落ち着いた支配の救い——ヨルシカ『逃亡』
根が子供なので、人前で弾くなら音がたくさんあって激しくてテンポが速くてかっこいい曲を弾きたい。
それは、自分でその勢いを制御できてこそかっこいい。
分かっている。頭では分かっているけど——早く早くと、音が誘惑する。
焦らせてくるわけじゃない。
速い方が楽しいぞって、手招きされる。
何度だってそれにつられて、何度だって崩壊しかけた(した)。
後には反省するんだけど、それでも、ついていけるかギリギリの線を夢中で走っていくときは、どうにも楽しい。
音に誘われ、それに飲まれる。
それは音楽を聴くときも同じで、前へ前へと(私みたいに転びこそしないけど)突っ走っていく音に身を任せ、歩くテンポを曲に決められ、それまで考えていたこと全部飲み込まれたい。
*
※PVでコラボしてる「よふかしのうた」はまだきちんと知らないけど、夜更かしはとてもすきなので貼っておきます。
ヨルシカ『逃亡』は、決して走ろうとしない。
前にそれを含むアルバム《盗作》について書いたときにも触れたけど、やっぱりその性格が強い。
▷イントロ
ギターが1本でリズムを作る冒頭の2拍。1音目をしっかり保って、拍裏の2音目も突っ込まない。
3拍目裏、それに綺麗に噛み合って入ってくるハミング。
ドラムが増え、ピアノが増え、彼らは各々が的確に、ひとつのビートを作ることに作用する。それを聞けばもう、つい裏拍を取ろうと無意識に小さく足を踏んでしまう。
そしてイヤホンの左右から交互に4回、フィンガースナップが聞こえ、その中にいた私は、このテンポに完全に取り込まれる。
そう、絶対に前へ前へと行かず、それでいて停滞しない。そしてもう、完成したそのテンポから出られなくなっているのだ。
勢い上等の空回りしそうに有り余ったエネルギーとは全く違う、落ち着き払った強い支配。聴きながら歩いていて早歩きでもすれば、どうもそれは似つかわしくない。
拍に合わせて歩き出せば、走らない強さとご機嫌な音色に、わたしも“逃亡”できるぐらい強い気持ちになってしまう(退勤時に聴くと最強になれる)。
それは、“いまここ”の不安定さを強制的にそのテンポに落とし込むことによって逃亡させる、ある種の救いである。
▷歌
ひとこと置いていく度に空白を挟み、さらりと述べていくAメロ。
ブレスのタイミングだけに空白を残し、オクターブ下の音を連れ、前へ詰まっていってしまう余地のないぐらい一音一音が充実したBメロ。音階上を自由に動き回っても安定した音は確かな大きさを残してくれて、一番にはサビがないことにも気づかない。
2nd full album収録の『エイミー』でも持っていた、「さぁ」のアウフタクトを持つサビ。だけど、「人生全部が馬鹿みたい」と「もっと遠く行こうよ」にかかる「さぁ」は、やっぱり違う。
前者の「さぁ」は上昇する力を多分に持っていたけれど、後者の「さぁ」は微かな震えと、諦めに由来する優しさが撫でてくれるような息遣いに落ち着く。
一曲を通して、微かに吐息がかかった子音の発音が耳に残り、心地良い。「入道雲」の「ny」、「軒先」の「k,s,k」、「つまらぬ」の「n」、「行こうぜ」の「z」。ひとつひとつの音が丁寧に存在していて、こぼれることなく一粒ずつ入ってくる。
▷アウトロ
ピアノが好きすぎる。と同時に尊敬する。
なんで、なんでこんなかっこいい音の並びを、かっこつけずに弾けるんだ。
たくさん音を鳴らせるのに、単音でこれだけの長いソロを弾き通す。一つ一つの音を絶妙な長さで保ち、繋がらないけど短すぎない。空白を空白として、ちゃんと待つ。
それは安心しきって聞くことができて、ずっと聴いていたい。気付けばそう思わされていて、それは快い支配の一つである。
*
吹奏楽の定番曲、『宝島』。
その場の勢いに任せ、ドラムが暴走し、金管が楽譜にないハイトーンを鳴らし、飾りのはずの木管がやたらうるさい、なんて演奏はよくあるし、だけどそれを憎めないし、なんなら好きだし、演奏してるときは実際楽しい。
だけど、母校の吹奏楽部の指揮者はそれらを綺麗に交通整理して、裏拍を踏ませたな、とふと思い出す。
そういやT-SQUAREの原曲も、前へ前へ行くような曲ではない。
突っ走っていく勢いも、とっても生きていて強いんだけど、
落ち着いた音が逆に、すべてを持っていく強さを持つことがあるんだ。
裏拍を取れる大人に、なれるかなあ。
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