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ワークショップ第58回『これまでの、集合位相輪読会は!』【数学部】[20230612-0625]#JLWS

今回のWSは、我々数学部が取り組んできた「集合・位相輪読会」を通じて考えた事を伝えるということをメインに行いました。数学を専門に勉強された方だけでなく、様々な方に読んで頂けるように作った物なので、数学を専門にされている方・そうでない方のどちらの方にも読んで頂けると大変嬉しいです。
★を読むことで本筋を追うことができますが、◽️には部長から各部員に向けたコメント等も含まれている為、全文を読んで頂けるとよりWSの雰囲気・内容ともに感じ取ることができると思います。お時間がある方は是非全文をご一読下さい。
以下はそのログになります。

Day1

★Hiroto

こんにちは!数学部部長のHirotoです。数学部WSの世界へようこそ。

私たちは前年度、『集合・位相入門/松坂和夫』という数学書をコツコツ輪読してきました。ある程度区切りのいいところまでできたため、ここでWSとしてアウトプットしてこの活動を終わらせ、次の輪読につなげよう!というのが今WSの(我々の)目標です。皆さんにはそれにお付き合いいただくとともに、もう一度(あるいは初めて)“集合”について深く考えてみていただきたいと考えています。

輪読してきた範囲は大きく分けて二つに分かれます。
1-14回→集合の話
15-25回→順序集合の話

最終日や座談会で改めて話しますが、我々のこの先の活動において本質的に重要なのは、後半の順序集合の話です。集合の話はそこに至る準備の側面が強いです。なので、無謀を承知で、今日は私が1-14回の内容を一気に(!)皆さんにお伝えしたいと思います。安心してください。いきなり数学チックな話には入りません。“皆さんの読み慣れた文体”でお届けいたします。
明日からは輪読を担当していただいた部員の方々に、それぞれ自分の担当分の内容を述べていただこうと思います。毎回のことではありますが、数学自体には興味ないという方も、この数学書の話の流れ方や、我々がどのように苦労して読んできたかなど、メタな楽しみ方をよろしくお願いいたします。それでは改めて、よろしくどーぞ!
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A「B、久しぶり!」
B「いや昨日も会ったでしょ笑 どういうボケよ」
AとBは同じ大学の同級生である。会うと自然に何かしらの議論になってしまうが、それがなんとも心地良い。おそらく互いがそう思い合っているからこそ、今日もこうして用もないのに集まっている。
A「お互いテストお疲れ様〜〜」
B「集まっても結局テストと関係ないことばかり話しちゃうから、絶対に勉強会とかにはならないんだよな笑」
A「やっとテストから解放されたけど、暇な時間なにしよかなー。あ、コーヒーに砂糖入れる?」
B「もちろん!!Aはいつもブラックだよなー」
A「それがかっこいいと信じてるからな、、はいどーぞ」
今どき珍しい、角砂糖である。
B「ありがとう!じゃ、1,2,3,4,5,...」
A「!?!!?!?、、、いやまぁ、“先週の水曜日”もブラック飲んでるかな〜と思ったらいつのまにかカプチーノだったことあったしな、、甘党なんだね」
Bが先に店に来ていることが多く、AはBが砂糖をどれだけ入れるかさえ知らないのであった。
B「さすがに入れすぎか」
手に取った5個目を皿の上に戻したとき、Bの記憶の中で微かに何か蠢くものがあった。
B「、、、、ある個数から何個か取って、同じ個数になることなんて、、あるか??」
A「急になんだい。5個から1個取ったら4個でしょうよ。それでも多いと思うけど、、」
B「なんか昔本で読んだ気がするんだよな、、、そんな感じの変な話」
A「あーああいうのかな。『自然数と正の偶数の個数は一緒』みたいな」
B「そんなんだったかな、、?てかそれ本当かよ。トンデモすぎない?」
A「最近読んだ『集合・位相入門』に書いてあったんだよ。もしよかったら軽く概要話そうか?」ウズウズ
Bは、(最近テストあったはずなのにまた他分野の本読んでるよ、、、)と思いながら、(Aの「軽く話そうか?」は話したくて仕方ないって意味だし自分も気になってしまっているから、これは付き合わざるを得ないな)と腹を括った。
B「ぜひ頼むよ!」満面の笑みで答えた。
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A「まず君が1,2,3,4,5と数えるとき、それは言った回数、ないしは紙に書いたインクの染み一つ一つと1対1対応を作っているよね」
B「古代の人が数を発明したときの話でこの1対1対応は聞いたことあるなあ」
A「我々の生活の範囲では、個数が同じことと1対1対応が作れることは同値だ」
A「これを無限の範囲にも拡張すると、自然数と正の偶数の個数は同じ、みたいな話になる」
B「うーん、、そもそも1対1対応っていうのがよくわからなくなってきた」
A「それをしっかり記述するために、集合と写像って概念がある」
B「シューゴーとシャゾー」
A「集合は今は、その中の要素の個数を数えたいような集まり、と思ってくれれば良い」
A「写像の方で重要な概念があって、単射と全射ってのがある。紙に書いてみるけど、イメージとしては左が単射で右が全射」
B「なるほど」
A「これをどっちも満たすようにすると、、、?」カキカキ
B「1対1対応になる!!なるほどなあ」
A「1対1対応と今まで呼んでいたのは、写像の言葉で『全単射(全射で単射)』と呼べるわけだ」
B「じゃあ個数が同じっていうのは、数学では『全単射が二つの集合間にある』って言いなおせるんだね」
A「この本では、全単射があるような(個数が同じような)判定条件が述べられてたり、色々面白い」
A「話を戻す。nを2nに対応させることを考えると、自然数全体と正の偶数全体の集合の間に全単射がつくれる。だから『個数は同じ』なんだよ」
B「騙されてたわけじゃないっぽいな、、」
A「無限個要素を含む集合の特徴付けとして、この本では『そこから元を何個か取り除いても個数が同じになっちゃう(ことがある)』という性質が述べられてる。まさに今の例だと奇数を全部取り除いても個数は同じだったわけ」
B「無限ってみんなフランクに使うけど、これだけでも結構気持ち悪い感じだ、、」
A「この本の最初の方は、乱暴に言えば『無限の気持ち悪さについて精密に述べてる』と言ってしまっていいと思う。集合と写像の枠組みはめちゃくちゃ有用だけど、無限を一応精密に扱えるっていう性質はその中でも特筆すべき一つと言えるね」
B「有限だけ考えるならどんなに楽か、、」

