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未完成から学ぶパラドックス

僕は30年前18歳の時に韓国に留学しました

何のゆかりもない韓国に行こうと決めたのは別の高校の先輩が
「これからアジアの時代が来る。英語が話せる日本人より中国語か韓国語が話せる日本人になった方がレアな人間になれるぞ」
って言われたのを間に受けて武勇伝が作りたかっただけの僕は渡韓しました。

まなぶためのツールとしての語学

さすがに毎日キムチとわかめスープには参って帰りたくて仕方がなくなったのですが
気がついたら5年半いました。

そこで学んだ韓国語と人脈でアパレルの仕事でも工場開発や仕入れ、生産管理を
生業として生きれていましたが
数年前「やっぱり英語話せた方が良かったかな」って感じた時がありました
なぜなら先進国の最新の情報は英語で発表されたり書籍が出ているから
そこから学べる方が未来を先取りできると考えたからです。

まなぶ対象の変化

しかし
今は少し考え方が変わりました。
韓国に渡って得たものは何だったのか?
それは語学だけではなく「事業を起こす貪欲さ」でした。
韓国の方々は(僕の周囲の人が特になのかもしれませんが)二言目には「事業を起こした」っていいます。
企業へのハードルが日本人に比べると圧倒的に低い。
また国の法律もどことなく寛容で
道端でビニールシートを引いて多くの人が「事業」をはじめています
屋台もそうですし、雑貨とかいろんなものを売っています。

少しのアイデアがあれば、すぐに試す
そんなフットワークの軽さや、固定観念に囚われずどんどん入っていく大胆さも
特筆すべき部分です。

ミネルヴァ大学という、今世界で一番入りにくい大学があります。
4年間の間オンライン授業をしインターンとして働きながら世界の都市を巡りながら
学ぶ大学なのですが
台湾、韓国ソウルはそのプログラムに組み込まれているのに日本は選ばれなかった。
その答えがもしかすると上述したことにつながるのかもしれません。

刷り込まれた固定観念と目を向けるべき場所

僕らの固定観念には優秀な人から学ぶというのが刷り込まれています
しかし、実は人間としての本質的な部分は
あかちゃんや子供たちから学ぶことが多いことに気がつきます。
「80歳を過ぎても幼稚園児から学べる人」というのが僕のテーマの一つですが
あらゆることに通じるパラドックスなのではないかと感じます。

コーチングでは「性格や感覚が合わない人に出会えば出会うほど学べる」
ビジネスでは「成功者の本は、後になって整理したらそういうことだけど本人は衝動的にやっていただけ」
そんなことをふと感じた朝でした。

昨日とは違う、些細なことから学ぶ1日を‼︎

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