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1年という365日

俺は平成元年生まれ14年前に高校を卒業した。
そう考えると月日は早いなと痛感した。

高校の時に流行ったのは「peps!」というHPのサイトで各々のHPを持つことだ。一人だったり。仲いいメンバーだったり。バンドも流行っていたのでバンドのHPなど、いろいろな形ではあったが沢山のHPが生まれた。

今思えばそのころからPCに長けてる人はコードを使ってHPを作ったり、音楽を聴けるようにしたり、色変えてみたり。独学でやったと考えるとすごい。そのころから勉強しとけばよかったなと思った。俺が使えたのは文字の色を変えるコードを使うくらいだった。

ふと数年前に自分のHPがあるのか気になって調べることにした。俺は自分のバンドと昔好きだった女の子と二人で作ったHPの2つを運営していた。二人でやってる方のHPを調べてみた。もう何年も前だったから消えてるかもと思ったけどあった。ちょっと感動した。

なつかしさに溺れてるとそんな感情もふっとんでいくものを見つけた。
卒業と同時にぱったりと更新しなくなったHPのはずが、卒業から1年後に相方の日記が更新されていた。衝撃で自分の脳みそが機能停止した。

その日記を見てみるととても嬉しい事が書いてあった。それと、悲しいことも書いてあった。日記は卒業後2度更新されていた。一度目は思い出にひたって想いを綴ってるもの。もう一つは心の苦しさを吐き出したものだった。

うちとその子(以下:Eちゃん)の親は仕事での繋がりがあって親同士の信頼関係のおかげで俺等も何をするにも2人なら許される流れがあった。うちは門限に厳しく、17時以降の外出は基本的に許されなかった。Eちゃんからウォーキングを誘われた。許可なんて下りないだろうな。なんて思いながら親に話してみると「EちゃんだけならOK。19時までには帰るように」と条件付きで許可が下りた。

さっそく翌日からウォーキング開始。時間になったらEちゃんが俺うちまで迎えに来て親に挨拶をしてくれた。親はにっこにこ。なんだこの反応の違いは。と、思いつつも外出。Eちゃんの事が好きだった俺からしたら2時間もほぼ毎日会えることだけがうれしかった。ウォーキングなんて二の次だった。

沢山の事を話した。学校の事、自分の事、恋バナ、部活の事、親の事、これからの事。沢山の時間を二人で過ごした。学校ではクラスが違うからあまり一緒にいる時間はなかったけどその時間が楽しみでしょうがなかった。

俺とEちゃんの毎朝の恒例時間があって、早く登校した方が、もう一人の上靴にいたずらをしかける。っていう毎日の恒例行事があった。片方の靴にもう片方の靴を刺して立てておく。とか。靴紐を結んで両足つなげとく。とか。靴を立てて入れておく。とか。小さな事だけど、毎朝の楽しみだった。基本的には俺は学校がめんどくさくて昼から登校していたのだが、それをするようになってから朝からちゃんと行く事が増えた。Eちゃんより早く登校する事も増えた。Eちゃんのおかげできちんと学校に行くようになったともいえる。

登校してからはクラスが違うからあまり一緒にいる事はなかったけど、休憩だったり移動教室だったり、昼休みだったりはたまにしか顔合わせる事がなかった。気ぬいて昼から登校したりすると「ちゃんと来なさい!」と、お叱りメールがきたり。とっても面倒見のいい子だ。

部活もEちゃんはサッカー部のマネージャー、俺はバスケ部のマネージャーで室内と屋外で場所も違う。終わる時間も違う。基本的には俺のほうが早く終わってたから、俺が教室でEちゃんを待って一緒に帰るのを楽しみにしていた。毎日それをすると変に思われるから何日か置きにしていた。ばれたくなかったしね。寝てたら起こしてくれて「帰ろ?」って言ってくれるEちゃんがかわいかった。そんな時間を大切にかけがえのない時間だと思っていたのも自分だけだと思っていた。

話は戻るがEちゃんの日記にはこう書いてあった

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昔の日記読んだんだ
俺(以下:Mたん)からの手紙
高校生活でMたんと仲良くなれて
ほんと良かったって改めて思ったよ。
マジ涙でた!
けどもう戻れないんだもの。
過去に戻りたいなんて何回も思ったけど
こんなに強く思ってるのないかもね。
毎日が楽しかった。
(中文省略)
たくさん話して
たくさん笑った
2人だけの散歩
何もかもが過去で
今では振り返ることしかできない
1年ってあっとゆーま
ほんとさみしくなる
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あの時間を楽しかったと、仲良くなれた事をよかったと
思ってるのは自分だけじゃなかったんだと嬉しく思った

今となってはEちゃんは地元を離れて、結婚をして、子どもがいる。自分の知っているEちゃんではなくなったけど、俺のなかでは高校の時のEちゃんのままだ。思いを伝える事は出来なかった。いや、したくなかったが正解なのかな。2人きりでEちゃんの家でゴロゴロしながら映画みたりしたときは襲いたくなる衝動はあったけども。理性がぶちぎれるのをギリギリでおさえていた。ギリギリアウトだったときもあったのかな?

