「ジャッジしない」の復習

最重要ワークでもあるので、おさらいとなります。

「相手の考えを考えない、ジャッジしない」

前後の状況や見た感じ等から、ある相手が「…と考えてるようだ」「…のような人格を持った人のようだ」の段階でまず気づき、「そうだ、そうに違いないんだ」と最終決断を下すまでに至らなければ、その相手を変容を加えずの素のままの存在と在らしめることとなるのは徐々にお分かりになられたでしょうか。

また様々なスピリチュアルの教えで最重要とされているforgive;赦しの極意でもあり、手放す、咎めないというその語源の通り、「他者の考え」についての考えを手放し、たとえそれを最終的にそのはずだと決定を下してしまっても「咎めない」ことなのです。

もちろん相手が「…と困っているかもしれない、大丈夫かな?」と気づかいすることは問題ありません。何かネガティブな感じに「…と考えているはずだ」前後状況や仕草やら見た目からも勝手に「そうに違いない!」と決定を下し、その思念を維持継続させるのが問題なのです。


ちなみに各個人の思考を始めとした内面世界の実態は、まったく想像もできないほどそれぞれ異なっていて、その多様性の豊富さについては、ヌース アニマンダラの天海氏によると、各個人の感情(エーテル体アストラル体)が外面化したものが今地球に生息する多種多様な「動物、生物」の種としてそれぞれ実体化、反映しているとのことなのでダイバージェンスに富んだものと考えられます。

アニマンダラより抜粋
https://animandala.hatenablog.com/entry/species
「アニマンダラより
こうした絶滅の加速は
近代化による環境破壊の影響によるものと言えますが
 
精神の反映として見たとき
グローバル化による、西洋的な近代的価値観が世界に広がることで
地域固有の文化や風習に基づく精神性が失われていくことに
対応していると捉えることができます。
 
近代的自我一辺倒に染め上げられていくことで、失われていく精神性の反映です。」

(また心はその響きの通り「コロコロ」変わりますから、各人はいくつもの生物種とリンクしているようです。またドゴン族では村人が1人亡くなると、生物種の1ツガイも亡びると考えられてるそうです。)

例えば自分と同僚との内面世界の違いは、カエルとウサギ、カブトムシくらいの違いがあるわけで、他者の心を想像することはそもそも完全にギブアップした方が無難と思われます。
また日々我々は、周りの他者を「人類」という一種類のようにガバッと(バカっと?)安易にカテゴライズ、単純化しており、結果その実際の多様性を黙殺、抹殺してしまっているわけです。(これが絶滅危惧種が増えている原因のひとつと霊的には考えます)

またさらに興味深いのは、化石として私たちの目に触れる「恐竜」も我々の誰かしらの内面の反映として実体化している可能性があることともなり、意識を変えることが出来なくなるほどガチガチに物質至上、拝金主義などに陥って、それこそ新時代を迎えてる今となっても「化石的」な古い考えを自己保身の感情などにより変わることが出来なくなってしまっている方々もおられることと考えられる訳です。

更にここで各個人が全くの別種、異次元の存在であったという新しい目で再認識するることにより、実は日々日常の人間関係、他者との遭遇こそが異次元との遭遇であったとのも分かります。その理解を自分のものとすると、日常で合っていた他者全てが、ヌースでいう直行化、次元シフト、アセンションするきっかけであるとも分かり、ますます自己のメタ存在への道が進むことともなります。

また、これを承知した同士の遭遇がより他人数的に起こり始めると、爆発的な直行化、霊的進化が起き始めることにもなります。
(このように生物史でビッグバン的に起きたカンブリア紀「バージェス進化群」と同様のことが、近未来に我々→ワタシタチに起こる可能性が高いです。作品をちゃんと見ていないので合ってるかどうかですが、各人のキャラがそれぞれ垂直的に立った「ワンピース」の世界が到来するようなニュアンスと思われます)


こういった視座・心構えによる、素の他者を始めとするそのままの外面世界との出会いは、本来の自己の内面との再会とイコールでもあり、他者の判断をしないことこそが真の自己に出合うスタートとなっていきます。(素粒子を介して、外内は連動しているためです)

またこれは幼少期の頃のような、他者の心の憶測が少なかった状態にある意味戻ることでもあり、インナーチャイルドとの再開ともなると言え、その頃誰もがそうだったであろう憂のない平穏な日々も戻ることとなるわけです。

またこの「ジャッジ無し視点」の効果として、逆に他者から見られている自分という自意識もどんどん希薄になっていき、結果、物質存在と思い込んでいた肉体的な自己という認識も薄れていくわけです。
また肉体的自己の保持、存続のために終始していた他者の思考や他者の人格や外部状況に対するこの「勝手なる勘ぐり」の放棄により、コンピュータでいうCPU占有率にあたる無駄使いされていた思考キャパが一気に解放されると同時に、スピリチュアル最大課題のひとつでもある「自我、エゴ」の鎮静化も起こることとなります。
やがてその自我エゴは、メタエゴとも言える霊我的エゴに変位し、思考や脳に刻まれていたであろう回路は、外面を内面の反映と正しく観るための役割に書き変わり、そこからのメッセージやサイン、啓示などを受け取る真眼の開眼、また旧エゴが再度活性化しないかの監視プログラム等へと変容を遂げます。

この精神の反転とも言える変容進化は、内面世界の軸が真反転するポールシフトの序章部とも思われ、前人類の地球では物理的に地軸がグレん!とポールシフトし、重力が一瞬逆転しアトランティス大陸かどこかが大陸ごと吹っ飛ばされたような事があったとも言われていますが、今回は精神領域でこのグレんシフトが起こるようです。
もしくは前回物質的に天地がひっくり返ったのは、なぜなら自分が物質と多くの人が信じていたからであり、今回も同じでより多くが「霊が中心」と戻っておかないと、もってかてる可能性もある)

特に職場や人間関係の問題などが発生した時は、言わば内面軸のポールシフト(自分の意識が直交化していく感)の進展が加速し、成果も確認しやすいです。
なぜならそういった状況では、より多くの相手が自分に対して、より強く「自分について〜と考えてるはずだ」等が多くなりますので、本ワークを適用する機会が大幅に増えますのでポールシフトがどんどん進み、軸が直交角度にグイグイ立ち上がっていくわけです。

副産物的に、あらゆる問題や困り事が、自己を直交化に向わせる出来事であると、問題に見えても進化に必要なことなのだと前向きに捉えることができる今後の人生にとって盤石なマインドセットも出来上がることとなります。あれこれ逃げようとしたり、相手のせいにしたり、勝手に妄想し困惑せず、真っ向に直面することがポールシフトへの唯一の突入方法です。

太字部、ほぼヌース トーシン氏より引用

ガンバリマセウ!


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