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(無限の話を色々。資料に詳しく議論の形跡あり。)
A「この無限の話に関連して、この本の前半ではとくに重要なテーマがあって、『選択公理』っていうのがフィーチャーされてたりするね」
B「洗 濯 氷」
A「これも有限なら何も問題ないのに無限だと気持ち悪い“ある行為”があって、それを解決するために導入された公理といえる」(歴史的に実際にそうとは言い切っていないことに注意。)
B「公理、、?」
A「議論の出発点。ゼロベース地点。無限の気持ち悪さに対処するための本質的操作可能性を、出発点に新たに加えなきゃいけなかったわけだ。その可能性を保証するのが選択公理」
B「その、気持ち悪いある操作ってなんなんだい?」
A「ちょっと待ってね、、一般人向けに翻訳するから、、、、」
A「、、、、、『空(カラ)じゃない箱たちの中身から、一気にそれぞれ1つずつ中身をとれます』という保証。これが選択公理」
B「、、、、、、、、、当たり前じゃね???????」
A「そう、箱の個数が有限な場合ならね」
B「なるほど、箱が無限個あるときを考えるのね。それでも当たり前だと思っちゃうけどな、、」
A「数学でも、要素を1つ取ってくる操作はその都度一回一回やらないといけない。これは現実と一緒。これは箱が有限個なら有限ステップで書き下して終了できるんだから、選択公理なんて要らない」
B「取って、取って、取って、、、、取った!はい終わり!ってことね」
A「そう。でも無限個の場合はそうもいかない。具体的に中身がわかってる箱なら無限個あっても中身を具体的に指定してあげることはできたりする。けどそれすらわかってなくて、ただ空じゃないって情報だけから一気に中身を一つずつ指定する(指定しきる)のは、選択公理がないと厳しい」
B「公理について直に触れたのは初めてな気がするな、、数学のゼロベースは他にもないの?」
A「もちろんある。10種類ほどの公理から今の数学の大部分は成り立っていると言って良い。けど、選択公理以外のものは、普通に数学をやっていて呼吸のように使うかほぼ使わないかだから、選択公理がフィーチャーされることが非常に多い」
B「なるほどな〜なんとなくわかった気がする」
A「まとめると、この本の最初の方で述べられているのは、『無限集合の気持ち悪さを精密に扱う方法』で、その中でも『全単射』と『選択公理』の話が際立って重要なんだ」
B「この本読んでないけど、この要約だけで読んでない本について堂々と語れるようになってしまったかもしれない、、」
A「ちなみにBの言ってた『何個かとっても個数が変わらないもの』ってなんなの?」
B「あーあれ、『何個か引いても個数が変わらないものな〜んだ?』って問題のことだったわ」
A「なるほどね、何個かってのが有限個で、引くってのが取り除くことだとすると、これは無限集合のことだね」
B「答えは、、、、、、、、『イス』」
A(イスからズッコケながら)「、、、、、、、、、、、なるほどなぁ」
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以上です。もちろん、我々が14回の輪読をこのようなふんわりした議論で終わらせたわけはなく、ゴリゴリ厳密に数学しています。興味があればぜひ動画をご覧ください。つまみ食いでも雰囲気がわかって楽しいかと思います。質問などは常時受け付けます。よろしくどーぞ。

◽️Hiroto

なるほど!
哲学部さんのフォーマットをリスペクト込みで真似ることで、導入としてスムーズに読めるように工夫したんですね!
無限と向き合うことだけが集合論の意義ではないですが、初学者向けにはそのように言い切ってしまっても悪ではないような気がします。
もう少し踏み込むと、「無限ってそもそもなに、、?」となってくるのですが、それはまた別の機会に話すのがいいでしょうね。よくまとまってると思います!

