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穏やかな犯罪 —— ヨルシカ 《盗作》

この間、電話をかけた先の保留音がヴィヴァルディ《四季》より「春」だった。もう7月も終わりそうな頃のことだ。おまけにフレーズの最後には勿体ぶるようにritして、また頭から春が始まる。いい加減、そろそろ夏にしてくれよ。

夕方に鳴ったメロディがグリーグ《ペールギュント第一組曲》より「朝」だったことに苛立った「俺」の父親に、そんなことを思い出して笑った。

ヨルシカの3rd full album《盗作》。
初回限定盤に付属する小説『盗作』は、多分にクラシックに寄っている

スケールのこと。コードのこと。

同様に付属していたカセットテープも。部屋の隅から引っ張り出してきたプレーヤーが微かな振動と共に伝えてくる、ベートーヴェン・ピアノソナタ第14番「月光」。その音色は、聞き慣れた「録音したピアノの音」だ。

ついつい旋律より大きくなってしまう内声。前の響きが残ってしまうペダル。次の音を確認するための妙な間。録音停止ボタンを押しに立ち上がる、キイという椅子の音。

クラシックで育った身には、近すぎる。ぜんぶ、知っている。

*

そんな少しばかりの生々しさとは対照的に、アルバム《盗作》に収められた楽曲たちは、前のめりに叫ぶことをせず、どこか達観したように落ち着いている。それが、大げさに言えば救いだった。

JAZZ寄りの響き、裏拍を強く踏む、オクターブのユニゾン、全てを言葉にせずハミングに託す。

その印象が顕著なのは、本作第11曲「逃亡」。

いちばん好きなのはBメロのユニゾン。男女がオクターブ差で歌うユニゾンは、とりわけゾクゾクして好きだ。
ハモリは、その和音を構成する音であるならば、3度下でも4度下でも6度下でも(それぞれ性格が異なるのは承知で)選択肢がある。でも、ユニゾンはその一点しかない。正確に狭い一点を突き続け、どう動いても付いてくるその様には、惹きつけられて離してくれない。
そして、ピタッとはまるそれは、ただ衝動で叫んでいるのではない、合意の上である落ち着きを感じる。

ドラムは終始、安定して裏拍を意識させるように刻んでくれる。1st full album《だから僕は音楽を辞めた》の曲たちは(2nd full album《エルマ》と比較しても)——例えば「踊ろうぜ」とか「夜紛い」とかみたいに——4拍とも主張して、前に前に行こうとするものが多い。対して、本作は裏拍を確実にこちらに置いていく

ピアノは後奏でソロを取るが、「だから僕は音楽を辞めた」の間奏の時のように、足掻くような必死さはない。
数オクターブを駆けるのは同じ。でも、止まるところは止まる。背伸びせず、あくまで拍の中で遊ぶそれは心地いい。

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クラシックの要素を持ちながら、”犯罪”を歌いながら、「人を呪う歌が描きたい」*1 とか「包丁を研いでる」*2 とか言いながら、意外なほど本作は私にとって穏やかに聴こえる。時折叫ぶように吐き出すように歌う声にも滲んで見えるが、強い意思は確実にそこにある。ただ、同時に、どうにもならないことを知った諦めみたいなものが見えるように思えて仕方ないのだ。


“盗作”と聞けば、明らかに良くないと誰しもが思う。でも、音楽が飽和する現代、それは意図のあるなしに関わらず、自然に、穏やかに存在している。

月光、朝、ジムノペディ——。本作にはクラシックの名曲のメロディがたくさん顔を出す。そんな分かりやすいのはさておき、それ以外にも楽曲分析すれば見えてくるのかもしれない。だけど、それはやめておく。

中途半端な楽典しか知らない私のそれは当てずっぽうみたいなもので、呼んでもないのに勝手にやってきたかくれんぼの鬼みたいだし——何よりこのアルバムの楽曲たちには、私にとって穏やかでいてもらわないといけないのだから。

*1 ヨルシカ《盗作》より第6曲「レプリカント」の歌詞から引用
*2 同アルバム第9曲「盗作」の歌詞から引用

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