底辺から立て直す人の話4
前回は2度目の逃亡までのお話。次はその街での生活のお話です。結構胸糞なので苦手な方はとばしてください。
2度目の逃亡で生活をはじめた街は、地元から車で30分程度の距離にある地元より少し栄えた街。
そこでまず、飲み屋で働き始める。100人ほど入る田舎にしては大きめのスナックだ。もちろん女の子の格好なんかできるわけもなくウェイターとして働いてた。黒のワイシャツにネクタイをして黒のスラックス。ウェイターとてお酒を飲んで稼がねばならない。もちろんウェイターもしなきゃならない。30人、40人の団体を1人で見て飲み物を提供するとかいう鬼畜な時もザラにあった。女の子は団体に付きたがらない。カウンターに逃げたがる。気持ちはわかるけどね。
系列店を出店して、俺はそっちに移った。その飲み屋で働いてる時には彼女が居たんだけど、月収が10万を下回っても辞めない事にいつも怒られていた。「恩義りがっていうけど、生活考えな」と叱られてた。彼女の言ってる事もとてもわかるんだけど、無下にできない自分もいた。オーナーにも辞めるな辞めるなと言われてた。
そんな時に昼職のお誘いがきた。建築土木の仕事だ。接客業しかして来なかった自分には全くの分野外の仕事。でも、やってみたかった。力仕事=男らしさがでる。ただそれだけの理由。ニッカを着て、力仕事をして、泥だらけになって、汗だくになって。スポーツに没頭してた俺としては体を動かせること、筋肉が付くことは嬉しい事だ。それに収入も上がる。それを気に夜を辞める決心がついた。夜を辞めたことで彼女にも褒められた。
土木の仕事は全てが楽しかった。重たくて持てなかった物も筋肉が付いてくれば持てるようになった嬉しさ。使った事の無い機械を使わせてもらえる嬉しさ。寸法測ったり作ったりできる工程に関われて、モノ作りに関われる嬉しさ。自分達が手がけたものを街の人が使う嬉しさ。たくさんのワクワクのなかで毎日仕事をしてた。でもワクワクだけで終わるはずもなく。悪魔が動き出した。
「日曜休んでるけど、日曜休むの当たり前じゃないから」「日曜出てる人だっている。何ヶ月も休んでない人もいる」「日曜休む奴は使えないやつだ」「いる価値ない」
テンプレートのようなブラック発言。それをしたのが同級生で社長の息子。それから日曜は出るようにした。でもいざ日曜でてみると大した人数は居なく、半分くらいは普通に休んでいた。でもその半分の人を一日中否定する発言をしながら作業していた。息子とは裏腹に社長はとてもいい人だった。無理するなよと声を掛けてくれた。でも「貴方の息子が」とは言えず出続けた。社長は年末になると皆にお年玉を配り、ビンゴ大会で高い工具などが当たるように皆に還元していた。仕事にはとても厳しいけれど、とても人間としていい人だ。
でもそんな生活が耐えられる訳もなく、季節労働の切れる時期に退職する事にした。免許がなかった俺は「免許をとらせてやる。休みもちゃんと与える。繁忙期以外は基本は定時でかえれる」という仕事の誘いにのることにしたからだ。まあ、察しの通り免許は合っていたがまっかな嘘だった。土木の社長は免許取って重機の経験とかして戻ってきたかったら連絡しておいでと言ってくれていた。本当にいい人だ。新しい仕事は運搬がメインの仕事。その為に普通免許と準中型免許を通しで取った。免許代は会社立て替え。毎月給料天引き。会社立て替えだけど、結局は自分のお金で返済するから背徳感も少なく居れた。
牛の餌になる草のロールや草を刻んだものを農家さんに届ける仕事がメインの仕事。その時期が1番の繁忙期。それ以外は牛の糞を堆肥にして運ぶ仕事や、農機具の整備、ダンプの整備や改造。車のメンテナンスなど。鉄物をあつかったり整備などこれまた分野外の仕事で毎日楽しかった。これまた最初だけだった。休みと言われて休んで次の日出勤すると「勝手に休んだ」と言われ。出発時間早まった連絡をもらえずいつも通りに出社すると「寝坊野郎。まじめにやれ」といわれた。雨で作業ができずに、半日で仕事を切り上げて解散になった時も「勝手に帰ってるし。半日が2回も続けば1日休みだ。だから給料減らす」といわれ。デジャブかなと思った。作業は俺の他に1人しかいなくて、基本社長とその人で話し合って日程をきめて、俺には連絡してこないって流れ。わかるわけがない。連絡くれないと変更になった事が分からないと伝えると「甘えんな」といわれる。理解ができなかった。大型ダンプしかないため、免許取り立ての自分は数年後じゃないと大型免許が取れないのをわかってて雇ったのに「ダンプも乗れねえ使えねえ奴を使ってやってんだよ!」「使えねえ奴が!」と毎日罵声をあびせられた。スパナをなげつけられたりするのも日常茶飯事。機械が壊れたら異変に気づけなかった俺のせい。俺その機械使ってないんだけどね。社長の横乗りしててその平ボディが不調になった時も横に乗ってた俺が異変に気づかなかったから俺が悪いそうだ。「ただ横に乗りやがって。音を聞いとけ!」といわれた。それから耳をすませて音を聞いて窓を開けて排気の匂いを嗅いで異変に気づいた時に「社長、車の様子がいつもと違います」と伝えると「素人がわかったような事言ってんじゃねえ!そんなでしゃばりたいなら自分で仕事もらってきて自分でやりやがれ!馬鹿野郎が!」と、怒鳴られた。それから更に仕事を教えてくれなくなった。
