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血を以て書かれた(ように思える)曲たちとその作者

割引あり

私はあらゆる書かれたもののうち、私はただ、血を以て書かれたものだけを愛する。

フリードリヒ・ニーチェ

呪いか福音か

あちこちで切り取られ、使い倒され、陳腐化し、衒学の代表のようになってしまったニーチェは、僕が唯一(複数の)原典に当たった "哲学者" であり、明日の見えぬ浪人時代に力をくれた『ツァラトゥストラ』の筆者である。
どこまでもカッコいいレトリックで僕の理想の人間像に大きな影響を与えたこの本の話はいつか別の記事でするとして、僕の心に突き刺さって抜けない言葉が冒頭の一文だ。中学からやっていたクラシック音楽や高校からハマってかぶれていた洋楽ロックと結びつき、僕のすべての創作の中心に居座り続けている。それまで輪郭を持っていなかった僕の漠然とした鬱憤や信念のようなものに形を与えた言葉。僕にとって福音でもあり、もはや呪いでもある。
その作品が血で書かれているか否かなど、第三者にはわからない?
そうかもしれない。ただ僕は僕が愛する曲たちに感じるこの熱を、赤さを、生命を、信じている。本当にわからないだろうか?感じないだろうか?

結果から言えば今の僕は創作という類の仕事をする人間ではないし、音楽に関してもプロでも何でもない。未練がましく趣味で細々と、へっぽこカルテットのチェロや、アホアホロックバンドのギターボーカルをするくらいのものだ。
ただ (洋楽なら) ジャンルを選ばない興味の広さと衒学的な知識のおかげで、そんじょそこらの人間には負けないくらいの厄介音楽オタクである自負がある。機会があって自分の好きなアーティストを振り返ったので、この際、僕が愛する音楽たちを紹介したい (ほんとはYouTubeで語りたいとも思っていたのだけど)。とても一度では語り切れないので、不定期更新のシリーズにしたい。

今の僕を形作るもの

先に述べたように、僕の好きな音楽をジャンルでくくることはできない。クラシックからジャズ、ブルース、ロック、EDMやテクノ、ボサノバや各地の民族音楽まで、何でもよい。それが熱を持っていれば。
僕にとって「アート」とは「伝えること」であり、その内容に嘘がなければそれでよいのだ。

ただもちろん、そのきっかけとなった曲たちは存在する。今回は僕の音楽の原体験を通して、どうしてここまで歪んでしまったのか考えてみたい。

幼少期

僕の胎教はQUEENだったらしい。80年代洋楽オタクの母のお腹の中で、生まれる前からBohemian Rhapsodyを聴いていた (らしい)。この曲の良さについてはみなまで語る必要もないだろう。当時の僕には知る由もないが。

とはいえ音楽好きの両親のもとで育ち、僕の周りには常に音楽があった。
幼稚園の時に友達の影響でピアノを習い始めたが、バイエルの途中で挫折し、小学校の途中でやめてしまった。今思えば当時の先生は素晴らしく、もっと話を聞いておけばよかったと後悔しきりだ。先生が少々硬派だったのもあり、とにかく練習が嫌いだった僕はレッスン後のプリンを目当てに行っては、レッスン時間の大部分をトイレにこもってやり過ごしていた。中学受験を理由にやめて以来、ほとんど弾かなくなってしまった。

小学校では流行りのポルノグラフィティやリップスライム、Kick the can crewなどを聴く普通の少年だったが、6年生の時に転校してきた友の影響で洋楽を聴き始めた。はじめはBackstreet Boysだった。彼とは今でも親友だ。

中学時代~クラシックとの再会

中学に入って、今度はクラシック好きの友人の影響で、ピアノ曲を中心に聴き始める。二級上に独学で力強い演奏をする先輩がいて、昼休みのたびに音楽室に集まっては彼の演奏に聴き入った。理解のある先生が、休み時間にグランドピアノを解放してくれたのは幸運だった。僕も含め数人が独学でピアノを練習してそこで弾くのがちょっとしたブームになった (僕はこのときも大して身にならなかったが)。
ショパンの『革命』を初めて聞いたときは衝撃的だった。今ここにいない、数百年前の人間の怒りが、激情が、ありありと伝わってくる。そのとき友人が教えてくれた、ショパンとポーランドのエピソードによるバイアスも多分にあるかもしれない。

(音質には多少目をつぶっていただきたい。古き良き時代の演奏の、唯一の欠点である。)

ポロネーズの勇壮さに圧倒され、マズルカの緻密さ、大円舞曲の絢爛さに目を丸くした。いまでもその感動は変わらないが、もしあなたがクラシックに詳しくないのであれば、まっさらな状態からこれらを聴けることをうらやましく思う。
だが何より響いたのはワルツである。子犬のワルツなどの一部を除き、ショパンのワルツには言いようのない孤独感が漂っている。祖国ポーランドを離れパリで生活していたことなどが引き合いに出されるが、それ以上の所在なさは、現代の孤独にも通じるものだと思う。中高の人間関係がヘタクソだった僕は、勝手に自分を重ねて浸っていた。

(もっといい(好みの)演奏もあるかもしれないが…パッと見つかったものの中からよさそうなものを張り付けておく。)

このころに先生に連れて行ってもらった芸大付属高校の演奏に感動し、チェロを始めることになる。しかも同じオーケストラで、高校の先生の後にコバケンが指揮をしたことで、指揮者の影響力にも驚いた。このとき彼が指揮したのは『新世界』であった。

(ドヴォルザークといえばやはり、ジョージ・セルとクリーヴランド管弦楽団の組み合わせである。他にも素晴らしい演奏は数多あるが。)

