米国では2015年、日本では2022年4月に翻訳が出版された研究書。著者はデューク大学アジア中東研究学部准教授&同大アジア系米国人とディアスポラ研究プログラムディレクター。元となっているのは著者の博士学位論文のようである。様々な示唆を含んだ、学ぶところの多い研究成果だった。

ここで著者が「植民地近代性(Colonial Modernity)」と言っているのは、よく「日本の植民地支配は朝鮮の近代化に貢献した」という「植民地近代化論」とは全く違う。むしろそうした「帝国主義支配擁護論」によって覆い隠され、一面的解釈によって歪められてきた、植民地朝鮮での様々な人々(ここでは主に文学者)の実相を詳細に検討することで、あの時代の「支配される側」が単純な「抵抗か協力か」といった二項対立では描けない複雑な関係・状況であったことを解明している。宗主国である日本の近代性に憧れ、その求心力に身を寄せながらも民族的自主性と自尊心も堅持したい当時のインテリたちの複雑な様相。

ここで取り上げられるのは、政治経済的な側面ではなく主に朝鮮の文学者たちの姿。作家:金史良(キム・サリャン)は東京帝大に進学し、その後、小説「光の中に」が1940年芥川賞候補作となるが、結局次点に終わる。その時の日本文壇での久米正雄・川端康成らの言い訳がましい講評。そして作家自身の「日本語で書くか朝鮮語で書くか」の葛藤。金史良は朝鮮語・日本語両言語での作品を残しているが、どちらの言語で書くかという問題は、やがて植民地支配の一環として「内鮮一体」のスローガンの下、言葉と文化が奪われていく中で、当時の文学者・文化人たちにとっては植民地支配をどう捉えるかという意味でも非常に重い課題だっただろう。著者は「タゴールやイェイツが英語で書いた作品ははたしてインド・アイルランド文学か?」~という例示を出すが、当時の朝鮮人(植民地支配下の「日本人」)が日本語で書いたものも、勿論朝鮮文学である。

張赫宙(チャン・ヒョクチュ)は主に日本語で書き、また彼が脚本を書いた「春香伝」新劇版が日本・朝鮮で巡回公演されるなど、日本での「朝鮮ブーム」の一端を担うようになるが、当時の日本人大衆やインテリの朝鮮への関心が、一種のエキゾチズムを基底とした「遺物への興味」のようなものでしかなく、「日本より遅れたもの」の「包摂と排除」という二律背反的な性格を有していたことを著者は繰り返し強調する。そうした側面は当時の文学者たちの「座談会」にも如実に表れている。朝鮮人作家:林和(リム・ファ)の朝鮮語・文化を守ることへのこだわりと日本人作家:林房雄らのそれへの無理解~支配する側の無神経。張赫宙は戦後帰化し野口赫宙として執筆活動を続けたことから、北朝鮮・韓国の文学界からは排除・忘却されるようになるが、彼の様な存在を「親日作家」として記憶から排除してきた戦後の南北朝鮮半島もまた、植民地支配時代の複雑な社会の様相を単純化し、自らが見たい「抵抗か協力か」の二項対立でしか歴史を見て来なかったことを表している。

姜敬愛(カン・ギョンエ)という女性作家のことはこの度初めて知ったが、この作家が書いた作品も、元々プロレタリア文学色が強いとはいえ、戦後の北朝鮮では内容が「より反帝国主義的」に改変されていたり、時の政権に都合よく扱われてきたことは否めない。

この中では、親日作家の代表格とされる李光洙(イ・グァンス)も少し出て来るが、こうした作家たちの営みを今改めて「ポストコロニアル」な視点から見直してみると、そこには「親日か反日か」などという単純化された薄っぺらな評価では収まりきらない、彼らの内面の葛藤と苦悩、その時代の複雑な様相が見えてくる。

また、日本の傀儡国家「満州」においては、朝鮮での植民地支配によって土地や資産を奪われた朝鮮人(当時は外地日本人)が大量に移住するようになり、今度はその地の中国人を抑圧する存在として機能するようになるアイロニカルな構造(万宝山事件などはその一例)。支配する側の巧妙な策動による、支配される側同士の対立。

歴史を複合的・総合的視点から理解・把握することの重要性~近年、歴史学者や社会学者たちが「ポストコロニアル」というキーワードを基軸に、様々に過去の史料・資料を掘り起こして問題提起しているのは、要はそういう事なんだろう。そうした試みが、おそらくコリア系米国人らしき著者によってなされたことは、実に意義深いことなのだと私は思う。





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