Day2

★イヤープラグさざなみ

第15回「順序集合ことはじめ 〜定義集〜」
数学的内容:
ここからは順序集合の内容に入っていきます。まずは用語の定義からです。
順序集合とは、ある集合と、その集合における順序関係の組のことです。そして、順序関係は添付資料①のように定義されます。
順序関係は記号「≦」を用いて表すことが多く、例えば「a≦b」は「aはb以下である」などと読みますが、順序関係「≦」は数どうしの大小関係には限りません(もちろん、数どうしの大小関係が順序関係であることは、順序関係の定義を見れば明らかです)。添付資料②に、その例を示します。
最後に、最大(小)元、極大(小)元、上限と下限の定義を紹介し、私の担当分を閉じます。今後登場する証明が理解できない場合は、まずはここにかえってきてください(添付資料③ )。
感想:
実数の大小関係を表す際に普段用いる記号「≦」で順序関係を表しますが、発表の際には「a≦b」を「a小なりイコールb」と読むことが躊躇われました。数の大小関係や集合の包含関係(これもまた順序関係)の場合はイメージと合致していても、「≦」が、例えば整除関係(添付資料②参照)を指す場合に、それを「小なり」と読むことに抵抗があったのです。このように、普段から使い慣れている記号を普段とは少しだけ違ったように使うことがこの先も何度か出てきます。慣れ親しんだものと少し同じで少し違う概念に接した際、そのギャップ部分に注目しようとしても、どうしても慣れた使い方に引っ張られてしまうものであり、大方それは非自覚的です。最初のうちは、機械的に都度、定義にかえってくるのが最も安全でしょう。

◽️Hiroto

我々が具体的に知っている記号(+, ×, -,...)を抽象的に用いることは、数学ではよくあります。
この≦についてもまさにそうで、我々の知ってる実数の大小とかは一旦忘れなければならない。そこをメタに気付けたのはとても意義のある時間だったと思います。
また、忘れた上で、具体例としてそこに戻ってくるというこの回帰も、数学に限らない一般の勉強法として示唆的なものがありますね。

「定義にかえれ」とは気軽によく言いますが、具体的にこびりついた我々の直感を引き剥がす役割も担っているのだと、改めて私も感じました。

また、これは初学者向けの注意ですが、「最大元と極大元の違い」を明確に説明できるようになっておくのがこのテーマのファーストステップだと思います。一見同じようなことを言っているようにしか見えなければ、それはまだ実数の大小などに縛られているのかもしれません。

Day3

★Hiroto

第16回「“順序”の歌『一般論見て反例?それとも例を見てから一般?』」
数学的内容:
第15回に引き続き、順序に関する諸概念(順序写像・順序同型・双対)をイヤプラさんに紹介してもらいました。
のちの話が理解できないときは、第15回と合わせてここへかえってくるべき大事な内容です。ここまでは前回と変わりません。が、ここで内容の細部に立ち入ることはしません。
むしろこの回で特筆すべきは、「本に載っていない例をアレコレ構成したこと」です。第15回から棚上げにしていた具体例の細部を、話し合いの中で完璧に埋めました。資料の赤字の部分です。
一般論は全て追えなくとも、この例の何が特殊で“わざとらしい”か、くらいは感じとれるかもしれません。具体例を逃げずに扱うことは思いの外、大事なのです。
感想:
思いついてしまえば簡単だが、それを言われるまではちっとも浮かばない。一般論は完全に追えたのに。これが具体例を考えるときのトラップです。
一般論を追う脳みそとは根本的に使っている部分が違うのだと思います。実際、僕もイヤプラさんと一緒に動画で考え込んでますが、すぐには例が出てきませんでした。原理上試行錯誤が絶対に要るわけです。
研究につながる思考とは、まさに具体例をバンバン発見して観察することなのではないでしょうか。そんなふうに研究者の卵の卵たる自分は最近考えたりしています。

◽️Hiroto

Hirotoさんは部長という立場で「もう分かってるけど付き合うよ〜」のテンション感だったと思いますが、いざ具体例を考えようとして焦ってしまったというのは面白いですね。
一般論を追えたことと具体例がパッと作れることは相互的ではあるものの、一方が一方を含むような思考形式ではないことがよくわかったと思います。部長も含めて学べるなんて、なんてよい輪読会なのでしょうか。
研究者とはまさにその両輪を動かし続けるもののことなのだと、私も思います。

★Hiroto

第17・18回「どこを取っても“背の順で手を腰に当てるやつ”がいる。それが整列集合」
数学的内容:
自然数というのは一列にピシッと並んでいます。そこからどのような部分(空でない)をとっても、その中の最小元が必ずあります。当然ですね。
この性質だけに注目して、「空でない部分集合が必ず最小元を持つ」順序集合を「整列集合」と呼ぶことにします。ここからは整列集合の性質を見ていくフェーズです。
皆さんに知ってほしいことは二つ!