高校時代~ロック

この年頃の男子にとって、ある種の反抗は生理現象である。まして00年代のポストロックが手近にあるとなればなおさらである。中高一貫で暇な学生だった僕は、ツタヤやタワレコに一日中入り浸り、片っ端から聴いては小遣いをはたいてCDをレンタルしたり購入したりしていた。

上はフランツ・フェルディナンドというバンドであるが、結成理由は「女の子を躍らせるため」だそうだ。すがすがしい。彼らはいいオジサンになった今でも元気に活動している。最近のこの曲はダンスがかわいいのでおススメである。

イギリス留学を機に、洋楽かぶれは加速する。このころもポルノグラフィティは追いかけ続けていたが、2006, 2007年前後のロックシーンは今でも僕にとって黄金時代だ。

(懐かしすぎて血を吐くレベル)

(当時disco (クラブのようなもの) に行くとこのバンドは必ずと言っていいほどかかっていたし、必ず大合唱になった。)

Oasis

当初英語がヘタクソだった僕も、音楽をきっかけにたくさん友達ができた。当時一番仲良くなったのが、Oasisについて意気投合した同級生だった。

実はこの記事はOasisのためにあるといっても過言ではない。ドライなようでいて優しく、脱力しているようでいてアツく、聴けば聴くほどに味の出るスルメのような音楽に僕はとにかく熱中した。一万回聴いても毎回新しい感動があったし、シンプルで骨太な構成はそのまま僕の骨格となった。粗野でお騒がせなGallagher兄弟の曲や演奏は意外にも繊細だし、一方でいかにもロックンローラーという生き様そのものにも魅了された。

録音を切り貼りして曲を作るなんておかしいだろ。何百万回でも歌いなおせば済むことだぜ。

Liam Gallagher

落ち込んだ時やうまくいかないとき、どんな曲を聴くかは人によるだろうし、同じ人でも場合によるだろう。僕もそうで、明るい曲が聴きたいときも、逆に暗い曲を聴きたいときも、アツい曲が聴きたいときも、落ち着く曲が聴きたいときもある。
けれどOasisだけはどんな時でも自然体でそこにいてくれた。

あの死ぬほど才能持ってるクソ野郎が、俺がほしかったもんを全部持ってやがったんだよ。金持ちで有名で、あの頃トップに立ってたロック・バンドで音楽やってて。

しかも自分のことが嫌いだとか、死にたいとかいう曲を書いてんだぜ! 俺としては、俺は自分のことをファッキン愛してるし、永遠に生きてやる(Live forever)さって思ってたね。

Noel Gallagher

ここでいう『クソ野郎』とはカート・コバーンのことであり、『バンド』とは当然ニルヴァーナのことである。別に彼のことが本当に嫌いだったわけではないようだが。当時の鬱屈したシーンに対して、シンプルに腹の底から「生きてやる」と叫ぶ姿は最高にカッコいい。だからこのころから口癖のように流行りだした「死にたい」という言葉が大嫌いだった。

オアシスのおかげでFコードが弾けるようになった。シンプルな曲たちは、ギター初心者にとっても最高だった。そしてギターを通してまた、無駄のない、理にかなった進行であることを肌で感じた。ちなみに酔っぱらって弾き語り、合唱するオアシスは至高である。皆が歌って楽しめること、それがロックン "ロール" の条件なのかもしれない。

紅茶を淹れるためにヤカンを火にかけて戻ってきて、ギターを手にとって、ふと思いついたメロディで曲を作る。半年後にはこのメロディをライブでみんなが大合唱してるんだ。これが魔法じゃなくて何だっていうんだ?

Noel Ghallagher

かと思えばこんなにかわいらしいラブソングも歌っちゃったりする。恋愛経験がないながらに、こんな恋人がほしい、この曲を結婚式で流したいと妄想を膨らませていた。

Oasis、特にGallagher兄弟は、ビートルズの熱狂的なファンであることも知られている。

あるとき、OasisのギタリストがバーのジュークボックスでビートルズではなくOasisの曲をかけたところ、「音楽の楽しみ方がわかってない 」とGallagher兄弟にボコボコにされたという逸話まである。かわいそうなボーンヘッド…。

これ以降、僕は好きなバンドが好きなバンド、そしてそのバンドが好きなバンド…とさかのぼっていくことになる。そうしてあるとき、クラシックとのつながりまで見えるようになった。ロックといえど長い西洋音楽史の一部でしかない。こうして広くて深い音楽の世界にハマりこんでいった。

聖書を知ることで絵画のモチーフに対する理解が深まるように、バッハやハイドンから脈々と受け継がれる思想を知ることで音楽全体の解像度が上がったように思う。音楽史と好きな曲たちの話はまたいずれ。

終わりに

「どうしてここまで歪んでしまったのか」、と問いを立てたものの、そもそも産まれる前からだいぶ間違っている。80年代洋楽に関して英才教育を施してくれた母には感謝しているが。
(余談だが母はいまでもこの時代の曲が大好きで、突然「Stingが来日だって!今から行くよ!」と武道館に呼び出されたりする。)

人格形成に最も大きな影響を与えたのは、間違いなく思春期のクラシックとロックが結びついたことだろう。クラシックの堅苦しさとエレキギターの歪みを兼ね備えた非常にめんどくさい人間が出来上がってしまった。これらの曲に使われた血は、そのまま僕の血になった。

この記事を書くにあたり、いろいろな曲を思い出し、聴きながら作業している。一人で懐かしさに悶えたりもしていたが、これらの曲を紹介するのはまた今度にしよう。

記事はここで終わりだが、例によって寄付用に課金設定をしておく。面白かったと思っていただけたなら、購入していただけると続編の投稿が早くなる…かもしれない。(そんな人いるのだろうか…?)

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