気持ちを伝えるという事は2つのダメージを受けることになる。1つは「体は女なのに女の子が好きという事がバレる事」もう1つは「彼氏のいるEちゃんが好きだという事」それは相手を不快にさせるだろうし、距離を置かれるという事だけが答えだと思っていた。彼氏のいるEちゃんを好きになった。というか、好きだったEちゃんに彼氏ができたけどあきらめることができなかった。が正解かもしれない。

そんな事でその時の2人の時間だったり、毎朝のたわむれだったり、たまに一緒に下校する事がなくなってしまう方が俺は怖かった。のこりの高校生活で俺の中からEちゃんとの時間が無くなってしまう事が怖かった。天秤にかけたとこ、言わずに残りの時間を楽しく過ごす事が最善だと判断した。

容易な事ではない。好きな女の子に恋愛の相談をされる。彼氏ができたと報告される。何をしたのか報告される。恋愛の相談されて泣かれる。それを「友達として」聞いてあげなければいけない。「友達として」なぐさめてあげるしかない。「友達として」抱きしめる事しかできない。自分の気持ちをすべて捨てて「ただの友達」を演じなければいけなかった。頼られる事のうれしさと、俺なら気持ちわかってあげてそんな悲しい顔させないのにという感情の狭間にいた。

感情をとどめることができたからこそ、高校の思い出からEちゃんがいなくなる事はなかったのかもしれない。万が一、千が一、気持ちを受け止めてくれて一緒になれたとしても、結果俺は子どもを作れない体だから今子どものいる生活をしているEちゃんを考えると長い事一緒にいることはできなかっただろう。受け止めてもらえなかったら気まずさから疎遠になるのは必須だろう。どっちに転んでも関係が断ち切れる未来しかない。そう考えると気持ちを伝えなかった事が正解だったと今となれば思う。

卒業してからは俺も違う恋愛をして同棲をしたりいろいろな経験をした。Eちゃんに捕らわれた人生ではなかった。いい思い出として、思い出すくらいだ。今でも執着してるわけではない。「友達として」ものづくりをしているEちゃんの活躍を応援しているだけ。想いはない。レビューをみてもいいコメントばかりでEちゃんが褒められてるのを見て俺もうれしくなる。どれも「SOLD OUT」素晴らしいの言葉に尽きる。

いつまでもEちゃんが幸せでありますように。モノづくりがこれからも楽しく続けられますように。と、思うばかりだ。

お互いにあのHPは更新することはこの先ないだろうけど、また思い出した時のためにブックマークしておいた。更新なしで強制削除されない限りは思い出すたびに思い出に浸るとおもう。高校の時の写真などは実家においてきて手元にないし、携帯にも入っていない。あそこのHPには少し画像が残ってる。写真の嫌いだった俺は本当に小中高校生の時の画像や写真が残ってない。あそこには数枚残ってるので、消えるまでは思い出したらみようと思う。

Eちゃんと俺の2人のHPがいつ消えてしまうかわからないけど。それが消えても、こうやって自分で書いたnoteを読み返してまた思い出すんだと思う。思い出の更新。今こうやってその思い出を文字という形で残してるのも必然なのかもしれない。いつかこの先「書いておいてよかった」とおもう時がくるのかもしれないと思ったら、思い付きって不思議だなと思った。

高校生がこんな底辺な人間のnoteを読んでるとは思えないけど、思い出はどんな形でも残しておくべきだと思う。社会人になって気持ちが廃れたとき。苦しいとき。寂しいとき。壁にぶち当たったとき。楽しかったものは自分の背中を支えてくれる。背中を押す力がなくても「倒れるのを防いでくれる」意味で支えてくれる。学校なんてクソつまんないし、勉強したってどうせ社会人なって使わないから授業だるい。って思うけどね。大半は使わないしね。授業はくそつなんないけど、授業以外の時間はとてもこれからの人生で有益な時間になる。朝のHRまでの自由時間だったり。昼休みだったり。放課後だったり。授業以外の時間はこれからの人生の「仕事」に役立つんじゃなくて、これからの人生の「自分を支えるモノ」になるんだとおもう。少なくとも俺は毎日イライラして、疲れ果てて、自分なにやってんだろって茫然とするような毎日を送ってたけど、Eちゃんの日記を見て心が温かくなった。思い出は大きな力がなくとも、自分を癒す力くらいはあると思う。

もちろんいい思い出ばかりではないけどね。俺は気にもとめてなかったけど、いじめられたりしてたし。人間関係も嫌いだったし。でも、いい思い出を見ればいい思い出しかでてこない。戻りたいって悲しくもなる人もいるかもしれないけどね。

まあ、俺等の時代とちがって今の子たちは思い出の残す分野は沢山あるし、機能のいい携帯だし俺等よりもハイスペックな思い出の残し方してるんだろうけど。いいねえと思いつつもあんな古い感じのHPでも味があって「懐かしいな」と思える事も俺は楽しい。

どんな形にせよ、流れにせよ、学生時代の思い出って大事だなって改めて思った。学校嫌いで、人間嫌いだった俺が学校に行くようになって今となっては本当によかった事だと思うし、Eちゃんには本当に感謝してる。

みんなの思い出が、みんなの支えになりますように

底辺系FtMです。世の中には俺みたいな底辺中の底辺がいるよってのを認知してもらって「こんなやつでも足掻けるんだな。自分もやる気ちょっとだしてみよ」と、人生の踏み出すきっかけに。投げだしそうになってる人生の考え直すきっかけになれたらなと思います。