①「整列集合でも“帰納法”ができる」
②「整列集合A,Bの“大きさ”について、AがBより小さいか、大きいか、同じか」

この二つが大きな事実です。①の帰納法は超限帰納法と呼ばれ、普段の自然数での帰納法の拡張になっています。
②の“大きさ”の比較は言い方が正確ではないです。が、抑えてほしいのは、どんな二つの整列集合も“大きさ”が比較できるということです。この事実が整列集合の有用性を端的に物語っています。
感想:
イヤプラさんの流れがあったので、丁寧に例を扱いました。それと同時に、任意有限の命題に帰納法を用いるなど、本よりも厳密性に気を使いました。
また、リアルタイムで書き進めていくゼミの方式がやはり楽しいなと再確認しました。用意した資料をただ写すのは、発表する側としてはちょっと臨機応変さに欠けて面白くないです。が、聴く側としてはやはり最初からまとまっていた方が見やすく、そのバランスの取り方が難しいなと思う次第です。
今やっている「順序数輪読」でも整列集合周りの事実を復習しながら進めています。このWS自体が我々の復習になっており、一石何鳥なのか計り知れません。

◽️Hiroto

「なんで整列集合なんて考えるの?」という問いは難しいですが、一旦の答えとして①②を挙げてるのはうまいと思います。
概念の内情は話さなくとも、それを導入したことによる効果は語れる。内側の話ではなく、外側との相互作用でその概念を伝えようと試みたのだと思います。これは思考形式としては「圏論的」とでも言えるのではないでしょうか。集合論の話で圏論の話を持ち出すのもなんともややこしい話ですが笑。

ゼミの形式について。やはり理想は頭からリアルタイムでアウトプットするのが良いと思います。ただそれは発表する側の訓練のためであり、聞く側が必ずしもそれが良いかは微妙です。発表に際しては、常に発表者側とオーディエンス側のどちらに重点を置くのか、よく考えるべきですね。この輪読会では各々の人によってその重心がズレていても良いように思います。いろいろ試せるのがこの場のいいところですしね。

Day4

★ていりふびに

【第19回】補題の補題の補題の...
【数学的内容の要約】
ここで証明するのは「ZORNの補題」という数学的に重要な補題を証明するための補題である。
補題の詳細な主張自体は添付資料の「補題1」を参照してほしい。※字が汚くてすいません
数学的なワードとしては整列集合、切片辺りが重要になっているので、忘れた方は再度チェックしてほしい。

補題そのもの自体が長くてうんざりするが、簡単に言うと
「他方が切片になっている同士の整列集合を集めた集合も整列集合でもとの集合を切片にもつ」ということである。
更に切片、整列集合などの数学的要素を外して大雑把に言うと
「都合のいい集合を全部集めた集合はもとの集合とも都合がいい」
みたいな感じである。
全てを含んだ都合の良い集合が作れること、これらが有限の範囲を超えて成り立つことが重要である。

肝心の証明も長いが、定義に従って示したいことの一つ一つを追っていくことができればそこまで難しくはない。
前章の補題も利用している箇所もあるので、復習がてら確認してほしい。

【感想】
今回証明したのはZORN補題の補題である。
数学には「補題」とつけられた命題が多く存在するが彼らは自分が「補題」だと呼ばれていることにどう思っているのだろう。自分は定理を証明するための「飛び石」にしか過ぎないと諦めているのだろうか。
そもそも、「補題」と「定理」がどのような基準で区別されるのか明確な基準はないようだが、「補助定理」と呼ばれるくらいであるから、「~定理」の壮大な証明の過程で編み出された命題で、「~定理」と名付ける程でもないと思われたのだろう。

ちなみに、「補題」だからといって証明が「定理」より簡単だとは限らない。
例えば、「定理」の証明が「~補題より」で完結することもあり、「補題」を経由して証明する必要があるのかと思う時もある。

ただ、今回証明したのはちょうど「補題」ぐらいがいい気がする。すまんな。

◽️Hiroto

「補題ってなんだろう?」という問いは、初学者に向けて意味のわかる問いでもあり、数学者でさえ見解が出せない問いでもありますね笑。

なんというか、補題の主張は「泥臭い」イメージがあります。まさに今回のがそうですが、道具としては光り輝くけれど、それ自体が主張として「お〜っ!」とはならないというか、地味な感じですね。
その意味ではZornの補題は補題の域を超えていると思います。おそらくこれは歴史的な事情だと思うので、あまり数学的に深入りしないのが吉な気がしますね。

Day5

★イスツクエ

第20・21回「自明(自明じゃない)」
数学的内容:
この回では「補題2」と「補題3」を証明しました。「Zornの補題」はこの2つの補題からすぐに導かれます。(補題の内容は資料参照)

証明の手順をざっくり紹介します。
「補題2」は4つのいい感じの条件をもった集合W(もちろん天下り的に設定した)が主人公で4つの条件や「整列集合の比較定理」、「超限帰納法」を用いることで示します。
「補題3」は「選出公理」から一瞬で示せます。

感想:
自分で証明を追っているときはひたすら数学的な手続きをしていくだけでした。しかしHirotoさんの説明を受けた後だと証明の道筋が見えて、証明の全体像が把握できた瞬間はとても達成感を感じました。

◽️Hiroto

イスツクエさんへ

おそらく、発表のための準備段階(それも他のタスク等もありながら)では、勉強の「細部→全体→細部→...」のサイクルの一つ目の「細部」で終わってしまうだろうと思います。それは当然で、皆さんにそこまで完璧を求めているわけではありません。
この一つ目の「全体」をみんなで見るのが輪読会の意義であって、僕も「全体は見れてなかったな、、、」と改めて思うこともあるのでとても楽しいです。達成感を感じていただけたなら何よりです。

