断ち切る

お母さんを断ち切らなければいつまでもアナタが傷付くだけ。

ごもっと。

頭では分かってる。

いつまでも子供時代を思うのは何一つ自分の意思がそこには反映されなかったからではないのか。私の毎日は母の手のひらの上。

温かい手のひらでは無い。時に心の芯まで冷たくさせて時に激痛を伴う火傷を負うほどに。そんな母のそばで怯えて過ごす毎日。

バカじゃないの?ブサイクだね?頭悪い!何その目?お前には今悪魔が入っているね?ウチにお前は必要無い!毎日毎日こんな調子で言われ続けたら心が麻痺してしまった。自分が悪いんだ。私は絶対に楽園に行けない。全ての悪い事は兎に角ここにいる私のせいなんだ。

感情鈍麻をおこした私は自分を殺し心の痛みも舌先を噛んで別の事を考えて過ごした。

そんなこんなで自我の芽生えなどいつあったのかすら覚えていない。

流行りの服をお店の外から眺めているだけで「それを着て誰に肌を見せたいの?」と大声で言われた。私はまだ低学年の小学生。みんなが私を見る。正確には恐らくそんな場所で大声で私を辱める母親が見られていたのかもしれないけれど。どうしようもない気持ちで私は泣くのを我慢する為に下を向き動く事も出来なかった。暫くすると誰かが「お母さんいなくなっちゃったけど連絡取れるの?」と聞いてきた。誰かは覚えていないけど、私の鼻をふき、涙をぬぐってくれた。母は私を置いて車で自宅に戻ってしまったのだ。辛うじて電話番号を覚えていた私はその誰かに助けられて、店員さんに自宅へ電話を掛けてもらえた。

電話をかけ終わった店員さんはとても困った顔をしていた。

「お母さんはね、歩いて帰っておいでって。そう言ってるけれども、どうしようか?お巡りさんの車で帰ろうか?」

そんな事をしたら…母の言う通り歩きで帰らなければ!また悲しい事を沢山言われてしまう!

私は店員さんと助けてくれた誰かにありがとうございますと泣きながら感謝をし大丈夫です、多分途中でお母さんは迎えに来てくれます、と絶対に有り得ない嘘をついて重い足取りで1時間近い道のりをとぼとぼと帰途についた。ああ…何をこの後言われるのだろう。怖いのは家に居て私の帰りを待つ母親の事だけで1時間の道のりでもやってくる夕闇でも無かった。

こんな出来事が何度もあった。私は買って貰え無いことなど重々承知で一言も欲しいなど口にしていない。先回りをして私の気持ちを読み、1番私が恥ずかしくなるように的確な言葉を選んで大声を出すのだ。

そう。今思えばデパート内でやせ細って凡そ小学生にも見えない私にふしだらだの、変態だの罵る母親は誰の目にも狂って見えたに違い無い。

しかしそんな風に別の角度から母の事を考えられるようになったのは20年も経った後だ。精神科に通ってからの事だ。

私の子供時代は失われたも同然。その時代は確かにあって一応両親に育てて貰ってはいた。しかしペット以下の扱いだった。愛情など求める事も忘れ恐ろしい言葉を投げ付けられるのを少しでも回避する為の嘘を考えたり親の顔色だけを毎日毎日伺っていた。ご飯は出されても殆ど食欲は無かった。服は洗って貰えない。お風呂にも入れて貰えない。真冬の寒い中キャミソールも無くシワシワでボタンも取れたブラウスに真夏の膝下丈のスカートで登校しなくちゃいけなくても何も文句は言わなかった。

お察しの通り友達など居なかった。エホバの証人の子供というだけで同級生の母親にも煙たがられた。今思えば思い遣りなど1つも無い世界だった。学校で使うノートを買いにいっただけで店が汚れる!と怒鳴られても仕方が無いと思ったし、ウチの子には近付か無いで!と言われても仕方が無いと思った。全て私が悪い。

誰にも相手にされず、小学校の行き帰りはいつも1人だった。それも寂しいとは思わなかった。私の頭の中にはいつも帰ったら今日のお母さんは何を言ってくるのだろう?その毎日で時々息をしている事にも疲れる気がしていた。

いつも一人きり、身体も誰より小さかった。お陰で小学生のうちに2度も性的な暴力を受けた。高校生の男の子には殴られた。知らないおじさんには無理やり引きずられてお墓でいたずらされた。

それでも私が母親に言わなかったのは5歳の時に…勿論それも立派な性的暴行なのだろうけれど、近所のお墓に連れていかれて下着を下ろされ指を入れようとされた事があった。流石の母親も警察を呼んで慌てふためいていたが段々と冷静さを取り戻したのだろう。呼び出された警察署の一室でこう言い放ったからだ。

「うちの娘にはなんだか男を誘うような淫らな所があるのです!なので今回の事は全てこの子が悪いので調べて貰う必要はありません!」と言って私の頬をぶったのだ。婦警さんも同席していたのだが5歳の記憶なのであやふやなのではあるけれど「今手をあげたのは立派な暴力ですよ?小さな女の子がどうして男の人を誘うなんてお母さんは考えるのですか?被害者はあなたの娘さんでしょう!」というような…ことある毎に私を淫らだのふしだらだの言うので5歳にしてなんとなく意味を悟ってしまっていた。

その後特に児童相談所が動いたとかは無かった様に思う。そのまま家に帰り、暗い日常が戻ってきた。

警察で起きた事と母の形相を思えばこんな事黙っておけばいい。2度の暴行で血を出した事もあったけれどそもそも洗濯をろくにしない母親なので全て自分で処理をした。起きた事よりも身体の痛みよりも自宅に戻ってからの事の方が私には余程重要な事と思うようになっていた。中学生になって所謂輪姦にあったときも私の身体は既に…痛みはあっても処女じゃ無かった。あぁ、早く終わらないかな…困ったな…帰りが遅くなったらお母さんが車で探しにくる。余程そちらのほうが恥ずかしいし怖い。

ある人にこの事を正直に話した。

え?そんな目にあったのに生きてるの?嘘つくのも大概にしなよ?ドラマか何かの見過ぎ?

そうだよね。頭おかしいよね。

女性として生きていけない位の事を何度もされているのにその事で死のうとは思えなかった。鬱で死にたくなる事はあるけど。未だに性被害については夢の中の出来事の様にぼんやりとしたまんまだ。

恐らく死ぬまでこの件は変わらないだろう。

凡そ親子というには掛け離れている。

私だって本当は母親を大嫌いって心から言えたらどんなにか楽になれるだろう。

血の関係ほど当てにならない事は私の母親が実証してくれた。だかしかし私は親への愛を僅かな期待を断ち切れずにもがいている。こんなに酷い母親なのに。

あのピンクのカミソリのようにさくっと切れる何かがあればいいのにと毎日思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?