ある時からそんなキチガイのような社長の態度が変わった。異様にフランクになり異様に近寄ってくるようになった。そして始まったのは「セクハラ」俺は髪も短けりゃカッコも男だけど体はやはり女。そして悲しいことに胸はデカい方だ。ナベシャツで潰しても潰しきれない大きさ。後ろから抱きついてきて胸を触ってくる。後ろから腰を掴んで腰を振ってくる。最初は笑ってごまかしてた。機嫌損ねるとめんどくさいから。けどそれがエスカレートして股を触ってくるようになった。もうダメだと思い、体を捻って避けたり手を遠ざけたりしてさりげなく避けていたんだけど辞めるはずもなく。仕事を休んだ。そして連絡をした「セクハラを辞めてくれ。辞めてくれないなら仕事を辞めなければならない」と。そこで驚きの発言が返ってくる。「え?嫌がってたの?体を捻ってたから感じてたのかと思ってた。違ったの?」唖然とした。いや、呆然としてた。理解できなかった。追ってきた返信は「そんな事で休むのはありえない。明日から来なさい」とのこと。そんなこと?ありえない?こっちのセリフでは?と、思いつつも次の日出社。案の定挨拶から全ての会話をフルシカト。「喋るとセクハラって言われるかもしれないからさ」と、もう1人の従業員に対して言っていた。もちろん俺に聞こえるように。脳内小学生のおじさんでした。
この会社は各車両、バックホーン、タイヤショベルなど全ての車両で無線が使えるようになってる。無線が付いてない物を使う時はハンディをもっていって無線がつながるようにしていた。朝から晩まで運搬の繁忙期の時期で、その朝から晩まで無線で罵られた。俺に対してでなく、俺が聞こえない「風に」2人で会話をしていた。もちろん全て聞こえている。聞こえてるのももちろんわかってる。わざとだ。そんな事が続きストレスの限界だったのか、俺は発作を起こしてドクターヘリで早朝に隣町に搬送された。「ストレスからくる発作」だそうだ。お医者さんからも仕事を辞めるしか治す方法はないといわれた。でも、免許の立て替え費用もある。2つの免許を同時にとり、貯金も少なかった俺には一括で払える金もなかった。辞めれなかった。でも出社しようとするとまた発作がでて、また救急車で運ばれ、ドクターヘリで隣町に搬送された。一時呼吸も止まったそうだ。3度の入院、トータルほぼ4ヶ月の入院。仕事も出来ず金が入るわけもない。人生詰んだと思った。この入退院中に仲介に入ってやると言って間に入ってくれてた人がいた。俺が昔から慕っていた飲み屋のマスターだ。飲み屋のマスターは俺と同じFTMである。でも、発作が起きて行くと言っていた日に出社出来なかったことを知ると、家まで来て俺をぶん殴り怒鳴り散らしていった。俺の事は理解してるようでしてない。発作も「甘えだ」といっていた。
その4ヶ月の苦痛を乗り越えて俺を解放してくれたのはギリギリに入っていた「保険」だ。免許一括で払えるほどの保険金がおりた。その保険金で立て替えを全て返済して会社もやめた。念書も書いてもらって、後から払ってないとは言わせないようにした。その話し合いの時に立ち会ってくれたのは最初にこの街で匿ってくれた知り合いのお姉さんと、飲み屋のマスターだ。一緒にいって間持ってやるからと言ってたオーナーは話し合い中に手のひらを返して「お前が悪い」といいだした。社長のでまかせを信じたからだ。退社後はもちろんニート。飲み屋の人も減るという事で手伝いに来いと仕事をくれた。飲み屋は数年前に上がったので所属ではなく仕事がきまるまで裏方の手伝いならと行くことにした。
今回はここまで。トータルしてわかるのは、ブラックでしか働いてない。皆言う事同じ。扱いがゴミ未満。です。親に言われた言葉で早々に心が死んでたからこそここまで耐えれたのかなとも思った。耐えきれなくて倒れてしまったけども。まともな生活をして来た人ならここまで耐えられなかったのかなと思うと複雑な思いになる。
底辺系FtMです。世の中には俺みたいな底辺中の底辺がいるよってのを認知してもらって「こんなやつでも足掻けるんだな。自分もやる気ちょっとだしてみよ」と、人生の踏み出すきっかけに。投げだしそうになってる人生の考え直すきっかけになれたらなと思います。