またこれは初学者向けの補足ですが、いきなり我々が語り出した「Zornの補題」とは、言ってしまえば「特定の条件下での極大元の存在保証」であり、これが数学のいろいろな場所で顔を出します。
とくに、有限の話なら帰納法で済んだ議論を、無限に拡張するときに出てきたりします。
(例:ベクトル空間の基底の存在)
また無限ですね。やはり無限と向き合うことが最大のテーマと言って良いでしょう。

Day6

本WS内では、6日目はHiroto部長の返信日として使いましたが、note記事化をする関係でHiroto部長の返信は各部員の投稿の直後に配置しました。

Day7

7日目は数学部による座談会を行いました。

Day8

★Hiroto

第22回「同値サイクル、インデント証明」
数学的内容:
今の状況を整理すると、「ZF(選択公理以外の集合論の公理)+選択公理(つまりZFC)」から、Zornの補題が示されたわけです。(補題3でさらっと選択公理を用いたことに注意)
今回は、「ZF+Zornの補題」と「ZF+P」が同値になるようなPを色々紹介しています。この同値を示す上では、選択公理を用いていないことに注意しましょう。
同値とは両方向の含意が示せることですが、複数の命題(例えばA,B,C)の同値性を示すときは、わざわざ「A⇔B, B⇔C, C⇔A」を全部言わずとも、「A⇒B, B⇒C, C⇒A」を言えば同値性は言えます。これがタイトルの「同値サイクル」です。
感想:
この証明から、僕は「インデントをつけた証明」を本格的に運用し始めました。
これは記法の問題で、誰にでも推奨できるものではありませんが、要はプログラミングみたいに証明を書くということです。
自分の中では明確に変数のスコープがわかるようになって、革新的な変化があったのですが、読む人側にそれがもたらされているかは正直わかりません。ただ、ゆーろっぷさんがこれ流に書いてくれたりしていて、ちょっと嬉しいななんて思っています。
気になったらやってみて評価したい(そして違かったらすぐやめる)。中田敦彦と思想が似ていて癪ですが、僕もこういう人間なんだなぁと思いました。何しろ母校一緒ですからね。

◽️Hiroto

同値を示すとき、「一個一個の同値を見る」か「一方向と逆方向を示す」かの選択が迫られますが、この場合は後者の方ということですね。
高校のときには前者でゴリ押すのが好きでしたが、今思えば後者の方が楽だった問題もあったかもと思っていたりします。
インデントつき証明、けろたんさんが面白いコメントをつけてくれているので、そちらへの返信で言及しますね。Hirotoさん、お疲れ様でした。

◽️けろたん

(数学的な内容を追えていない状態でコメントしています。すみません。)
今回紹介されているZornの補題の変形ほどのサイズの証明を読む経験に乏しいので、以下はプログラムとの類推で感じた印象です。

1.数学の本を読むときに、グローバルに使える定義や定理とローカルな仮定の依存関係を見失って迷子になるので、どの情報をどこまで覚えておけばいいのかがひとめでわかるインデントつき証明はとてもとっつきやすく感じます。コメントもどこで一息つけるのかわかりやすくなって非常にありがたいです。インデントとコメントがなければ流し読みさえ挫折していたと思います。この二つの効果に加えて、式変形的な操作が少ない証明なので、まるで命題をデータとして生成するプログラムのように見えます。

2.インデントが深い&関数がない
自分の場合、プログラムを読むときは目に見えるインデントが3、4段ぐらいになってくると脳内スタックメモリが厳しくなってきます。読み書きするのが人間ならば、証明の一部を分離したところで物理的に目線をジャンプさせる手間が増えるだけなので、プログラミングのサブルーチンにあたる記法を取り入れても効果が薄そうです。階層が深い証明の読み書きによって脳内メモリーが相当鍛えられそうだと感じました。


話は変わりますが、英文解釈の参考書で構文木もどきをつかって文構造を図解するものがあったのを思い出しました。「論理構造の空間的配置を工夫することで認知負荷を減らせる」という現象は、直接的には論理的なものが空間的に把握できることに起因すると考えられますが、このことが空間的なものが論理的に把握できることとどの程度対称的かという問いが唯脳論の言語観に対する疑問として提出できると思いました。

◽️Hiroto

2について深掘りして返します。
インデント記法の真髄は、見た目に反して、「読みよりも書き(話し)」です。おっしゃる通り、深すぎると読んでもピンとはこないわけです。ただそれは完成された証明を見ているからであって、証明を完成させていくのを時間的に追うとき(追わせるとき)は、各インデントごとに小目標を示していくことになり、目的を見失わずにみんなを巻き込んで話ができるのです。
正直これは導入するまではわからない感覚でした。身体的な感覚なので正直これがけろたんさんに100で伝わるかは自信がないですが、とにかく自分が書くとき、そして人に話すときには良い記法だなと感じています。

そういう意味で、インデント記法は空間的なのか時間的なのか微妙なところがあります。少なくとも、視覚的な意味での認知負荷を減らせているのかは自信がないです。精読しようとして一文一文を追う(時間的な営み)際には助けになると思います。構文木もどきはぱっと見の処理が上がるような気がしますが、それとは似て非なる感触です。ただ、これは本質的に異なるというよりも、「4,5個のものの個数は完璧に認識できるが、10個以上となると正確な個数はぱっと見ではわからない」みたいな話なのかなとも思います。認知科学的な話は面白いですが、n=1の話しかどうしてもできないのがもどかしいです。

