岩田温『「リベラル」という病』【基礎教養部】[20220814]

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『「リベラル」という病』という題名は非常に刺激的であると思う。中には題名を見て、リベラリズムそのものを根本から病と断じる野蛮な本であると感じる人もいるだろう。しかしながら本書はそのような類の本では決してない。このような誤解を引き起こさないように括弧付きで表現される「リベラル」とは如何なる人物を指しているのかを正確に把握することが本書を理解するための最初のステップとなる。書評でも書かせて頂いた内容ではあるが「リベラル」とはどのような存在かという事は非常に大切であるためこちらでも繰り返し書かせていただきたいと思う。
本書の表現をそのまま流用させていただくと、「リベラル」とは社会的弱者の人々の声に耳を傾けそれらの人々を尊重しながらも、個人を最大限尊重する立場のリベラルとは大きく異なる日本における極めて奇怪な自称「リベラル」のことであると定義されている。さらに本書では「リベラル」の大きな特徴として現実を見つめようしないという反知性主義とも言える姿勢を挙げている。
「リベラル」である人に多く見られる反知性主義的姿勢に対する批判は各章で具体的事象について考える際に根幹となっている事に注意する必要がある。

本書の具体的構造・構成は書評に譲るものとしてここでは私が本書を読む中で最も面白かった一節を紹介させていただこうと思う。
第3章にはリベラルな保守主義の可能性と銘打たれたセクションがある。その中で岩田氏はリベラルと保守主義が対立する概念ではないという事を述べている。この主張は一部の人々からすると非常に驚くべきもののように聞こえるかもしれない。というのも戦後日本は保守の自由民主党、リベラルな日本社会党による55年体制を築いてきた歴史があるからである。これら2つの概念が一見対立しているようなものに見えるトリックはここでリベラルと「リベラル」を区別せずに話を進めてきたからである。岩田氏はリベラルと保守主義は対立するものでないとは言ったが、「リベラル」と保守主義が対立しないとは言っていない。このトリックこそが本書で紹介されている岩田氏と枝野幸男氏が、どちらもリベラルな保守を標榜しているにもかかわらず政治的立場が大きく異なる理由でもあるのである。

本書は是々非々の立場で著されているために、読み手がどのような政治的立場に立つ人であっても学びのある非常に有意義な一冊となっている。特に自らをリベラルであると考えている方には一度熟読していただきたい一冊である。

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