見出し画像

話を聞いて「もやっ」とするときのかんがえかた

この世はめちゃくちゃ情報だらけ。
お勧めされた対談チャンネルを見たあと、感想をいろんな人とシェアした時にパネラーの人たちが発する情報から読み解く力が大切だと感じた。
そんな「情報のよみかた」の参考になればと思って衝動的に書いてみた。

なんだか「モヤモヤ」するはなし


話を聞いているとパネラーの方(いわゆるきちんとした肩書きのある方)の主張を聞いた後「なんだろ?なんか違う感じがする」と脳ではわかるが腹ではモヤモヤすることがある。
例えばこんな感じ

「大企業は長年社員に、年功序列、社内最適化を強いてきた。しかし50歳になった途端「自分で考えて動け、行動しろ」と言われ、まだ長く働きたいと考えているおじさんたちすら、どのようにしていいかわからず路頭に迷ってしまう人たちが多い。だから大企業を変えるには経営者を変えなければいけない」

といった話があったとする。

三段論法という整理術

一見、正しい三段論法のように見える。
しかし、冷静に考えたらこれは”正しい”論法ではない。
なぜなら
1、「飛躍」がある
2、「前提」が正しくない。
からだ。

1、「飛躍」があるというのは
・長年社員に年功序列、社内最適化を強いてきた=全ての大企業ではない
・50歳になって「自分で動け、行動しろ」と言う=全ての大企業ではない
・まだ長く働きたいと思ってるおじさんたちが路頭に迷う=全てのおじさんがそう感じているわけではない
という具合に全てがそうだと決めつけになっている時点で「飛躍」がある。
そして、三段論法を強化するのは
2、「前提」が正しい場合のみ成立するからだ。
・なので経営者を変えれば大企業が変わるというのは成立しない。

そして、この文例はここでおわらない。
このような感じ(聞いた後なんだかモヤっとする)の場合、論理展開の中に色々と仕込まれている場合が多い。

三段論法に混ぜられたトラップ



僕は勝手に名付けてみたけど、その仕込まれたトラップはこの3つ。
「対立構造、踏み絵、ジャイアントキリング」だ。

人間はストーリーに弱いというのは行動経済学的観点からも明らかだ。
それを巧みに使っている。

1、対立構造
権力と弱者、大きなものと小さなもの、強いものと弱いもの
この構図がベース(基礎構造)になる。

2、踏み絵
文脈が「〇〇を解決したい」という流れはそのままだが「対立構造」が前提にあるので自然と強いものvs弱いものの構図になる。
それを強化するために「暗に」弱いものを批判的視点で視ることが困難な環境が作られている。
「いやいや、おじさんも悪いところあるんじゃない?」って言うと
「え、罪のないおじさんを批判するのですか?」と論点が変わる「気配を出す」。
これが「踏み絵」と考えている。
この「気配」というのが肝で、直接的に明言されていないので「もやっ」としても言及しにくい環境が作られる。
さらに、前提がおおざっぱなので「やる気あるおじさん」「やる気ないおじさん」いろんなおじさんをひっくるめて論じているので捉え所がない。
(おじさんってこんなに打ち込んだのはじめてだ)

3、ジャイアントキリング
ストーリー好きなのでダビデが巨人を倒す構図は基本的に好まれる。
そして、なぜかそれが正しいという認識を暗黙知としてもっている。


これらの要素のためこの論法で来られた場合、最良の策は「あまり触れない」が一番だ。

なぜなら多くの場合、この手の論法でくるのは「裏目標がある」ことが多い。

例えば「私は弱者の味方です、でもそんな私に注目してくれません。こんなにも頑張っているのになぜ認めてくれないのですか?」という内的動機をもっているとこの手の論法になりやすい。

しかも本人は無意識のまま。
具体的な心理的アプローチでいうと「ゲーム三角形」をググるといいとおもう。
この知識は非常に有用だ。
そして、これは「無意識」に僕でもやってしまう。

注意すべきは、使わせられる情報

世の中にはたくさん情報が溢れている。
非常に便利になったし、可能性もめちゃくちゃ広がった。
でも、その情報の取捨選択力が求められる。
間違えた情報に踊らされるのが人間だからだ。
つまり情報には使える情報と使えない情報だけでなく
使わせられる情報というのもあることを覚えておくことだ。

この「使わせられる情報」というのは情報方のこの現代、多岐にわたっている。
例えば、皆さんの周りにもたくさんあると思うけど「〇〇が〇〇といっていた」というお話。
情報共有という意味では悪くはない。
しかし、人間が対話しているのであれば僕は優先順位がグッと低くなる。
誰かが言ってた情報ではなく、それを聞いた「あなたの意見」が聞きたいのだ。

そんな様々な情報や取捨選択の中にある我々。
そんな中で特に大切なのがこの事実と感情を織り交ぜて、対立構造や踏み絵を用意された論法を見抜く力だと思う。
これは至る所で展開されている。
これを見抜くには「事実」と「感情(解釈)」をきちんと分けること。
そう、お魚を裁くときのように内臓と身を綺麗に分けないと臭みが残るし、フグであれば死に至ることもあるのだ。

もし話を聞いていてい主張が対立構造になったときに(ストーリーに巻き込まれている可能性が高い)俯瞰する目を持つこと。
俯瞰する時に有用で僕がいつもやっているのは「別の何かに例えて考える」だ。
上記の企業とおじさんの話であれば、例えば「家庭」に置き換えてみる。

「ずっと勉強しなさい、言われた通りにしなさいと親から言われ続けて、そのように従ってきたのに成人したら「好きなことをやって生きなさい」と放り出された。そんな子供たちはどうしたらいいのか?親を変えなければいけない。」

と言う感じだろうか。
この話から事実だけをみていく場合「自分の体験」にしてしまうのが一番だ(自分の感情のバイヤスはかかるけど)。
様々な家庭環境から個人の意見が出るだろう。
この「個人の意見」と言うのが非常に大切で、自分の体験からしか導き出されない「じぶんの意見」となる。

実はだれもがアンテナを持っている

たくさん書いてみたけど、一番シンプルな方法は「自分の心の感じ」に敏感になることだと思う。
思考よりも感覚が先に反応する。
その感覚を磨くことがこれからの時代何よりも大切になる。
反応さえ掴めれば、冷静に事実だけを捌く。
すると何か見えてくる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?