Day9

★ゆーろっぷ

第23回「任意の集合の中身、整列させてみた (feat. ツォルンの補題) / 選択公理、ツォルンの補題、整列定理の内容って実は同じ?」

内容の要約:
第23回では、まず前回までで扱ってきたツォルンの補題を用いて、一般に「整列(可能)定理」と呼ばれる命題を証明します。この命題は、整列順序(自然数の順序の特徴を取り出して抽象化したもの、要は自然数の順序「っぽい」もの)を、「任意の」集合で定義することができるということを主張します。端的に言えば「任意の集合を整列集合にすることができる」ということです。これは有限個の要素を持つ集合なら明らかですが(例えば要素を一列に並べて、左から順に「1番小さい、2番目に小さい…」としていけば良い)、無限個の要素を持つ集合に対してはそもそもそのような操作ができるかわからないので、この命題は非自明です。しかし、どんな集合であってもそれが「できる」ということが、ツォルンの補題を使って示せるわけですね。
さらに、整列定理を仮定すると選択公理を導くことができるため、選択公理、ツォルンの補題、整列定理が全て同値であることがわかります(これまでの議論から 選択公理 ⇒ ツォルンの補題 ⇒ 整列定理 が言えていたので、整列定理 ⇒ 選択公理 が示されれば「同値サイクル」が回ります)。一見全く違うことを言っているように見える命題が、実は等価だった、というオチが最後につくというわけです。

ゼミ発表の感想:
ゼミで発表するという機会が当時は大学を含めほとんどなかったので、数学の本を読んで資料を作り発表、というのはこれが初めての経験だったと思います。担当が回ってきたのはちょうど春休みの終わり頃で、休み気分を飛ばす目的もありできるかぎりしっかりと準備をしました。発表する内容については、証明を含め何も見ずに全て白紙に書き出せるようにした記憶があります(それでも行間が埋まっていないところ(=曖昧なところ)はありましたが)。今思えば結構レベルの高いことをやっていて、実際4月から始まった大学のゼミの発表でも、時間の関係でそこまで準備できたことはありません。ましてや、普段の勉強において教科書の内容をそこまで徹底して理解しようとすることは、非数学科生の僕にとっては極めてハードルの高い行為です。そのような意味で、真に「数学する」とはどういうことかを(部分的にしろ)この身で実感する、貴重な経験であったなと感じています。

◽️Hiroto

やっぱり、「有限集合なら明らか」なんですよね。そこを無限集合でも潔癖にやろうとすると、選択公理、Zornの補題、整列定理みたいな話になってくる。そこが端的に強調された良い紹介だと思います。
一見全く違うことを主張しているように見えるというのも特筆すべき特徴ですね。特によく使うのはZornですが、選択公理本来の主張も忘れずにいたいものです。

数学部、「強制はされないが故に、せっかく自発的にやるなら自分で自分にハードルを高く課す」という部員が多く、僕としては嬉しいです。ときには僕を頼ってもいいんだよと強く主張しないと、みんなパンクしてしまわないかだけが心配です笑笑。適度に緩く行きましょう!!!!マスハラだと思ったらハラスメント防止委員会(運営)にチクってくださいね。

Day10

★イヤープラグさざなみ

第24回担当のイヤープラグさざなみです。

第24回「Zornの補題の使い方 〜応用例〜」

数学的内容:「Zornの補題: 帰納的な順序集合は、少なくとも1つ極大元をもつ」を使って、集合の濃度に関する定理「無限の濃度mとそれより小さい濃度nに対して、m+n=m」を証明しました。これ以前に登場した定理の内容を多く含みますが、本証明自体は、それらを既知のものとして追えるようになっています。記法の理解があやふやだと躓いてしまう箇所があります。また、ある写像が全単射であることの証明は自分で一から書けるようになりたいものです。
後半では群論に関する定理を証明するために、群の公理を紹介しました。

感想: これまでの輪読の総決算的な内容でした。今回扱った証明は、証明自体の分量が多い上に、内容も私にとって難解でした。準備段階では、証明に登場する用語の定義を全て再確認し、何度も証明を追い直しました。結局発表開始時にも完全に理解はできていませんでしたが、リアルタイムでHirotoさんに問いかけていただき、共に考えていく中で、少しずつ分かってきました。本に書かれた文字列はずっと変わらないのに、それを何度も読み直していくうちに見え方が変わる体験、「分かる」体験は、勉強の醍醐味でしょう。この回では、輪読の準備をするときの基本姿勢が身についた他、何より、数学をするのには時間がかかることを実感しました。

◽️Hiroto

今までは示すべき対象だった定理たちを、今度は道具として振り回すフェーズになりました。「昨日の敵は今日の友」的展開ですね。
正直、濃度の話の復習をしなければならないということで、結構な負担を強いてしまいましたが、丁寧に定義に返っていただけるさざなみさんでしたので、なんとか乗り切っていただけました。

全単射を落ち着いて示す、みたいなのはなんというか、「なんか見落としてるでっかい道具でドカンと一気に示せるんじゃないか」とか一旦思い始めるとドツボで、単純に地道な作業であることに気づくということこそが大事だったりします。
院試勉強していて思いますが、「泥臭計算」なのか「見落としてるでっかい定理」なのか、自分にいま足りないのがどっちなのかを見分けるのがすごく難しいと感じます。それを見分けるためにも、とりあえず泥臭計算をできる腕力を鍛えておくというのが、一番手近な解決法ですね。計算(ほぼ自明な論証を含む)は大事です。

Day11

★chiffon cake

第25回担当のchiffon cakeです。

①タイトル
「強者だけが生き残る世界線」

②数学的にどういう話か
 昨日(イヤープラグさざなみさん)の定理をより一般化させたものを証明します。Zornの補題を応用すれば、無限の濃度が持つ強い性質を証明できます。Zornの補題を使うには、帰納的順序集合[第〇日を参照]を作る必要がありますが、だだそこまで話を持っていくのに苦労します。なお、定理の主張ですが、高校数学の極限にどこか雰囲気は似ています。無限な世界では強い項が全て持っていくようなイメージです。定理の系は思わず首を傾げたくなる結果ですが、無限の世界は直感に反するのだという良い例ではないでしょうか。

③感想
 やはり喋りながら数学をするのは相当な訓練がいるなと痛感しました。内容についてですが、まず定理を証明するために導入される順序集合の順序がややこしかったです。そこから帰納的順序集合であること示すのに苦戦。書籍で一行にも満たない文言で割愛されていたのが分からず部長にご鞭撻いただきました。

◽️Hiroto

タイトル、良い〜〜ですね!
まさにそうで、強い奴に全て飲み込まれるという感覚が正しいと思います。
有限の結果をそのまま当てはめようとすると直感からは外れるけど、まあそれはそれとして受け入れようと思ったらタイトルみたいな「直感的理解」はできる。そういった「受け入れスキル」が試される主張だと思います。一旦ゼロベース思考にしてから、あとで直感の方をすり寄せにいく感じでしょうか。直感だけで最初から行くとどんどん無限の世界のドツボにハマっていくでしょう。

話しながらするの、激ムズですよね、、。僕が書きながら話したい理由はそれもあると思っていて、どうせ話すという行為は時間的なんだから、リアルタイムで書いてしまえ!という感覚があります。
事前に資料を用意すると、「読む」視覚的行ないと「話す」聴覚的行ないを同時に行うことになり、実は大変なんじゃないかというのが感覚としてあります。実際、「これ書いてるとき何考えてたんだっけ、、」という身体感覚の欠如を話しながら感じることもあり、アウトプットされて外部化された文章は怖いな、、と何度か反省しています。

Day12

★あんまん

みなさんここまでお疲れ様です。あんまんです。数学部がおよそ1年かけてきた内容をこのたった2週間のwsでまとめ上げているのだから、数学部員でない方はここまでの内容を追うだけでも一苦労も二苦労もあるでしょうし、数学的内容までじっくり追えている方はごく少数だと思います。ですから、今日は本の内容にはあまり踏み込まない私の一人語りでございます。もうしばらくだけ数学部のwsにお付き合いいただければ幸いです。

わたしが数学部に所属してからかれこれ1年ちょっと経った。最初は「写像ってなんすか?」状態だったが、今では写像を集合としても扱っている。だからなんだよ。そんなツッコミがあるかもしれない。私はずっと自分にツッコんでいる。Zornの補題を証明できたところで、選出公理を知ったところで、私にこれらの知識を直接使う場面はこの部活を除けば、間違いなく、ない。それでも私が数学をする理由にようやく答えが出た。私には数学をする目的が存在しないのだ。

『世の中には手段のためならば目的を選ばないという様などうしようもない連中も確実に存在するのだ。つまりは
とどのつまりは我々のような』 -少佐(HELLSING)-

私はただこのJLAB数学部で数学をすることが目的化している。

数学部で数学ができれば内容はなんだっていいのだ。ただ、数学部で数学ができるのが心地よい。
私がこのように思えたのはHirotoさんが興味深い話題を提供してくださったこと、数学部の部員のみなさん、JLABのメンバーの皆さんが居心地の良い場所を作り上げているからに他なりません。数学部のみなさん、JLABのみなさんいつもありがとう。

また、数学そのものについて感じたことはいつぞやの定例報告書に書いたが、数学はユニバみたいだと考えた。論理的順番では公理が先にあり、その上で定理が存在するが、認知的には証明したい定理があって、それに伴い公理を要請している。広大な認知の海に、埋め立て地という公理を作り、証明というボルトで固定をしながら、その上に華やかな定理という建物を建設してゆく。土地は全てつながっていて、新たなエリアを開発するためには埋め立て地を新たに作れば良いのだ。選択公理なんて奇妙な公理が初めから考えられていたとは思えない。おそらく、Zornの補題なんかを証明する際に選択公理必要じゃね?となって導入されたものなんじゃないか。ともあれ、私は数学は「作る」という作業がしっくり来る学問だと考えた。

◽️Hiroto

部外の方に寄り添った文章、ありがとうございます。
あんまんさんの数学部でのあり方は逆に私には真似できないので、かなり尊敬できます。
それをするだけの場を提供できているという意味では鼻が高いですが、やはりこのような自己目的化をできるというのはそれだけあんまんさん側からの強い愛(数学というより数学部への)がないと成り立たないと思います。

ユニバみたいのくだり、超面白いです。実際、定理のために公理を考えるような分野を「逆数学」とか言ったりするらしく、詳しくはないのですが、最近盛り上がりを見せているそうです。昔は「唯一無二の数学!」を追い求めていましたが、それも相対化されて、公理すらも対象化してしまったわけです。そういう意味では本当に外から見たらそれは「建造物」だよなぁと思います。
一つ特殊なのは、「その目的じゃないなかったのに結果そういうことになった」奴らが多すぎることが挙げられると思います。論理的にはその定理のための補題みたいになっているけど、歴史的にはどうやら違うみたいなことは多々あります。目的なき結果が、後世に整理された結果そのあるべき「目的」を与えられているみたいなことは数学ではよくあり、そこを相対化する意味で、数学史を学ぶ意味は僕はあると思っています。自分が研究をする側なら尚更。

Day13

★チクシュルーブ隕石

本日の担当の隕石です。よろしくどーぞ!

この「集合論輪読会」で特に印象的だったのは、各部員ごとによって発表の仕方が大きく異なっていた事でした。各部員の発表について少しづつではありますが、コメントをつけてみようと思います。

Hirotoさんは、事前にほぼ全ての行間を読み取った上でかなり俯瞰的な視点(松阪集合論が空集合を忌避している点の補足や公理的集合論の視点からの指摘等)を持った状態で取り組んでいるように感じました。その意味でHirotoさんに指摘して頂かなければ一生気付かないような事柄がたくさんありました。

イヤープラグさざなみさんは、「理解している事と理解できていない事をきっちりと分ける」ということに強い拘りを持って発表に取り組んでいたように思います。分からない事を分かる事こそが分かるという事の一歩目であることは非常大切な事柄ですが、いざ自分の発表となるとその部分まで詰める事が出来ていなかったので、非常に勉強になりました。

ていりふびにさんは、数学を勉強していらっしゃった経験を基に大まかな流れを掴み、詳細な理解と大まかな理解を使い分けていたように思います。また、発表の中で数学を勉強していく際に知っておくと便利な思考法やワンポイントアドバイスを仰って下さる事が多く、「なるほど!」と思う場面がたくさんありました。

他の部員も、自身のバックグラウンドが見えるような工夫された発表が多く、「専門の人も専門でない人も混ぜて一つの事をする」というジェイラボの良さが出ていたと感じました。ただ、どの部員の方も数学に対して非常に真摯な態度は一貫しており、実りのある輪読会であったなということをしみじみ実感しているところです。
少し前から始まった「順序数講義」でもこの真摯な気持ちを忘れずに取り組めたらと思います。

◽️Hiroto

部内の人を丁寧に観察していただいた文章、ありがとうございます。
古参メンバー3人の分析をしていただきましたが、やはり3人は発表スタイルが固定化されてきて「キャラ」として面白いよなぁと感じます。自分のことなのですがw
バックグラウンドが滲み出るというのは、漫才で言うところの「ニン」であり、それを大きく伸ばすのが数学部の目指すべき姿でもあります。
もしかしたらそんな個性潰してしまった方が発表としては聞きやすいのかもしれないですが、ここはアカデミックな場ではなく、ジェイラボなので、知ったことではないです。本当に原点に立ち返るなら、数学することすら過程であって、本当はそういった「ニン」をぶつけあうコミュニケーションにこそ部活動の意義があります。その意味で、そこに着目してくださった文章を投下していただいて大変ありがたいです。部活動を続けてきた甲斐があるというものです。

僕も皆さんの「ニン」をひしひしと感じています。雑談もいいですが、ある程度魂を割いて準備してくださった発表から滲み出る味には、他には代替できないものがあるように思います。これが時間を共にするということの大切さなのだと感じています。

個人的な理由からジェイラボでの同期的コミュニケーションを抑えていたりしましたが、自律できる範囲でまた積極的に行なっていきたいななんて考えるくらいには、ゼミも座談会も超楽しかったです!!!

Day14

◽️Hiroto

改めまして皆さん、数学部WSは以上で終了となります!
文章を投稿してくれた部内の皆さん、食らいついてくださった部外の皆さん、本当にありがとうございました!

部員の皆さんがどのようなタイトルをつけ、どのようなところに着目して要約するか。この加工作業を経るだけでも、文章から「ニン」がドバドバ溢れてきます。僕も新鮮に楽しませていただきました。
ずっと言っている通り、我々はもう数学的内容を「フリ」にして、部員の人間味を外にぶちまけていくという方法でしか、一般向けのアウトプットはできないのだろうと感じています。というか、それが本来のWSのあり方なのだろうとも思います。
逆に、あえて一回数学のレベルをガクンと下げてみても面白いのかもしれません。我々はWSの内容だけで仮に匿名であったとしても堂々と勝負できるのか。永遠の課題ですが、色々と極端に実験して、ガンガン皆さんを揺すぶって、どの層で楽しめば良いのかわからなくなるような(逆説的にどの層からでも楽しめるような)混沌を生んで行けたらと思っています。

それでは、また次回のWSないしは座談会にご期待ください。おやすみなさい!
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以上がログになります。振り返ってみると1万7千字を超える大作となりましたが、今回のWSは自分達の活動を噛み締めながら振り返ることができ、大変有意義なものになったと感じます。
ここまで読んでくださった方々、本当にありがとうございました!

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